ペスカロロ・01

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ペスカロロ・01
Pescarolo 16 Side.jpg
カテゴリー LMP2
コンストラクター ペスカロロ・スポール
デザイナー Andre de Cortanze
主要諸元
シャシー CFRP モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン式OHVダンパー
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン式OHVダンパー
ホイールベース 2,795 mm (110.0 in)
エンジン ジャッド GV5.5 S2 5.5 L N/A V10, ジャッド XV675/DB 3.4 L N/A V8, マツダ MZR-R 2.0 L T/C I4, ジャッド-BMW HK 3.6 L N/A V8, 日産・VK45DE 4.5 L N/A V8, ジャッド GV5 S2 5.0 L N/A V10 縦置きミッドシップ
トランスミッション X-Trac 6速 シーケンシャル・マニュアル
重量 925kg (2,039lbs)
タイヤ ミシュランDunlopコンチネンタルクムホ
主要成績
チーム フランスの旗 ペスカロロ・スポール
イギリスの旗 ロールセンター・レーシング
フランスの旗 ソルニエ・レーシング
フランスの旗 オーク・レーシング
ドイツの旗 クルーゼ・モータースポーツ
ドライバー フランスの旗 エマニュエル・コラール
フランスの旗 ジャン=クリストフ・ブイヨン
フランスの旗 ロマン・デュマ
スイスの旗 アロルド・プリマー
フランスの旗 クリストフ・タンソー
フランスの旗 ブノワ・トレルイエ
イギリスの旗 スチュアート・ホール
ポルトガルの旗 ジョアン・バルボサ
ベルギーの旗 ヴァニーナ・イクス
中華人民共和国の旗 程叢夫
フランスの旗 ブルース・ジュアニ
フランスの旗 ジュリアン・ジュス
デンマークの旗 デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
初戦 モンツァ1000キロレース(2007年)
出走優勝ポールFラップ
21200
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ペスカカロ・01 (Pescarolo 01) は、フランスのレーシングチームのペスカロロ・スポールが完全自社製作した最初のプロトタイプレーシングカーである。ル・マン・シリーズル・マン24時間レースで使用されるル・マン・プロトタイプのLMP1とLMP2の車両規定に沿って設計されており、クラージュ・コンペティションから購入した車両に大規模な改造を加えて製作された(ペスカロロ・スポールの前作のレーシングカーである)クラージュ・C60のシャシーの後継モデルとなる。デビューレースは2007年のモンツァ1000キロレースであり、その後もいくつかのチームによって今なお使われ続けている。

開発[編集]

2006年末、プロトタイプレーシングカーのクローズドタイプのコックピットの開発を促進させることを主眼とする新しいレギュレーションが、フランス西部自動車クラブ (ACO)が協賛する様々なシリーズに対して発効することとなった。これらのレギュレーションは、シャシーのレイアウトに関して広範囲にわたる変更を余儀なくさせ、2006年シーズンで使用していたレースカーは翌2007年シーズンでは不適合車となってしまう為、多くのチームが新車を購入するか製造するかを迫られることになった。この時ペスカロロ・スポールは、ベース車のクラージュ・C60にペスカロロ・スポールが数年前に大規模な改造を施した2台のペスカロロ・C60でレース参戦を行なっていた。しかしながらC60は2007年から発行されるレギュレーションに適合しない為、チームオーナーのアンリ・ペスカロロは初めてフル(完全製作の)コンストラクター(レースカー製造者)になることを決断した。C60の多くの機能は01の設計に引き継がれることになった。

C60と異なる点として、01は自チームであるペスカロロ・スポールのみによる使用だけでなく、他チームに対しても01の顧客として販売することを想定して開発されている。LMP1とLMP2の両クラスのレギュレーション規定に適合しながら、顧客の要望ごとに細かい違いの01のバリエーションを設計して、顧客層の拡大に努めている。

レースの歴史[編集]

2007年[編集]

