モハマドゥ・イドリス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
モハマドゥ・イドリス Football pictogram.svg
Moidrissou.jpg
名前
愛称 Mo
ラテン文字 Mohammadou Idrissou
基本情報
国籍 カメルーンの旗 カメルーン
生年月日 (1980-03-08) 1980年3月8日(38歳)
出身地 ヤウンデ
身長 191cm
体重 82kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
カメルーンの旗 バフーサム 20 (5)
1999-2000 カメルーンの旗 コトンスポール・ガルア 24 (7)
2000-2001 ドイツの旗 FSVフランクフルト 18 (15)
2001-2002 ドイツの旗 ヴェーエン 31 (13)
2002-2006 ドイツの旗 ハノーファー 60 (13)
2006-2007 ドイツの旗 デュースブルク 45 (8)
2008-2010 ドイツの旗 フライブルク 74 (25)
2010-2011 ドイツの旗 ボルシアMG 33 (5)
2011-2012 ドイツの旗 フランクフルト 26 (14)
2012-2014 ドイツの旗 カイザースラウテルン 61 (30)
2014 イスラエルの旗 マッカビ・ハイファ 5 (0)
2015 マケドニア共和国の旗 シュケンディヤ 5 (0)
2015-2016 ドイツの旗 KFCユルディンゲン05 22 (9)
代表歴2
2003-2014 カメルーンの旗 カメルーン 41 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2014年4月15日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

モハマドゥ "モ" ・イドリスMohammadou Idrissou, 1980年3月8日 - )は、カメルーンヤウンデ出身の元同国代表サッカー選手イドリソとも表記される。

経歴[編集]

クラブ[編集]

母国のRCバフーサム英語版, コトンスポール・ガルアを経て[1]、2000-01シーズン冬の中断期間にドイツ5部FSVフランクフルトへ移籍した。FSVでは18試合15得点と大活躍したが4部に昇格出来なかった。しかし、イドリス個人としては翌2001-02シーズンに3部SVヴェーエンに引き抜かれ、サベル・ベン・ネティシャ(Saber Ben Neticha)とコンビを組み得点を量産した。

翌シーズンに移籍金30万ユーロで1部の加入すると、フレディ・ボビッチとコンビを組み、初のトップリーグ挑戦ながら9得点を挙げる活躍を見せ、シーズン終了後に契約を2006年まで延長した[2]。しかし、2004-05シーズンになると先発出場が1試合と出場機会が僅かなものとなり、さらに同シーズン冬の移籍市場でチームはヴェリコ・パウノヴィッチを獲得したことで居場所が失くなり、フランス1部SMカーンに貸し出された[3]

2006年1月にMSVデュースブルクと個人契約を結ぶも、膝の問題からメディカルチェックを失敗し参加出来ず[4]。また、ハノーファーに戻ることが出来ず無所属の状態に陥った。同年6月に今度はメディカルチェックに合格し、デュースブルクに2年契約で無事加入した[5]2部のデュースブルクでは8得点を挙げ昇格に貢献したが、翌シーズンの1部の舞台では無得点の日々が続き、2008年1月の移籍市場終了直前に2部のSCフライブルクへ移籍。フライブルクでの1年半は、ロビン・ドゥット英語版監督の下でレギュラーとして25得点を挙げる活躍を見せ、ファンから一番人気を集めた[1]

フライブルクから契約延長のオファーがあったが拒否し、2010-11シーズンに自由移籍でボルシア・メンヒェングラートバッハへ2年契約で移籍[6]し、33試合5得点を挙げた。2011-12シーズンになるとリュシアン・ファーヴル監督の構想外となり、2011年8月31日に2部のアイントラハト・フランクフルトへ加入[7]。7節のアウェー エネルギー・コットブスとのデビュー戦(3-3)で89分に初得点を挙げ、8節のハンザ・ロストック戦(4-1), 9節のディナモ・ドレスデン戦(4-1)でそれぞれ2得点と3試合で5得点と量産し、最終的に14得点を挙げ昇格に貢献したものの、2012年7月27日に2部の1.FCカイザースラウテルンと契約した[8]

代表[編集]

ユース時代に1999 FIFAワールドユース選手権に出場。A代表としては2003年にデビューを果たし、同年のFIFAコンフェデレーションズカップ2003に出場。コンフェデレーションズカップでは全5試合に出場し、チームは準優勝するも得点を挙げることは出来なかった。それから程なくして代表から遠ざかり、2006年に呼び戻されるなど定着は出来ずにいたが、ポール・ル・グエン監督の下ではレギュラーとしてサミュエル・エトーとコンビを組む[9]までになり、2010 FIFAワールドカップのメンバー入りを果たしたが、グループリーグ最下位で敗退した。また、エトーとのコンビにはピエール・ウェボエリック・マキシム・シュポ=モティングが選ばれ、イドリスは全3試合途中出場だった。

脚注[編集]

  1. ^ a b "Cameroun: Idrissou Mohamadou va-t-il sauver Mochengladbach?"
  2. ^ "Mo' money for Idrissou"
  3. ^ "Hannover sign Serb"
  4. ^ "Idrissou switch falls through"
  5. ^ "Idrissou joins Zebras"
  6. ^ "Official: Borussia Moenchengladbach Sign Cameroon Striker Mohamadou Idrissou From Freiburg"
  7. ^ "Eintracht Frankfurt verpflichtet Mo Idrissou von Mönchengladbach"
  8. ^ "Idrissou leaves Frankfurt"
  9. ^ "Mohamadou Idrissou 選手プロフィール"