ミラン・マチャラ

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ミラン・マチャラ Football pictogram.svg
名前
愛称 中東の魔術師
ラテン文字 Milan Macala
チェコ語 Milan Máčala
基本情報
国籍  チェコ
生年月日 (1943-07-04) 1943年7月4日(75歳)
出身地 ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
Flag of the Protectorate of Bohemia and Moravia.svg ベーメン・メーレン保護領ビスクピツェ・ウ・ルハチョヴィツ英語版
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1965-1967
1968-1970
1971-1974
1975-1978
FCテスコマ・ズリーン
FCヴィクトリア・プルゼニ
FCヴィトコヴィツェ
SKシグマ・オロモウツ
監督歴
1980-1981
1982-1984
1984-1986
1986-1990
1990-1993
1994-1996
1996-1999
1999‐2000
2000-2001
2001-2004
2005
2006-2007
2007.6-2010.4.28
2010-2012
2012
チェコの旗 SKシグマ・オロモウツ
チェコの旗 SKスラヴィア・プラハ
キプロスの旗 AEKラルナカFC
チェコの旗 FCバニーク・オストラヴァ
 チェコスロバキア代表
クウェートの旗 カーズマSC
 クウェート代表
 サウジアラビア代表
サウジアラビアの旗 アル・ナスル
 オマーン代表
アラブ首長国連邦の旗 アル・アインFC
 オマーン代表
 バーレーン代表
クウェートの旗 カーズマSC
カタールの旗 アル・アハリ・ドーハ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミラン・マチャラチェコ語: Milan Máčala, 1943年7月4日 ‐ )は、チェコ出身の元サッカー選手、指導者。

来歴[編集]

チェコスロバキア代表監督を1990年から1993年までの間に務めている。その後は中東へと指導の場を移し、クウェートサウジアラビアオマーンバーレーンなどの国で監督を務めている。メディアからは中東の魔術師と呼ばれることがある。

日本代表とは何かと因縁があり、日本代表はマチャラが率いるチームに計10度もの対戦経験がある。1996年のアジアカップではクウェートを率いて準々決勝で日本代表と戦っており、ジャーセム・アル=ホワイディーの2ゴールで2-0で日本を破っている。カタールでは1996年1998年に開催されたガルフカップでも優勝を収めている。

2007年からはバーレーンの代表監督を務めており、2010年ワールドカップ3次予選と最終予選、さらには2011年アジアカップ予選の組み分けで日本と同じグループに組み分けされ、3次予選とアジアカップ予選で二度日本に勝利している。日本の選手の中では中村俊輔を司令塔として警戒している[1]

2010 FIFAワールドカップ・アジア予選では、前回に続いてアジア5位決定戦に進出し、サウジアラビアとの対戦を2試合合計2-2で終えるも、アウェイゴール数の差により、アジア5位となり、ニュージーランドとの大陸間プレーオフに進出した。ホームの第1戦を0-0のスコアレスドローで終え、敵地ウェリントンでの第2戦に臨んだが、前半にコーナーキックから失点し0-1で試合終了。2010 FIFAワールドカップ出場はならなかった。

予選敗退の責任を取り、バーレーンサッカー協会とマチャラの双方の合意の下、2010年4月28日、バーレーン監督の契約を終了した。

その後、1994年から1996年に監督を務めたクウェートのクラブチームカーズマSCの監督に、2010年途中で再び就任し、2012年まで監督を務めた。2012年途中で、カタールのクラブのアル・アハリ・ドーハの監督に就任した。

脚注[編集]