01の第1号車が完成すると、いくつかのチームがシャシーの購入の意向を発表した。イギリスのチームのロールセンター・レーシング(Rollcentre Racing)は、LMP1のカテゴリーに再参入し、ジャッドのエンジンを搭載した2台のペスカロロ・01で戦うことを選択した。ドイツのチームのクルーゼ・モータースポーツ(Kruse Motorsports)は、(LMP1より)小排気量のジャッド製V8エンジンを動力源として使用するLMP2カーの最初の購入者であった。リスター・カーもまた、不適合となってしまった(それまで使用していた)プロトタイプレーシングカーのストーム LMPに替わって、01のシャシーを購入して改良を図る意向を示している。

01のデビューレースとなるル・マン・シリーズの開幕戦でプジョーのワークス製ディーゼルエンジンを積んだ2台のペスカロロ・スポールのレースカーが出走し、ペスカロロ・スポール16号車は何とか2位に入り、17号車は4位に入っている。ロールセンターとクルーゼのレースカーもまたポイント獲得圏の順位に入っている。

前年2006年のレースで2位に入っていることからル・マン24時間レースの自動招待枠を獲得しているペスカロロ・スポールは、ペスカロロ・01を投入して参戦している。ル・マン・シリーズに参戦中の4台のペスカロロ・01は全て参戦し、3台が完走を果たした。エマニュエル・コラール/ジャン=クリストフ・ブイヨン/ロマン・デュマら3人がドライブするペスカロロ・スポール16号車は、優勝したアウディに11周差の3位に入っている。更に11周後方の4位にロールセンターのレースカーが入っている。ペスカロロ・スポール17号車は完走して13位に入ったが、クルーゼのレースカーはメカニカルトラブルでレースの前半にリタイアに追い込まれている。

次戦のニュルブルクリンク1000キロレースでは、ペスカロロ・スポールのレースカーは2台のプジョー・908 HDi FAPに続く3位に再び入っている。8月19日のスパ1000キロレースでは、ペドロ・ラミー/ステファン・サラザンがドライブするプジョー車(もう1台のプジョー車はメカニカルトラブルで完走できず)に続く2位に入り、もう1台のペスカロロ・スポールのレースカーは4位となっている。

9月16日に開催されたイギリスのシルバーストン1000キロレースでは、コラールとブイヨンのドライブする16号車はプジョー車に続く2位に再び入り、プライベートチームのロールセンターが3位となった。

11月10日にインテルラゴス・サーキットで開催されたル・マン・シリーズ最終戦のブラジル1000マイルレースでは、ペスカロロ・01は(ブイヨン/コラール/アロルド・プリマーら3人のドライブによる)1台のみのエントリーとなったが、2台のプジョー車とクリエーション・CA07に続く4位に入った。

ペスカロロ・スポール16号車は、LMP1のチーム・ランキングでペスカロロ・スポールを2位に押し上げ、良い成績をもたらした。ペスカロロ・スポール17号車は、ポイント獲得に苦しんでランキング7位に終わったが、ロールセンター・チームはそのワークスの17号車を上回るランキング4位の成績を挙げた。クルーゼは、トランスポーターが輸送中に出火に遭い、チームのレースカーを破壊した為、シーズンの活動を切り上げることになった。

2008年[編集]

2008年シーズンは、5台のペスカロロ・01がル・マン・シリーズにエントリーしている。ペスカロロ・スポールとロールセンターは(新07シャーシにしたペスカロロ・01の)前年の車両でエントリーしているが、更に2台の01がフランスのソルニエ・レーシングによってエントリーされた。ジャック・ニコレがオーナーとなったこのチームは、(以前に使用していた05シャーシの01による)LMP1クラスと、(完全に新設計した06シャーシの01による)LMP2クラスの2つのカテゴリーにエントリーした。

