ヤドー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Yaddo
The Mansion at Yaddo (ca. 1905).jpg
1905年頃のヤドー
設立 1926
種類 芸術家村
本部 ニューヨーク州サラトガ・スプリングズ
貢献地域 United States
ウェブサイト yaddo.org
テンプレートを表示
ヤドーの位置(ニューヨーク州内)
ヤドー
ニューヨーク州内の位置

ヤドー又はヤドウ(Yaddo)はニューヨーク州サラトガ・スプリングズにある芸術村である。地所の敷地の広さは400エーカー(1.6平方キロメートル)。設立理念は「アーティストが協力的な環境の中で邪魔されることなく制作に打ち込む機会を提供することにより創作的なプロセスを育む」ことにある[1][注釈 1]。2013年3月11日にアメリカ合衆国国家史跡に指定された[2]

ヤドーには、舞踊映画文学作曲絵画舞台芸術写真術エッチング木版を含む版画、彫刻ビデオアートに携わるアーティスト、芸術家が利用できる住居がある。ヤドーで制作をしたことのある芸術家たちの中から、ピューリッツァー賞受賞者が66人、マッカーサー・フェローシップを受けた者が27人、全米図書賞を受けた者が61人、全米批評家協会賞を受けた者が24人、ローマ賞英語版を受けた者が108人、ホイッティング賞英語版を受けた者が49人、ノーベル文学賞を受けた者が1人(ソール・ベロー)、輩出された[1]。ヤドーの敷地はユニオン・アヴェニュー歴史地区英語版に含まれる。

沿革[編集]

庭園内のパーゴラ(1900年代から1920年代に撮影された写真)

ヤドーの地所は1881年に資産家のスペンサー・トラスク英語版とその妻、カトリーナ英語版が購入した。トラスク夫妻は購入した土地の上に邸宅を建てたが、1893年に火災により焼け落ちてしまった。邸宅は再建され、現在に至る。ヤドーは、"shadow" (影)と同じ韻を踏んだ言葉として、トラスク夫妻の子どもたちの一人が思いついた造語である。[3]

4人のトラスク家の子どもたちは、みな夭折してしまった[3]。そののちの1900年に、スペンサー・トラスクは地所を芸術家をもてなす施設に転換し、これをもって妻への贈り物とすることに決めた。彼はこの構想を、慈善家のジョージ・フォスター・ピーボディ英語版の資金援助も受けて実現させた。芸術家たちがはじめてヤドーに入村したのは1926年のことである。ヤドーの成功に勇気づけられたトラスク夫妻は、のちに、メアリ・ウィルトジー・フラー英語版の要望に応えて、働く女性をもてなす施設のために土地を寄付した[4]。この施設はウィアワカ・ホリデイ・ハウス英語版として知られる[4]

ヤドーの庭園は、かつてトラスク夫妻がヨーロッパを旅行した際に訪れた古典的なイタリア様式の庭園をモデルにして造園された。四季の像は1909年に購入され、庭園に設置された。その他にも地所内にはたくさんの立体造形物がある。その中に、"Hours fly, Flowers die, New days, New ways, Pass by, Love stays." (→試訳:少年老い易く、学成り難し。日々、新しいやり方に取り組め、旅人よ。そして滞在を愉しめ。)という言葉が刻まれた日時計がある。2016年現在、芸術家たちが住む邸宅は外部に開放されていないが、庭園を見学することができる。

マッカーシズムの時代のただ中であった1949年にはヤドー内外に衝撃を与えた事件が起きた。作家のアグネス・スメドレーソビエト連邦のためにスパイ行為を働いていたと告発された事件である。彼女は中国における共産主義革命を全世界に報告するため、毛沢東長征に従軍した人物である。避難所を求めてヤドーにいた平和主義者の教養人は、心に大きな衝撃を受けた。スメドレーは1943年にヤドーを訪れ、以後5年にわたって滞在していたからである。ヤドーの管理人、エリザベス・エイムズ[注釈 2]FBIに事情聴取を受け、その間、詩人のロバート・ロウエルは管理人委員会に諮って彼女をヤドーの管理人から追放するように求めた(ロウエル問題)[5]。エイムズは結果的にすべての罪状について不起訴で放免されたが、FBIの取り調べを受けるうちに、彼女の秘書であったメアリ・タウンゼント(Mary Townsend)がFBIへの情報提供を行っていたことに気付いた。エイムズは1977年に亡くなるまで管理人を務め、1923年以来、50年間にわたってヤドーの共同体を見守った[5]

