モーリー・ウィルス

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モーリー・ウィルス
Maury Wills
Maury Wills 2009 (edit).jpg
2009年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ワシントンD.C.
生年月日 (1932-10-02) 1932年10月2日(88歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 遊撃手三塁手
プロ入り 1951年
初出場 1959年6月6日
最終出場 1972年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

モーリス・モーニング・ウィルスMaurice Morning Wills, 1932年10月2日 - )は、アメリカメジャーリーグの元プロ野球選手。ワシントンD.C.出身。右投両打。ポジションは遊撃手三塁手

来歴・人物[編集]

1960年代、3度のリーグ優勝、2度のワールドシリーズ制覇を成し遂げたロサンゼルス・ドジャースで、チームの攻守の要として活躍した。

高校卒業後、1951年に当時ニューヨークのブルックリンに本拠地を置いていたドジャースに入団したが、当時のドジャースには後にアメリカ野球殿堂入りを果たす名遊撃手ピー・ウィー・リース1958年引退)がいたこともあり、なかなか大リーグ昇格のチャンスもなかった。1956年オフにシンシナティ・レッズ傘下マイナー球団に移籍し、さらにデトロイト・タイガースの傘下マイナー球団にも移籍したが、そこでも大リーグ昇格はできず、1959年開幕前に、ロサンゼルスに移転していたドジャースに復帰し、同年6月に26歳8ヵ月と遅咲きの大リーグデビューを果たした。同年のシカゴ・ホワイトソックスとのワールドシリーズにも全6試合に出場し、ルーキーイヤーからチャンピオン・リングを獲得した。

1960年にはレギュラーに定着。この年50盗塁を記録してナショナルリーグ盗塁王に輝くと、1965年まで6年連続で盗塁王に輝く。 ナショナルリーグの選手でシーズン50盗塁を記録したのは1923年マックス・キャリー(51盗塁)以来37シーズンぶりであった。

特筆すべきは1962年で、この年にはMLB歴代最多の165試合(後述)に出場し、MLB史上初の100盗塁となるシーズン104盗塁を記録した。盗塁失敗はわずか13回(ただしこれでもナ・リーグ最多)で、盗塁成功率は89%に及んだ。三塁打10もナ・リーグ最多で、打率も.299を記録し、この年のナ・リーグ最優秀選手に選出された。引退後1974年ルー・ブロックに更新されるまでMLB記録であった。現在でもスイッチヒッターの最多記録である。また、この1962年にはMLBオールスターゲームのMVPにも輝いた。俊足を生かして守備にも優れ、1961年と1962年にはゴールドグラブ賞を受賞。オールスターゲームには通算5回選出された。

1966年には39盗塁に終わり、連続盗塁王は6年でストップ。そして盗塁失敗は24に及び、この年限りでピッツバーグ・パイレーツに移籍した。パイレーツ移籍後も1967年は打率.302、29盗塁、1968年は52盗塁と活躍したが、1969年には拡張ドラフト新球団モントリオール・エクスポズに移籍。同年シーズン途中にドジャースに移籍し、1972年に40歳で引退するまで在籍した。現役引退時のオフには日本南海ホークス野村克也選手兼任監督ドン・ブレイザーヘッドコーチが、選手兼任コーチとして獲得を目指し、本人も入団に傾いていたが、当時球団社長だった新山滋が年齢面で選手兼任に難色を示し、コーチ専任での入団を主張したことから実現しなかった[1]1980年シアトル・マリナーズで監督を務めたが、成績が振るわず、翌年のシーズン途中で解任された。その後、阪急ブレーブスでキャンプでの臨時コーチに招かれたことがあった(1978年から)(実は、阪急で正式にコーチになる予定もあったが実現しなかった。)。

息子のバンプ・ウィルステキサス・レンジャーズなどで6年間に渡りメジャーで活躍、通算196盗塁を記録。1983年1984年には父が臨時コーチを務めた縁で、日本の阪急ブレーブスでプレイしている。

シーズン165試合出場[編集]

1961年1962年の球団数拡張以降、MLBの年間試合数は、引き分け再試合があった場合を除き、162試合と定められた。また1969年に地区制が導入される以前は、公式戦で2チームが同率1位の場合、ナショナルリーグは最大3試合(2戦先勝制)、アメリカンリーグは1試合の優勝決定戦を設ける規定となっており、この優勝決定戦の記録は、そのシーズンの個人成績にも反映された。1962年、ナショナルリーグのサンフランシスコ・ジャイアンツとドジャースは162試合終了時点で、同率1位となっており、3試合の優勝決定戦が開催されることとなった。両チームの中で、優勝決定戦の3試合を含め、唯一全試合出場を果たしたのがウィルスであった。結局、ジャイアンツとの優勝決定戦には破れたものの、この年、ウィルスはタイ・カッブのもつシーズン96盗塁を更新し、104盗塁を記録。史上初めて3桁の盗塁を達成し、同年のリーグMVPに選ばれた。

選手としての特徴[編集]

盗塁のスタートの仕方はクロス・オーバー・ステップという技術であったことが知られている[2]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1959 LAD 83 258 242 27 63 5 2 0 72 7 7 3 3 0 13 5 0 27 3 .260 .298 .298 .596
1960 148 559 516 75 152 15 2 0 171 27 50 12 3 2 35 8 3 47 11 .295 .342 .331 .673
1961 148 687 613 105 173 12 10 1 208 31 35 15 13 1 59 2 1 50 6 .282 .346 .339 .685
1962 165 759 695 130 208 13 10 6 259 48 104 13 7 4 51 1 2 57 7 .299 .347 .373 .720
1963 134 580 527 83 159 19 3 0 184 34 40 19 5 3 44 0 1 48 3 .302 .355 .349 .704
1964 158 685 630 81 173 15 5 2 204 34 53 17 11 3 41 0 0 73 6 .275 .318 .324 .641
1965 158 711 650 92 186 14 7 0 214 33 94 31 14 2 40 2 4 64 6 .286 .330 .329 .660
1966 143 643 594 60 162 14 2 1 183 39 38 24 13 0 34 0 2 60 6 .273 .314 .308 .622
1967 PIT 149 665 616 92 186 12 9 3 225 45 29 10 12 4 31 1 1 44 6 .302 .334 .365 .700
1968 153 685 627 76 174 12 6 0 198 31 52 21 11 1 45 1 1 57 10 .278 .326 .316 .642
1969 MON 47 211 189 23 42 3 0 0 45 8 15 6 1 1 20 0 0 21 3 .222 .295 .238 .533
LAD 104 479 434 57 129 7 8 4 164 39 25 15 4 1 39 2 1 40 4 .297 .356 .378 .734
'69計 151 690 623 80 171 10 8 4 209 47 40 21 5 2 59 2 1 61 7 .274 .337 .335 .673
1970 132 578 522 77 141 19 3 0 166 34 28 13 5 1 50 2 0 34 10 .270 .333 .318 .651
1971 149 654 601 73 169 14 3 3 198 44 15 8 7 6 40 2 0 44 8 .281 .323 .329 .652
1972 71 152 132 16 17 3 1 0 22 4 1 1 10 0 10 0 0 18 3 .129 .190 .167 .357
MLB:14年 1942 8306 7588 1067 2134 177 71 20 2513 458 586 208 119 29 552 26 16 684 92 .281 .330 .331 .661
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLBにおける歴代最高。

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 30(1959年 - 1972年)

脚注[編集]

[脚注の使い方]

関連項目[編集]