マービン・ハグラー

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マーベラス・マービン・ハグラー
基本情報
本名 Marvin Nathaniel Hagler,後にMarvelous Marvin Haglerに改名
通称 Marvelous
階級 ミドル級
身長 177cm
リーチ 191cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1954-05-23) 1954年5月23日(65歳)
出身地 ニュージャージー州ニューアーク
スタイル 左ボクサーファイタータイプ
プロボクシング戦績
総試合数 67
勝ち 62
KO勝ち 52
敗け 3
引き分け 2
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マーベラス・マービン・ハグラーMarvelous Marvin Hagler1954年5月23日 - )は、アメリカ合衆国男性プロボクサー1980年から1987年までの間に、統一世界ミドル級王者として12度の連続防衛を果たした名王者。サウスポーのオールラウンド・ファイター(サウスポースタイルだが元々右利きで右強打が武器だったので右構えにスイッチすることも多かった)で、あらゆるテクニックと強打、試合運びの巧さ、強靭なメンタルを備え、「ミスター・パーフェクト」と呼ばれた。

人物[編集]

ニュージャージー州ニューアーク生まれ、マサチューセッツ州出身。家族は夫人と5人の子供。現在はイタリア在住。ニックネームは「マーベラス」(驚異的)。

スキンヘッドと彫像のように鍛え上げた褐色の身体が特徴。ただし4戦目のDornell Wigfall 1戦目までは髪の毛が確認されている。ミドル級としては長身とは言えなかったがパンチ力、強固なガード、タフネス(打たれ強さ)、両利きのフォームから動ける完璧なテクニック、ハングリー精神を兼ね備える。同時代に活躍したシュガー・レイ・レナードトーマス・ハーンズロベルト・デュランのような派手な言動は好まず、現役時代は酒や煙草はもちろん、菓子やコーヒーすら口にしない修行僧のような生活を送った。

専門誌のパウンド・フォー・パウンドのランキングでは常に上位に名前が挙がり、その実力はミドル級史上でも屈指と評される。レナード、ハーンズ、デュランとともに1980年代の「中量級黄金時代」を築き上げた。

経歴[編集]

プロデビュー前[編集]

貧しい母子家庭に生まれ、学校は9歳で退学。ヘビー級王者フロイド・パターソンに憧れてボクサーを志す。アマチュアのリングで活躍し、1973年AAU165ポンドの国内王者となった。アマの試合ではメルビンハケット戦が現存している

プロボクサー時代[編集]

1973年5月18日、2回KOを収めプロデビュー。

順調に白星を重ねるが、その強さに王者が対戦を忌避し、「無冠の帝王」の称号を与えられる。

1974年11月26日、レイ・シールズに10回引き分けに終わった。

1976年1月13日、ボビー・ワッツに10回判定負けでプロ初黒星を喫した。

1976年3月9日、ウィリー・モンローに判定負け。しかしシールズ、ワッツ、モンローとは後に再戦しKOで雪辱。この第1戦目は猛吹雪のせいで撮影クルーが到着できなかったがハグラーのスタッフにより撮影されている。


1978年のケビンフィネガン戦について。1戦目は天候不良で撮影クルーが到着しなかったとされるが実際は小ぶりの雪であった。この試合はポイントでリードされていてカットで勝たなければポイントアウトされているところだった。そのため2戦目が組まれた2戦目はハグラーの家族に直接聞いたファンによるとテレビの放映があった

1979年11月30日、WBAWBC世界ミドル級王者ビト・アンツォフェルモと対戦。ハグラー圧倒的有利の下馬評だったが、王者のインファイトに苦しみ引き分けに終わる。

1980年9月27日、WBA・WBC世界ミドル級王者アラン・ミンター(イギリス)に3回1分45秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1981年1月17日、フルヘンシオ・オベルメヒアスと対戦し8回20秒KO勝ちを収め初防衛に成功した。

1981年6月13日、ビト・アンツォフェルモと1年7ヶ月ぶりに対戦し4回終了時棄権によるTKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

1981年10月3日、ムスタファ・ハムショと対戦し11回2分9秒KO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。

1982年3月7日、ウィリアム・リーと対戦し初回1分7秒TKO勝ちを収め4度目の防衛に成功した。

1982年10月31日、フルヘンシオ・オベルメヒアスと1年9ヶ月ぶりに対戦し5回2分35秒KO勝ちを収め5度目の防衛に成功した。

1983年2月11日、トニー・シブソンと対戦し6回2分40秒TKO勝ちを収め6度目の防衛に成功した。シブソン戦はスパーリング中にパートナーのボビーワットにあばら骨を折られそのため実際一度延期になっている。

