モー・ボーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
モー・ボーン
Mo Vaughn
Mo Vaughn Wareham Gatemen.jpg
1988年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 コネチカット州の旗コネティカット州ノーウォーク
生年月日 (1967-12-15) 1967年12月15日(53歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
275 lb =約124.7 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1989年 ドラフト1巡目(全体23位)
初出場 1991年6月27日
最終出場 2003年5月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

モーリス・サミュエル・ボーンMaurice Samuel Vaughn, 1967年12月15日 - )は、アメリカ合衆国コネティカット州ノーウォーク出身の元プロ野球選手一塁手)。ニックネームは「Hit Dog」。

MLB選手のグレッグ・ボーン従兄弟にあたる。

経歴[編集]

プロ入りとレッドソックス時代[編集]

シートン・ホール大学時代のチームメイトにはクレイグ・ビジオと、後にプロでも同僚となるジョン・バレンティンがいた。1988年には大学アメリカ代表に選出され、他にチャック・ノブロックアレックス・フェルナンデスらも代表入りしていた[1]

1989年のMLBドラフトボストン・レッドソックスから1巡目(全体23位)に指名を受け、6月20日に契約[2]。同年はAA級ニューブリテン打率.278・8本塁打を記録[3]
1990年にAAA級ポータケットに昇格して打率.295・22本塁打・72打点1991年は同級で14本塁打・出塁率.422を記録[3]してメジャーに昇格し、6月27日のニューヨーク・ヤンキース戦に「6番・一塁」で先発出場しデビュー[4]

1992年は開幕をメジャーで迎える。前半戦は打率1割台[5]と振るわなかったが後半やや持ち直し、打率.234・13本塁打の成績だった。
1993年は完全にレギュラーに定着し打率.297、チームトップの29本塁打・101打点・出塁率.390。 ストライキシーズンが打ち切られた1994年は打率.310・26本塁打・出塁率.408、リーグトップの20敬遠を記録した。

1995年は前半戦で24本塁打・60打点を記録[6]し、オールスターゲームに初めて選出される。ホームランダービーにも出場し、ラウンド2まで進出した。リーグ最多の150三振を喫したものの打率.300・39本塁打・126打点を記録し、アルバート・ベルと同数で最多打点のタイトルを獲得する活躍でチームの5年ぶりの東地区優勝に大きく貢献。クリーブランド・インディアンズとのディビジョンシリーズでは14打数無安打7三振[7]に終わり、3連敗で敗退した。MVPの投票では成績で上回るベルを8ポイント差で抑えて選出された[8]。ベルが問題児で不人気だった事が要因だったが、ボーンが人格者であった事も影響を及ぼした。初のシルバースラッガー賞も受賞した。

1996年5月に打率.396・12本塁打・28打点・OPS1.300[9]の好成績でプレイヤー・オブ・ザ・マンスを初受賞するなど、前半戦で打率.346・26本塁打・78打点を記録[10]し、2年連続となるオールスターゲームにファン投票で選出された。試合では第1打席ジョン・スモルツから二塁打を放った[11]。9月24日のボルチモア・オリオールズ戦ではデビッド・ウェルズから3打席連続本塁打[12]。打率.326、いずれもキャリアハイの44本塁打・143打点・207安打・118得点・95四球・OPS1.003を記録し、特に本拠地フェンウェイ・パークでは打率.381・27本塁打・81打点[13]と無類の強さを誇った。MVPの投票では5位[14]

1998年

1997年は5月30日のヤンキース戦で自身2度目の1試合3本塁打、7月26日のアナハイム・エンゼルス戦でトロイ・パーシバルから逆転サヨナラ3点本塁打を放った[12]
1998年は4月10日のシアトル・マリナーズ戦で逆転サヨナラ満塁本塁打[12]。2年ぶりにオールスターゲームに選出されたが出場機会は無かった。打率.337(キャリアハイ)・40本塁打・115打点・205安打を記録、チームメイトのノマー・ガルシアパーラとの強力コンビを形成し、ワイルドカード獲得の原動力となった。インディアンズとのディビジョンシリーズでは第1戦で2本塁打7打点の活躍を見せたが、第2戦以降は本塁打・打点共に無く[15]、チームも1勝3敗で敗退した。MVPの投票ではケン・グリフィー・ジュニアと並んで4位に入った[16]。10月23日にフリーエージェントとなり、12月11日にエンゼルスと6年8,000万ドルで契約[2][17]

エンゼルス時代[編集]

1999年は開幕直後に故障で離脱する。指名打者での出場が半分近くを占め[18]、チームトップの33本塁打・108打点を記録するものの、打率は.281と6年ぶりに3割を下回るなど前年から軒並み成績を落とし、チームも西地区最下位に終わった。
2000年は前半戦で打率.302・23本塁打と好調だったが、後半戦で打率.233・13本塁打[19]と調子を落とした。161試合に出場して36本塁打・117打点を記録したが、打率はレギュラー定着以後最低の.272。リーグ最多の181三振を喫し、1982年レジー・ジャクソンが記録した球団記録156を大きく更新した。
2001年は故障のため全休。12月27日にケビン・エイピアーとの交換トレードニューヨーク・メッツへ移籍。

