モリソン号事件

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モリソン号

モリソン号事件(モリソンごうじけん、: Morrison Incident)とは、1837年天保8年)、日本人漂流民(音吉ら7人)を乗せたアメリカ合衆国の商船を日本側砲台が砲撃した事件[1]

鹿児島湾浦賀沖に現れたアメリカのオリファント商会英語版の商船「モリソン号 (Morrison) 」(ロバート・モリソン (宣教師)に因んだ命名)をイギリス軍艦と勘違いし、薩摩藩および浦賀奉行太田資統は異国船打払令に基づき砲撃を行った(江戸湾で砲撃を命ぜられたのは小田原藩川越藩)。日本の大砲の弾は、炸裂しない鉄の塊であったので被害は少なかったが、武装は無かったので日本を離れることになった[3]

しかし、このモリソン号にはマカオで保護されていた日本人漂流民の音吉庄蔵寿三郎ら7人が乗っており、モリソン号はこの日本人漂流民の送還と通商・布教のために来航していたことが1年後に分かり、異国船打払令に対する批判が強まった[1]

のちに、『慎機論』を著した渡辺崋山、『戊戌夢物語』を著した高野長英らが幕府の対外政策を批判したため逮捕されるという事件(蛮社の獄)が起こる[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c モリソン号事件とは”. コトバンク. 朝日新聞. 2021年1月5日閲覧。
  2. ^ 山田 2004, p. 22.
  3. ^ これを教訓に、ペリーは完全武装で日本へ向かったという[2]

参考文献[編集]

  • 田中, 弘之『「蛮社の獄」のすべて』吉川弘文館、2011年。
  • 山田, 勝『イギリス紳士の幕末』日本放送出版協会、2004年8月30日。

関連項目[編集]