マーク・ケアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マーク・ケアー
基本情報
本名 マーク・ケアー
(Mark Kerr)
通称 ザ・スマッシング・マシーン
(The Smashing Machine)
ザ・タイタン (The Titan)
霊長類ヒト科最強の男
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1968-12-21) 1968年12月21日(50歳)
出身地 オハイオ州トレド
所属 ハンマーハウス
→チーム・ケアー
身長 185cm
体重 115kg
リーチ 198cm
階級 ヘビー級
バックボーン レスリング
テンプレートを表示
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
男子 レスリング・フリースタイル
パンアメリカン大会
1995 マル・デル・プラタ 100kg級
男子 グラップリング
アブダビコンバット
1999 アブダビ 99kg超級
2000 アブダビ 99kg超級
2000 アブダビ 無差別級

マーク・ケアーMark Kerr1968年12月21日 - )は、アメリカ合衆国男性レスリング選手、総合格闘家オハイオ州トレド出身。チーム・ケアー所属。UFC 14・15ヘビー級トーナメント優勝。

人並外れた筋肉から繰り出される怪力で「霊長類ヒト科最強」と恐れられた。

来歴[編集]

4歳からレスリングを始め、ハイスクール時代にオハイオ州の王者になる。シラキュース大学時代は1992年NCAAディビジョン1で優勝し、オール・アメリカンに選ばれ、1994年にはレスリング全米選手権で優勝した(種目はフリースタイル)。

総合格闘技[編集]

1997年1月19日、総合格闘技デビュー戦となったWorld Vale Tudo Championship 3で優勝を果たした。

1997年7月17日、UFC初参戦となったUFC 14ヘビー級トーナメントに出場し、優勝を果たした。

1997年10月17日、UFC 15ヘビー級トーナメントに出場し、2連覇を果たした。

1998年3月15日、PRIDE初参戦となったPRIDE.2ブランコ・シカティックと対戦し、シカティックのロープ掴みで失格勝ち。

1999年9月12日、PRIDE.7イゴール・ボブチャンチンと対戦し、グラウンド状態での膝蹴りで失神KO負け。後日、反則である4点ポジションでの膝蹴りだったため裁定が無効試合に変更された。

1999年11月21日のPRIDE.8エンセン井上と対戦予定であったが内臓疾患で欠場した[1]

2000年1月30日、PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦の無差別級グランプリ1回戦でエンセン井上と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2000年5月1日、PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦の無差別級グランプリ2回戦で藤田和之と対戦し、0-3の判定負け。キャリア14戦目で初黒星を喫した。

2001年7月29日、PRIDE.15ヒース・ヒーリングと対戦し、グラウンドの膝蹴りでTKO負け。その後ZERO-ONEでプロレスを数試合行った後、活動休止した。この間に、自身の鎮痛剤中毒経験がアメリカのドキュメンタリー映画「The Smashing Machine」で明かされ、大きな反響を呼んだ。

2004年、2年7か月ぶりの復帰戦となったPRIDE.27山本宜久と対戦し、自らタックルにいったところでリングに頭部を強打し失神TKO負けを喫した。

2006年11月2日、初参戦となったIFLマイク・ホワイトヘッドと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。

2007年2月10日、初参戦となったCage Rageムスタファ・アルタークと対戦し、パウンドでギブアップ負けを喫した。

2009年8月28日、初参戦となったM-1 Globalキング・モーと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。

The Smashing Machine[編集]

The Smashing Machine」は2002年に上映され、2003年1月に米ケーブルテレビHBOで放送された、ドキュメンタリー映画。ケアーの主に1999年のイゴール・ボブチャンチン戦からPRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦までの闘う姿とアルコールをやめられない恋人との私生活、そしてケアーの友人でUFCで打ちのめされどん底にいたマーク・コールマンが家族のために再び立ち上がりPRIDE GRANDPRIX 2000で優勝するまでを追っている[2]。キャリアの絶頂期を迎えていたケアーの転落する姿が奇しくも収められることになった作品で、ケアーが闘うことへの恐怖と葛藤を口にし、その不安と痛みを取り除くために鎮痛剤麻薬に依存する様子が反響を呼んだ。肉体ばかりか精神まで蝕まれ、1999年11月のエンセン井上戦を前に鎮痛剤の摂取過多で心臓が一時停止し、鎮痛剤依存を脱すべくリハビリ施設に入る姿も描かれている。監督はジョン・ハイアムズ。