メッツ時代[編集]

2002年は6月26日のアトランタ・ブレーブス戦で、本拠地シェイ・スタジアムスコアボードを直撃する推定飛距離505フィート(153.9メートル)の超特大本塁打を放った。大型補強の目玉の一人として期待されたものの、ブランクや故障の影響もあって打率.259・26本塁打・72打点と不本意な成績に終わり、優勝候補と目されたチームもまさかの東地区最下位に沈んだ。
2003年は打率.190・3本塁打と低調で5月2日を最後に離脱し、膝の故障悪化により現役引退。

人物[編集]

身長は185cm程ながら、体重は120kg以上というメジャーリーグでも有数の巨漢選手として知られていた。その上ヒゲを生やしている為風貌は怖いが、実は人格者でボランティア活動も積極的に行っていた。

背番号はキャリアを通じて『42』を着用し、また同番号をつけた最後のアフリカ系アメリカ人選手でもあった[17]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1991 BOS 74 251 219 21 57 12 0 4 81 32 2 1 0 4 26 2 2 43 7 .260 .339 .370 .709
1992 113 408 355 42 83 16 2 13 142 57 3 3 0 3 47 7 3 67 8 .234 .326 .400 .726
1993 152 633 539 86 160 34 1 29 283 101 4 3 0 7 79 23 8 130 14 .297 .390 .525 .915
1994 111 463 394 65 122 25 1 26 227 82 4 4 0 2 57 20 10 112 7 .310 .408 .576 .984
1995 140 636 550 98 165 28 3 39 316 126 11 4 0 4 68 17 14 150 17 .300 .388 .575 .963
1996 161 752 635 118 207 29 1 44 370 143 2 0 0 8 95 19 14 154 17 .326 .420 .583 1.003
1997 141 628 527 91 166 24 0 35 295 96 2 2 0 3 86 17 12 154 10 .315 .420 .560 .980
1998 154 681 609 107 205 31 2 40 360 115 0 0 0 3 61 13 8 144 13 .337 .402 .591 .993
1999 ANA 139 592 524 63 147 20 0 33 266 108 0 0 0 3 54 7 11 127 11 .281 .358 .508 .866
2000 161 712 614 93 167 31 0 36 306 117 2 0 0 5 79 11 14 181 14 .272 .365 .498 .863
2002 NYM 139 558 487 67 126 18 0 26 222 72 0 1 0 2 59 6 10 145 15 .259 .349 .456 .805
2003 27 96 79 10 15 2 0 3 26 15 0 0 0 1 14 2 2 22 2 .190 .323 .329 .652
MLB:12年 1512 6410 5532 861 1620 270 10 328 2894 1064 30 18 0 45 725 144 108 1429 135 .293 .383 .523 .906
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



一塁(1B)












1991 BOS 49 378 26 6 43 .985
1992 85 741 57 15 76 .982
1993 131 1110 70 16 104 .987
1994 106 880 57 10 103 .989
1995 138 1262 95 11 128 .992
1996 146 1207 74 15 123 .988
1997 131 1088 75 14 117 .988
1998 142 1176 90 12 91 .991
1999 ANA 72 584 35 3 62 .995
2000 147 1257 69 14 156 .990
2002 NYM 134 1085 47 18 95 .984
2003 24 179 8 5 21 .974
MLB 1305 10947 703 139 1119 .988
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

  • 最多打点:1回(1995年)

表彰[編集]

  • MVP:1回(1995年)
  • シルバースラッガー賞:1回(1995年)
  • MLBオールスターゲーム選出:3回(1995年,1996年,1998年)

脚注[編集]

  1. ^ USA Baseball Official Roster for the 1988 Collegiate Harbor Tournament Team” (英語). USA BASEBALL. 2021年6月12日閲覧。
  2. ^ a b Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月2日閲覧。
  3. ^ a b Register Batting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月3日閲覧。
  4. ^ 1991 Batting Game Log” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月4日閲覧。
  5. ^ First or Second Half” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月5日閲覧。
  6. ^ First or Second Half” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月5日閲覧。
  7. ^ Postseason Batting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月8日閲覧。
  8. ^ AL MVP Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月8日閲覧。
  9. ^ Months” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月8日閲覧。
  10. ^ First or Second Half” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月8日閲覧。
  11. ^ First or Second Half” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月8日閲覧。
  12. ^ a b c Play By Play” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月8日閲覧。
  13. ^ Home or Away” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月8日閲覧。
  14. ^ AL MVP Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月8日閲覧。
  15. ^ Postseason Batting Game Log” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月10日閲覧。
  16. ^ AL MVP Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月10日閲覧。
  17. ^ a b メジャー最後はリベラ 各球団最後の背番号「42」は誰?” (日本語). MLB.JP. 2021年6月10日閲覧。
  18. ^ Standard Fielding” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月12日閲覧。
  19. ^ First or Second Half” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年6月11日閲覧。

関連項目[編集]