LMP1クラスで4つのチームは、前年の王者のプジョーだけでなくアウディという強敵が新たに参入することになり、前年以上に手強い戦いを強いられた。ペスカロロ・スポールは、16号車と17号車がそれぞれ1回ずつ、合わせて2回表彰台に昇った。16号車は、ペスカロロ・01勢最上位のチーム・ランキング6位に入り、他のペスカロロ・01勢のチームも最低1ポイント以上を獲得している。LMP2クラスでは、最新のジャッド製V8エンジンを搭載したソルニエ・レーシングがニュルブルクリンク1000キロレースで2位の好成績を挙げ、非ポルシェ勢最高位のチーム・ランキング4位に入っている。

ル・マン24時間レースには、ル・マン・シリーズに参戦中の5台のペスカカロ・01が全て出走し、4台が完走を果たしている。ペスカロロ・スポール17号車はガソリン車最上位の総合7位に入った。ロールセンターは総合11位、LMP1のソルニエ・レーシング車は総合26位に入っている。LMP2のソルニエ・レーシング車はクラス優勝したポルシェに11周差のクラス3位となり、総合18位にも入った。前年の3位で表彰台を獲得したペスカロロ・スポール16号車のみ完走を果たせずにレースを終えた。

2009年[編集]

2009年シーズンは、ペスカロロ・スポールと(ソルニエ・レーシングが改名した)オーク・レーシングが、「Evo」と名付けられたシャーシを用いた2台ずつのペスカロロ・01で、ル・マン・シリーズにエントリーしている。オーク・レーシングは本シーズンからフランス・マツダと組むこととなり搭載エンジンを変更した。ペスカロロ・スポール16号車は、LMP1クラスのチーム・ランキングでローラ・アストンマーティン B09/60を使用したAMR イースタン・ヨーロッパの13ポイント差の2位につけた。ペスカロロ・スポール17号車は開幕2戦をペスカロロ・01を使用しただけで、その後はプジョーのレースカーに切り替えている。オーク・レーシングはLMP2クラスのチーム・ランキングで6位と8位に入ったが、8位の35号車はペナルティを受けて10ポイントを減点されている。35号車はもしペナルティを受けていなければ、ランキング4位につけていた。

ペスカロロ・スポールは、ル・マン24時間レースにペスカロロ・01を16号車1台のみしか使用しなかった。17号車はプジョー・908 HDi FAPを使用した。オーク・レーシングはLMP2クラスに2台のペスカロロ・01を擁してル・マンに臨んだ。ペスカロロ・スポール16号車は、9台のディーゼルエンジン車のLMP1勢とガソリンエンジン車のアストンマーティン・レーシングとオレカといったしぶといライバルを相手に総合8位に入っている。LMP2クラスに出走したオーク・レーシングのレースカーは、24号車が好走してクラス3位で総合20位に入った。35号車は208周した時点でリタイアしている。

2009年12月、オーク・レーシングはペスカロロ・スポールの事業の製造部門を引き継ぐことについて、ペスカロロ・スポールと合意した。その結果、ペスカロロ・スポールに関わる全ての商業活動ばかりでなく、そのプロトタイプレーシングカーの開発とシャーシやボディワークやスペアパーツの製造などについてもオーク・レーシングが引き受けることになった[1]

2010年[編集]

2010年、ペスカロロ・スポールは6月に管財人による管理下に置かれた後に結局7月13日に解散に追い込まれた為、一切のレース活動を行なわなかった。しかしながら、フランス・マツダと未だ提携を続けていたオーク・レーシングは、LMP2クラスに(Evoシャーシの)2台のペスカカロ・01でル・マン・シリーズに参戦している。

2010年10月15日、ペスカロロ・スポールの資産売却の際、オーク・レーシングのオーナーのジャック・ニコレとプレスティージ・レーシングののジョエル・リヴィエールは共同して敷地を購入し、後でアンリ・ペスカロロに譲与して、彼にペスカロロ・スポールのチームを復活させた。

2011年[編集]