戦績[編集]

総合格闘技 戦績
27 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
15 4 7 2 2 0 1
11 5 4 2 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× キング・モー 1R 0:25 TKO(パウンド) M-1 Global: Breakthrough 2009年8月28日
× ジェフ・モンソン 1R 3:17 チョークスリーパー Vengeance Fighting Championship 1 2008年9月27日
× ラルフ・ケリー 1R TKO Xp3: The Proving Ground 2008年7月26日
× トレイシー・ウィリス 1R フロントチョーク C3 Fights: Contenders 2008年6月7日
× オレッグ・タクタロフ 1R 1:55 膝十字固め Yamma Pit Fighting 1 2008年4月11日
チャック・フース 1R 2:41 V1アームロック CCCF: Battle on the Border 2008年3月29日
スティーブ・ギャビン 1R 1:39 アームロック WCO: Kerr vs. Gavin 2007年11月7日
× ムスタファ・アルターク 1R 2:29 TKO(パウンド) Cage Rage 20: Born 2 Fight 2007年2月10日
× マイク・ホワイトヘッド 1R 2:40 TKO(パウンド) IFL: World Championship Semifinals 2006年11月2日
× 山本宜久 1R 0:10 TKO(パウンド) PRIDE.27 TRIUMPHAL RETURN 2004年2月1日
× ヒース・ヒーリング 1R 4:54 TKO(グラウンドの膝蹴り) PRIDE.15 2001年7月29日
× イゴール・ボブチャンチン 延長R終了 判定0-3 PRIDE.12 2000年12月23日
ボリショフ・イゴリ 1R 2:06 ネックロック PRIDE.10 2000年8月27日
× 藤田和之 15分1R終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【2回戦】
2000年5月21日
エンセン井上 15分1R終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【1回戦】
2000年1月30日
イゴール・ボブチャンチン 2R 4:45 無効試合(反則) PRIDE.7 1999年9月12日
高田延彦 2R 3:04 チキンウィングアームロック PRIDE.6 1999年7月4日
ウゴ・デュアルチ 3R 2:32 TKO(棄権) PRIDE.4 1998年10月11日
ペドロ・オタービオ 1R 2:13 チキンウィングアームロック PRIDE.3 1998年6月24日
ブランコ・シカティック 1R 2:14 失格(ロープ掴み) PRIDE.2 1998年3月15日
ドゥエイン・ケイソン 1R 0:54 チョークスリーパー UFC 15: Collision Course
【ヘビー級トーナメント 決勝】
1997年10月17日
グレッグ・ストット 1R 0:19 KO(右膝蹴り) UFC 15: Collision Course
【ヘビー級トーナメント 1回戦】
1997年10月17日
ダン・ボビッシュ 1R 1:39 ギブアップ UFC 14: Showdown
【ヘビー級トーナメント 決勝】
1997年7月17日
モティ・ホーレンスタイン 1R 2:23 TKO(パウンド) UFC 14: Showdown
【ヘビー級トーナメント 1回戦】
1997年7月17日
ファビオ・グージェウ 30分1R 終了 判定3-0 World Vale Tudo Championship 3
【決勝】
1997年1月19日
メストレ・フッキ 1R 2:21 失格(場外) World Vale Tudo Championship 3
【準決勝】
1997年1月19日
ポール・ヴァレランス 1R 2:06 TKO(打撃) World Vale Tudo Championship 3
【1回戦】
1997年1月19日

獲得タイトル[編集]

  • World Vale Tudo Championship 3 優勝(1997年)
  • UFC 14ヘビー級トーナメント 優勝(1997年)
  • UFC 15ヘビー級トーナメント 優勝(1997年)
  • 第2回アブダビコンバット 99kg以上級 優勝(1999年)
  • 第3回アブダビコンバット 99kg以上級 優勝、無差別級 優勝(2000年)

脚注[編集]

  1. ^ エンセン VS ケァー中止 BOUTREVIEW 1999年11月11日
  2. ^ 「マーク・ケアー "霊長類ヒト科最強"だった男」 『Sports Graphic Number』No.589、2003年11月27日号

関連項目[編集]