サラトガ公園に設置されている「命の精」(The Spirit of Life)の彫刻は、彫刻家のダニエル・チェスター・フレンチがスペンサー・トラスクを記念して制作したものである。

21世紀に入り、ヤドーは芸術家の共同体がいつまでもインスピレーションの源泉であり続けることを保証するため、各企画への寄付や責任の引き受けを募っている。100周年キャンペーンにおいてヤドーは、スペンサー・トラスク社と、同社の当時の代表、ケヴィン・キンバーリン英語版から多額の寄付を受けた[6]。また、小説家のパトリシア・ハイスミスは300万ドル相当の自己の資産のすべてをコミュニティに遺贈した[7]

文学作品の中での言及[編集]

Dagger of the Mind (1941) という小説においては Demarest Hall という芸術家村で起きた話という舞台設定がなされているが、これはヤドーをモデルにしている[8]。作者のケネス・フィアリング英語版は1930年代にヤドーに滞在していた[8]。ヤドーの施設はその他にも例えば、ジョナサン・エイムズ英語版Wake Up Sir! (2004) 小説の舞台になっている。

著名な滞在者[編集]

ヤドーが滞在を受け容れた芸術家の数は6000人を超える[9]

日本人滞在者[編集]

日本人滞在者には、冷泉彰彦照屋勇賢、清水チャートリー、倉田裕也がいる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ "To nurture the creative process by providing an opportunity for artists to work without interruption in a supportive environment"
  2. ^ エリザベス・エイムズ(Elizabeth Ames)は1923年にヤドーの管理人を任されて以来50年以上にわたって、ヤドーに滞在する芸術家たちをもてなした人物[5]。FBIの捜査を受けた当時64歳だった[5]

出典[編集]

  1. ^ a b History of Yaddo in the official website”. 2016年12月29日閲覧。
  2. ^ New Sites Recognize More Complete Story of America, including Significant Latino, African American and Indian Sites”. US Department of the interior. 2013年3月13日閲覧。
  3. ^ a b “Yaddo and Substance”. (1938年9月5日). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,760139,00.html. "Creating at Yaddo last week, at mid-season of the colony's twelfth year [1938], was a typical group of writers and artists who have given substance to Katrina's vision. But whether or not they fit her romantic conception was an open question. By contrast with aristocratic Katrina and the elegant surroundings she provided, most of the season's 27 guests stood out in striking left-wing contrast: Poet Kenneth Fearing (Angel Arms, Poems), Critic Newton Arvin (Hawthorne), Novelists Joseph Vogel (At Madame Bonnard's), Leonard Ehrlich (God's Angry Man), Henry Roth (Call It Sleep), Daniel Fuchs (Low Company).
    “One of the show places of the U.S., Yaddo is a 500エーカー (2.0 km2) estate with pine groves, vast lawns, artificial lakes with ducks, famous rose gardens, and white marble fountains. The name Yaddo was a baby pronunciation given by the Trask children (all four of whom died in childhood) to The Shadows, a famous inn formerly on the site of the Trask estate, where the Trasks had spent their summers. It was one of the dozen places where Poe was supposed to have written The Raven, and Katrina said it inspired her own poetry."
     
  4. ^ a b History of Wiawaka in the official website”. Wiawaka. 2016年12月29日閲覧。
  5. ^ a b c d Blumenkranz, Carla. “Deeply and mysteriously implicated”. Poetry Foundation. 2016年12月29日閲覧。
  6. ^ “$1M gift received by Yaddo”. The Business Review (Albany, New York). (1998年12月17日). http://albany.bizjournals.com/albany/stories/1998/12/14/daily21.html 2011年1月1日閲覧。 
  7. ^ “Public LIves; Here and There”. The New York Times. (1998年2月18日). http://www.nytimes.com/1998/02/18/nyregion/public-lives-here-and-there.html?src=pm 2010年12月31日閲覧。 
  8. ^ a b Fearing, Kenneth (2004). The Collected Poems of Kenneth Fearing. Indiana: Indiana Press University. p. XVIII. ISBN 0943373255 
  9. ^ Guests – Lists of Artists”. Yaddo. 2016年12月29日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

座標: 北緯43度04分07秒 西経73度45分29秒 / 北緯43.06848度 西経73.75813度 / 43.06848; -73.75813