モサド

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イスラエル諜報特務局
Institute for Intelligence and Special Operations
המוסד למודיעין ולתפקידים מיוחדים
創設 1948年
国籍 Flag of Israel.svg イスラエル
上級部隊 イスラエル・インテリジェンス・コミュニティー
ニックネーム モサッド
主な戦歴 中東戦争

イスラエル諜報特務局(イスラエルちょうほうとくむきょく、英語: Institute for Intelligence and Special Operations, ヘブライ語: המוסד למודיעין ולתפקידים מיוחדים‎)は、イスラエル情報機関首相府管下に在り、対外諜報活動と特務工作を担当。イスラエル・インテリジェンス・コミュニティーのメンバー。

ヘブライ語名のハ-モサッド・レ-モディイン・ウ-レ-タフキディム・メユハディムの最初の部分の「ハ-モサッド(המוסד)」を固有名詞的にイスラエル諜報特務局を表すものとして呼ぶ事はイスラエルで一般的である。また、日本で一般化したモサドという言葉は、ヘブライ語のモサッド(מוסד)が日本語的に訛ったもの。モサッドはヘブライ語で組織や施設、機関といった意味で使われる。

目次

概要

情報収集、秘密工作(準軍事的な活動および暗殺を含む)および対テロリズム活動、逃亡している元ナチス戦犯の捜索などを行い、その焦点は主にアラブ国家などの敵対国に向けられ、組織の拠点は世界の至る所に存在する。モサッドは「民間のサービス」という名目で、スタッフはすべて、イスラエルの徴兵システムの一部としてイスラエル国防軍に採用されるが、軍隊の階級を使用しない。また、それらのうちの多数は士官である。世界各国にユダヤ人ならではの人脈もあり、諜報活動においては他国の追随を許さない。

局員のリクルートに非常に神経を遣っていることで知られ、リクルートの対象となった人物がスパイとして適格か否かを判断するまで、平均3~4年という時間をかける。リクルートの対象となった人物は知能・知性を中心に、品性、社交性、思想、体力などありとあらゆるデータを徹底的に精査されるという話からも、モサッドのリクルーターたちの有能さが窺い知れる。

歴史 

ユダヤ機関とハガナー 

イスラエル諜報特務局の組織的源流は主に2つ。1つは英国国際連盟委任統治領パレスチナのハ-イシューブユダヤ人社会)の政府であったユダヤ機関外交部及び諜報部の政治局。ハイム・アルロゾロフ(1931-33)やモシェ・シャレット(1933-48)が歴代局長を務めた。ハ-モサッド初代長官ルーヴェン・シロアッフも政治局員であった。2つめは1940年に創設されたハガナー情報部の英国課である。

イスラエル独立 

1948年5月14日にイスラエル国家独立。軍事組織ハガナーを基にイスラエル国防軍創設。

コミュニティー成立 

モサッド公式サイトは1948年6月7日にダヴィド・ベン=グリオン首相がハガナー情報部を解体を命令したとしている。高級紙ハ-アレッツの諜報問題担当記者のヨッシー・メルマンによると、国防軍創設直後の1948年6月30日にイセル・ベーリーらによりハガナーの情報部門のシャイは解体されて、下記の3つの組織に再編された。メルマンはこの日をイスラエル・インテリジェンス・コミュニティーの誕生した日としている。

外務省政治局 

モシェ・シャレット外務大臣(及びベン=グリオン首相)の特務問題顧問であったルーヴェン・シロアッフ監督下の外務省政治局が対外諜報活動を担当。モサッドの前身となる。政治局局長にはボリス・グリエルが就任。シモン・ペレスの弟ギギー・ペレスも政治局に所属していた。

問題点 

外務省政治局の諜報活動における浪費は耐久生活が続くイスラエル建国期の質実剛健の気風に合わず、他の情報機関から反感を買い、政治局員の中傷が流された。さらに政治局の情報の質が低かったので、当時の安全保障問題専門家達は危機感を持ち、イスラエル軍作戦部情報課とイスラエル保安局は独自に対外諜報活動を始めて混乱が生じたので、それを一本化する強力な中央情報機関が望まれた。シロアッフに報告を受けていたダヴィド・ベン=グリオンは事情をよく理解していた。