1983年5月27日、ウィルフード・サイピオンとIBF世界ミドル級王座決定戦も兼ねて対戦し4回2分47秒KO勝ちを収めWBA・WBC王座は7度目の防衛、IBF王座獲得に成功した。その後ロベルト・デュラントーマス・ハーンズ、ファン・ドミンゴ・ロルダン、ジョン・ムガビなど最強の挑戦者相手に12連続防衛(11KO)。

1987年4月6日、シュガー・レイ・レナードに12回1-2(115-113、110-118、113-115)の判定負けを喫し13度目の防衛に失敗し王座から陥落した試合を最後に現役を引退した。

戦績[編集]

日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
50 1979年11月30日 - 15R 引分 ビト・アンツォフェルモ イタリアの旗 イタリア WBA、WBC世界ミドル級王座初挑戦
54 1980年9月27日 勝利 3R KO アラン・ミンター イギリスの旗 イギリス WBA、WBC世界ミドル級王座獲得
55 1981年1月17日 勝利 8R KO フルヘンシオ・オベルメヒアス ベネズエラの旗 ベネズエラ 防衛1
56 1981年6月13日 勝利 6R KO ビト・アンツォフェルモ イタリアの旗 イタリア 防衛2
57 1981年10月3日 勝利 11R KO ムスタファ・ハムショ シリアの旗 シリア 防衛3
58 1982年3月7日 勝利 1R KO ウィリアム・リー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 防衛4
59 1982年10月31日 勝利 5R KO フルヘンシオ・オベルメヒアス ベネズエラの旗 ベネズエラ 防衛5
60 1983年2月11日 勝利 6R KO トニー・シブソン イギリスの旗 イギリス 防衛6
61 1983年5月27日 勝利 4R KO ウィルフォード・サイピオン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 IBFミドル級王座獲得、防衛7
62 1983年11月10日 勝利 15R 判定 ロベルト・デュラン パナマの旗 パナマ 防衛8
63 1984年3月30日 勝利 10R KO ファン・ドミンゴ・ロルダン アルゼンチンの旗 アルゼンチン 防衛9
64 1984年10月19日 勝利 3R KO ムスタファ・ハムショ シリアの旗 シリア 防衛10
65 1985年4月15日 勝利 3R KO トーマス・ハーンズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 防衛11
66 1986年3月10日 勝利 11R KO ジョン・ムガビ ウガンダの旗 ウガンダ 防衛12
67 1987年4月6日 敗北 12R 判定 シュガー・レイ・レナード アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBC王座陥落
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エピソード[編集]

  • マネージャーやトレーナーを頻繁に変えるアメリカのボクサーにしては珍しくデビュー前からペトロネーリ兄弟とのコンビを組み続けた。
  • ハーンズとのタイトルマッチは「THE FIGHT」、レナードとのタイトルマッチは「THE SUPER FIGHT」と銘打たれた。
  • レナード戦の判定については非常に不満があった模様で「連中が俺からタイトルを取り上げて、それをよりによってレナードにやっちまったってのは、たまらないな」と発言している。
  • レナードとの再戦が実現しないまま引退した際「心はイエス(現役続行)だが、頭がノー(引退)と言っている」とのコメントを残した。
  • 引退後のインタビューにおいて、レナード戦にまつわるリング外での雑多な交渉、紆余曲折(レナードの高額報酬要求、12回戦での対戦を望んだレナードのため、保持していたWBAおよびIBF王座を放棄せざるを得なかったこと、その末の僅差判定負け、再戦についての条件面での不満など)に嫌気がさしたことを語っている。
  • テレビのボクシング番組で、アナウンサーがニックネームである「マーベラス(Marvelous)」に言及しないことに不満を抱いたハグラーは、1982年、法的な氏名をMarvelous Marvin Haglerに変更した[1]

脚注[編集]

関連項目[編集]

前王者
アラン・ミンター
WBA世界ミドル級王者

1980年9月27日 - 1987年2月25日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
スンブ・カランベイ
前王者
アラン・ミンター
WBC世界ミドル級王者

1980年9月27日 - 1987年4月6日

次王者
シュガー・レイ・レナード
空位
前タイトル保持者
N/A
IBF世界ミドル級王者

1983年 - 1987年4月6日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
フランク・テート