メアリー・カリロ

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メアリー・カリロ
Mary Carillo
Tennis pictogram.svg
基本情報
フルネーム Mary Jean Carillo
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・ニューヨーク市クイーンズ
生年月日 (1957-03-09) 1957年3月9日(61歳)
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1977年
引退年 1980年
ツアー通算 0勝
シングルス 0勝
ダブルス 0勝
4大大会最高成績・シングルス
全仏 2回戦(1977)
全英 3回戦(1979)
全米 1回戦(1977・79)
4大大会最高成績・ダブルス
全仏 ベスト8(1977)
全英 3回戦(1977)
全米 ベスト8(1977)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全仏 優勝(1977)
全英 ベスト8(1977)
優勝回数 1(仏1)
テンプレート  プロジェクト テニス

メアリー・カリロMary Carillo, 1957年3月15日 - )は、アメリカニューヨーククイーンズ出身の元女子プロテニス選手。1977年全仏オープン混合ダブルス部門で、ジョン・マッケンローとペアを組んで優勝した選手である。左利き。フルネームは Mary Jean Carillo(メアリー・ジーン・カリロ)という。

来歴[編集]

メアリー・カリロとジョン・マッケンローは、幼少時代からテニスの遊び友達だった。カリロは成長期に、往年のオーストラリアの名選手だったハリー・ホップマンのテニス・スクールで学び、ビタス・ゲルレイティスと妹のルタからも大きな刺激を受けた。1977年にカリロはプロテニス選手になり、その年の全仏オープン混合ダブルスで、幼なじみのマッケンローとペアを組んだ。2人は決勝でイワン・モリナ(コロンビア)&フロレンツァ・ミハイルーマニア)組を 7-6, 6-3 で破り、4大大会タイトルをここで獲得した。その後、カリロはウィンブルドン混合ダブルスでマッケンローと組んでベスト8に入り、全米オープンでは女子ダブルスのベスト8に入った。ところが、カリロは膝の故障のため、わずか3年後の1980年にプロテニスからの引退を余儀なくされた。(パートナーのマッケンローは、2年後の1979年全米オープンで4大大会男子シングルス初優勝を飾り、以後男子シングルス7勝・男子ダブルス9勝を獲得した。)

カリロは短い選手生活からの引退後、優れたスポーツ・キャスターとして名声を築き、テレビ解説者として数多くの賞を受賞してきた。1983年に、カリロはマルチナ・ナブラチロワの初めての自伝的著書『テニス・私の人生』“Tennis My Way”の共著者になった。彼女の代表作の中には、ビリー・ジーン・キング夫人の半生を描いた『ビリー・ジーン・キング:開拓者の肖像』(Billie Jean King: Portrait of a Pioneer)というドキュメンタリー・フィルムのプロデュースなどがある。最近はNBCテレビで2006年トリノオリンピックのスケート・ショー“Olympic Ice”(オリンピック・アイス)の製作・司会を務めた。