モサッド創設 

シロアッフの勧めもあってベン=グリオンは、1949年12月13日に上記3組織の諜報活動の調整の為に総理府と外務省両属の諜報保安集中調整局(モサッド・レ-リクーズ・ウ-レ-テウーム・シェルテイ・ハ-モディイン・ヴェ-ハ-ビタホン)創設をシロアッフに命令した。モサッド公式サイトではこの日を正式な創設日と指定している。[1][2]一方メルマンは外務省政治局が廃止された1951年3月をモサッド創設日と考えている。

初代長官シロアッフ 

ベン=グリオンの命によりモサッド初代長官にはルーヴェン・シロアッフが就任。この移行期に対外情報機関として外務省政治局とそれを監督する諜報保安集中調整局は並存。

外務省スパイの反乱 

1950年、ルーヴェン・シロアッフは外務省政治局解散を決定。段階的に諜報保安集中調整局への吸収を進めた。それに対して政治局員は猛反発。その際にスパイ達は秘密報告書を燃やして抵抗。さらに集団辞職へ発展。1951年3月、最終的に外務省政治局は廃止された。

諜報特務局 

外務省政治局の資産を収めた諜報保安集中調整局は諜報特務局(ハ-モサッド・レ-モディイン・ウ-レ-タフキディム・メユハディム)と名を改める。同時に外務省傘下から総理府直轄へと移る。メルマンによると、この時期にイスラエル情報機関は手本であった英国型から元首直属の米国型となる。

初期の長官 

ルーヴェン・シロアッフが健康の為に辞任すると、イセル・ハルエルは1952年から1963年まで諜報特務局長官に就任。1952年にはイスラエル総保安局長官を兼任して安全保障担当というポジションについた。

機構

要員数

情報機関員数は、一般的にその秘密性から正確な数字は不明である。日本政府によると1500~2000人と推測されている。[3]正職員の外、世界中に存在するユダヤ人を協力者、サイアニムen:Sayanim)として利用することができる。

機構

主要部門としては、以下のものが存在する。

  • ツォメト:モサド最大の部署で、スパイからの諜報情報の収集を担当
  • ネヴィオト(旧クエシェト):盗聴等を通した諜報情報の収集
  • メトツァダ(旧ツェザレヤ):特殊作戦
  • キドン:首相が議長を務めるX委員会が承認した人物の暗殺を担当
  • 情報局:心理戦(プロパガンダ、偽情報)を担当。捕虜や行方不明者の情報収集も担当する。
  • テヴェリ:友好国との連絡
  • ツァフリリム:全世界のユダヤ人の安全を担当

以上の部門は、副長官が業務を管掌する。その外、訓練課、人事・会計課、技術・諜報設備課、研究課等が存在する。

歴代長官

著名な諜報員

関連項目

注釈

  1. ^ http://www.mossad.gov.il/Eng/About/History.aspx
  2. ^ http://www.mossad.gov.il/About/History.aspx
  3. ^ 外国の主な情報・団体規制機関の所属組織等 - 首相官邸web

参考資料

  • ゴードン・トーマス著「憂国のスパイ イスラエル諜報機関モサド」光文社刊、1999年。ISBN 433496091X
  • ョージ・ジョナス著「標的(ターゲット)は11人―モサド暗殺チームの記録」新潮文庫、新庄哲夫翻訳、1986年。ISBN 978-4102231012
  • 落合信彦著「最強情報戦略国家の誕生」小学館刊、2007年。ISBN 4093895562
  • 落合信彦著「モサド、その真実―世界最強のイスラエル諜報機関」集英社文庫、1984年。ISBN 978-4087507973
  • Ephraim Kahana, "Historical dictionary of Israeli intelligence", The Scarecrow Press, Inc. Oxford, 2006
  • Ian Black & Benny Morris, "Israel’s Secret Wars: A history of Israel’s Intelligence Services", Grove Press, New York, 1991

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