2010年7月のペスカロロ・スポールの財政難による破産の後、その事業を引き継いでチーム名を新しく「ペスカロロ・チーム」と改めた組織下のチームにペスカロロは復帰している。ペスカロロ・チームはル・マン・シリーズル・マン24時間レースのLMP1クラスに参戦した。オーク・レーシングは、2台のLMP1カーと2台のLMP2カーに独自のモディファイを施した「オーク・ペスカロロ・01」というバージョンでル・マン24時間レースに参戦している。セブリング12時間レースに参戦したオーク・ペスカロロ・01の35号車はLMP2クラスで3位に入った。残る2台のLMP1カーのオーク・ペスカロロ・01はどちらもリタイアしたが、その内の1台はフル・コース・コーションの後に短い時間だがトップに立っている。ペスカロロ・チームはカステレ6時間レースに1台のみで参戦し、念願の総合優勝を果たした。古いエンジンの為に規定の適用免除を受けたジャッドのV10を搭載したレースカーは、エマニュエル・コラール/クリストフ・タンソー/ジュリアン・ジュスのドライブにより2位に1周差をつけてチェッカーを受けている[2]

2012年[編集]

オーク・レーシングは、チームの設計・製造・販売の部門を分割し、オンローク・オートモーティヴと名付けた会社を分社化して設立し、間近に開催が迫った2012年のFIA 世界耐久選手権のLMP1クラスにペスカロロ・01のモディファイ版を前年に引き続いて走らせることにした。ペスカロロ・01のLMP2カーは、オーク・レーシングが提携している「モーガン」に因み、「モーガン・LMP2」と改名した。

ペスカロロ・01のLMP1カーは開幕戦の1戦のみの出走で、その後はアストンマーティン・AMR-Oneをモディファイしたペスカロロ・03に切り替えることが予め決定されていた。ペスカロロ・チームがペスカロロ・01を使用する最後の機会となった(アウディ・R18 TDIを使用するヨースト・レーシングが勝利を収めた)セブリング12時間レースにおいて、5リッターのエンジンを搭載して総合6位・LMP1チーム・ランキング3位に入っている。オーク・レーシングは、セブリングにおいてLMP2クラス2位に入ったが、その後非常に荒れたシーズンを過ごし、LMP2トロフィーで4位に終わっている。

2013年[編集]

2013年、オーク・レーシングはモーガン・ニッサン・LMP2でル・マン24時間レースでLMP2のクラス優勝を成し遂げた。

オーク・レーシングは、2013年初頭にオーク・ペスカロロ・01によるレース参戦の継続中止と、モーガン・LMP2にレース参戦に集中することを正式に決定した。モーガン・LMP2は、ニッサン・VK45DEエンジンを新たに搭載し、ル・マン24時間レースのLMP2クラス優勝を果たし、アジアン・ル・マン・シリーズFIA 世界耐久選手権の両タイトルを獲得するなど、輝かしい成功を謳歌したシーズンとなった。

2014年[編集]

2014年シーズン、オーク・レーシングはスポンサーの名称をチーム名に付けてG-ドライブ・レーシングと改め、そのG-ドライブ・レーシングの下でモーガン・LMP2はFIA 世界耐久選手権に参戦することになった。開幕2戦のシルバーストン6時間レースとスパ・フランコルシャン6時間レースではLMP2のクラス優勝を挙げている。ル・マン24時間レースの予選では総合13位、クラス3位の順位につけたが、決勝ではリタイアを喫して完走は成らなかった。その後のシーズン、G-ドライブ・レーシングは新車のリジェ・JS P2への切り替えを推進することになった。

2016年[編集]

ル・マン24時間レースの「ガレージ56」枠で、炎壊疽性筋膜炎によって四肢を切断したフランス人ドライバーのフレデリック・ソーセ(Frederic Sausset)が率いる「ソーセ・レーシングチーム41」(「SRT41」)が出走権を得たが、チームの2人の健常者のドライバーのみならず手足のないソーセでもドライブ出来るように改造したモーガン・LMP2が出走を果たしている。賞典外だが完走を果たし、総合38位に入った。

脚注[編集]