ミハイル・ソロメンツェフ

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ミハイル・ソロメンツェフ
Михаил Сергеевич Соломенцев
生年月日 1913年11月7日
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国オリョール県エレツキー郡
没年月日 (2008-02-15) 2008年2月15日(94歳没)
死没地 ロシアの旗 ロシアモスクワ
前職 ソ連共産党党官僚(アパラチキ)
所属政党 ソ連共産党
称号 レーニン勲章社会主義労働英雄
配偶者 ナジェージダ・ニコラエヴナ・ソロメンツェワ

在任期間 1971年7月28日 - 1988年6月24日
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ミハイル・セルゲーエヴィチ・ソロメンツェフロシア語: Михаил Сергеевич Соломенцев、ラテン文字転写の例:Mikhail Sergeevich Solomentsev1913年11月7日 - 2008年2月15日)は、ソビエト連邦政治家

来歴・人物[編集]

カザフ・ソビエト社会主義共和国カラガンダ州第一書記ロストフ州第一書記、カザフ共和国第二書記などを経て、1966年ソ連共産党中央委員会書記・重工業部長に抜擢される。レオニード・ブレジネフ書記長時代の1971年政治局員候補に選出され、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国閣僚会議議長(首相)となる。1983年ソ連共産党統制委員会議長。1984年党政治局員に選出された。

人脈的にはフロル・コズロフの系統であったとされ、また、カザフでの勤務が長かったことからミハイル・ゴルバチョフ時代前期に起こったカザフ暴動(アルマアタ事件)では、事件収拾のため、ゲンナジー・コルビンカザフ党第一書記を背後で支え、党統制委員会議長としてデモ鎮圧に当たった。

ロシア共和国首相時代の1973年12月19日から12月29日まで開催された大シベリア博覧会開会式に出席するため日本を訪問している。

先代:
アーヴィド・ペリシェ
ソ連共産党統制委員会議長
1983年 - 1988年
次代:
ボリス・プーゴ