ミゼットプロレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() | この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
|
ミゼットプロレス(Midget Pro-wrestling)[1]は、低身長症が試合をするプロレス。通称「小人プロレス(こびとプロレス)」。闘う人をミゼットレスラーと呼ぶ。メキシコではミニエストレージャと呼ぶ。日本では全日本女子プロレスで前座として行われていたのが有名。
概要[編集]
北米[編集]
女性のキャットファイトである「泥レスリング」、「オイルレスリング」、「ローションプール」と同じで格闘というより、笑いを取ることを目的としたショーとして興行が成り立っていた。特に小人症の人が見世物、あるいはテレビや映画などで、お笑い取りとして使われた長い歴史があるため、差別的として、北米では70年から80年にかけ衰退し、興行も下層階級の飲み場などの場所で、酒を飲む客の前で、滑稽なコスチュームをした小人のキャットファイトのようなものが殆どであった。しかし、1990年代にアメリカではメキシコの小人レスラーを採用すると共に、体格の小ささと軽量を利用して高いジャンプなど、ルチャリブレを前面に出す小人レスリングや格闘、流血を前面に出したハードコアミジェットレスリングが出現する中、一部のプロレスファンの間で、その人気は復活しつつある。
日本[編集]
日本においては1960年代前半に数回、日本プロレスと関わりのあったプロモーターが、アメリカのミゼットレスラーを招へいして「小人プロレス国際試合」もしくは「小人国プロレス大会」と称し、ミゼットプロレス中心の興行を独自で打った記録が残っている。その際には前座で日本プロレスの選手も出場した[2]。
全日本女子プロレスが旗揚げされた際、ミゼットをメインとして行われ、女子プロレスが前座扱いとされていたがマッハ文朱がデビューして人気を得てからはメインは女子プロレスに移って行った[3]。
コミカルな面が強く彼らを笑い物にしているとして一部の視聴者から非難があり、ザ・ドリフターズの番組や全日本女子のテレビ中継でもカットされるようになった[4]。 ミゼットレスラー達は「自分達は笑われているのでは無い、笑わせているんだ」という自負を持っていた。実際に「自分の技に笑って1人くらい死ぬ人がいれば本望」と発言したミゼットレスラーもおり、記録に残っている[注釈 1][出典無効]。また、影かほるはミゼットプロレスについて「『見世物で何が悪いの。こいつらプロレスやって幸せなんだよ』って思っている。プロレスでカネを稼げて飲みにも行けるし、女も買える。最高に幸せなんだよって。かわいそうっていう考えを持った時点で、ボランティアの人たちは大きな差別をしてると思う」と私見を述べている[5]。
かつては低身長症者は奇形の如く扱われ、就職などで差別されることも多かったことからミゼットプロレスは低身長症の者にとって生活の糧を得る重要な就職口の1つであった。試合がない時には、テレビ局などからの依頼を受けて、小型の着ぐるみを担当するスーツアクターの仕事もこなしていた。
身体的ダメージが蓄積されて身体障害を負うなど健康を害する選手も多く、リスクに見合った金銭的な評価も期待しづらいため、後継者難に悩まされている(全日本女子が経営難になる前は、秩父市に存在した全日本女子の施設の管理人と言う形で引退後の生活を保障されていたが現在は施設も存在しないため、引退後の保障も無いと言う厳しい状況となっている)。一時期は選手がミスター・ブッタマンしかいなくなり、試合が組めなくなったこともある。全日本女子解散直前にプリティ太田がデビューして久方ぶりに試合が組めるようになり、全日本女子解散後はメジャー女子プロレスAtoZに引き継がれるが、ミゼットレスラーが2人しかいない状況が現在まで続いているため、NEO女子プロレス、NEO解散後はREINA女子プロレスで女子レスラーと試合を組ませるようになり、ミゼットレスラー同士の試合は年1回あるかないかの状態である。
メキシコ[編集]
メキシコのプロレス(ルチャリブレ)においては、「ミニエストレージャ」と称した大型レスラーのキャラクターを模した小柄なルチャドール(ルチャリブレのプロレスラー)が相当数いる。その大半はミゼットというより、若干小柄という程度の体格だが、中には明らかに小柄な選手もおり、大柄な選手ではできないようなトリッキーかつ素早い動きによって観客の目を引き付ける重要な役割を果たしている。また、リングネームに小さいの意味のあるCito(シート)やPequeño(ペケーニョ)を付ける場合が多い。中にはマスカリータ・サグラダなど本家を凌ぐ人気を誇る選手さえ存在する。一時期、日本のミゼットレスラーとメキシコのミニエストレージャによる対抗戦が行われたこともある(ただし、両者のファイトスタイルが違っていたので、噛み合ったとは言い難かった)。また、メキシコのミニエストレージャがDRAGON GATEに来日したこともある。
ミゼットプロレスの王座一覧[編集]
- NWA世界ミゼット王座
- UWF世界ミゼット王座
- WCPW世界ミゼット王座
- CMLL世界ミニエストラージャ王座
- WWA世界ミニ王座
- AAA世界ミニ王座
- ペロス・デル・マール・ミニエストレージャ王座
- ナショナルミニエストラージャ王座
- WWWA世界ミゼット王座
- WWWA世界ミゼットタッグ王座
ミゼットレスラー一覧[編集]
- エナニート・フィリ
- オクタゴンシート
- 東健三
- 天草海坊主
- カウボーイ・ブラッドリー
- カウボーイ・ラン
- 角掛留造(角掛仁、角掛ひとし、角掛X、グレート茅場、ミハイル角掛クソチビリ)
- 唐柔太
- グアピート
- クイヘ
- クロード・ジロー(en:Claude Giroux (wrestler))
- ジョージ岡部
- スカイ・ロー・ロー(en:Sky Low Low)
- スマイリー・キング
- ソニーボーイ・カシディ
- ダイナマイト・キング
- ダイアモンド・リル(en:Katie Glass)
- チャッキー
- ツキ(en:Tzuki)
- トム・サム
- ハイチ・キッド(en:Raymond Kessler)
- バウンシング・バーグ
- 隼大五郎(スモール・ブッチャー)
- パンチト・ジミネス
- ピーウィー・ジェイムス
- ファーマー・ピート
- ファーマー・ブルックス(en:Farmer Brooks)
- ファジー・キューピット(en:Fuzzy Cupid)
- ブラウン・パンサー
- プリティ・アトム(ミゼット・イーグル、ジョージ小山)
- プリティ太田(プチ・トマト、ミニマスター)
- ブロック・パアンド
- ホーンズワグル
- マスカリータ・サグラダ(en:Mascarita Sagrada)
- マスカリータ・ドラダ(en:Mascarita Dorada)
- ミスター・ブッタマン(アブドーラ・ザ・コブッチャー、ブタ原人)
- ミスター・ポーン
- ラ・パルキータ
- リトル・タイガー
- リトル・トーキョー(en:Shigeri Akabane)
- リトル・ビーバー(en:Lionel Giroux)
- リトル・フランキー(グレート・リトルムタ)
- リトル・ミスターT
- ロード・リトルブルック(en:Eric Tovey)
- ローン・イーグル
備考[編集]
概要の項に既述した事情から日本ではミゼットプロレスは試合中継などが難しい状況にあるが過去においてテレビに登場した事例はいくつかある。
1960年代前半に「国際試合」と称した興行が日本で行われた際には、フジテレビが下記のとおり、試合中継を放映していた。
- 1960年8月6日「小人国プロレス大会」(於:名古屋市金山体育館、ミゼットプロレスの「日本初の中継」と銘打たれている)
- 1961年3月26日「国際小人プロレス大会」(於:日大講堂)
- 1961年9月23日「国際小人プロレス大会」(於:品川公会堂)
- 1962年5月19日「小人のプロレス大会」(於:日大講堂)
また、日本テレビでも、「三菱ダイヤモンドアワー プロレスリング中継」の枠内において、「小人国プロレス大会」のもようを、1961年4月14日(於:大阪府立体育会館)と4月28日(於:台東体育館)の2度にわたり生中継した[6]。
1980年代、TBSの番組「8時だョ!全員集合」のメインコントにミスター・ポーンが数回出演している。志村けんがポーンを突き飛ばすが、ポーンが何事もなかったように起き上がり、逆に志村を突き飛ばす、というコントを行っていたが、一部視聴者からのクレームにより放送が中止されている。
1984年5月、TBSで放映された女子プロレスを題材にしたドラマ「輝きたいの」には、舞台である「東洋女子プロレス」に特別参加する「男子レスラー」という役柄で、全日本女子プロレス所属ミゼットレスラー数名が出演している。ドラマでは台詞無しながらも数シーンに登場して演技をこなしたり、また数秒ながら実際の試合の模様が流れたりした。
1992年9月30日、フジテレビで深夜枠のドキュメンタリーという形で、「ミゼットプロレス伝説〜小さな巨人たち〜」という90分番組が放送された。
2014年10月20日、BSスカパー!の番組「BAZOOKA!!!」で「復活!ミゼットプロレス生放送」と題して約52年ぶりにミゼットプロレスのテレビマッチが実現している。
2017年6月30日、ABCの番組「探偵!ナイトスクープ」で「ミゼットプロレスに挑戦したい」という依頼で、低身長の依頼者&プリティ太田組対ミスター・ブッタマンの試合が行われた。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 高部雨市は「天草海坊主」の発言だとしている。
出典[編集]
- ^ 英語のMidgetの発音は、日本語のミゼットより、ミジェットと言う方が近い。
- ^ 日プロ(日本プロレス)勢を前座にした小人プロレス国際試合 - 東京スポーツ「高木マニア堂」
- ^ 「誰が小人を殺したか?」小人プロレスから見るこの国のかたち(前編) - 日刊サイゾー
- ^ 存続の危機ミゼットプロレス、プリティ太田の苦悩 - Yahoo!ニュース特集編集2018年3月5日(2018年3月5日アクセス)
- ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)16ページ
- ^ 特に1961年4月28日は、午後にグレート・アントニオが明治神宮外苑にて、満員の大型バスを引っ張るデモストレーションを敢行した日でもあった。当夜にもアントニオは、グレート東郷やミスターXと共に、「小人国プロレス―」のカラー生中継が行われていた台東体育館に乗り込み、挨拶とデモストレーションを行ったという。