ステージ101
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() | この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
|
ステージ101 Stage 101 | |
---|---|
ジャンル | 音楽番組 |
出演者 |
関口宏 黒柳徹子 マイク真木 前田美波里 ヤング101 ほか、ゲスト歌手多数 |
製作 | |
制作 | NHK |
放送 | |
放送国・地域 |
![]() |
放送期間 | 1970年1月10日 - 1974年3月31日 |
『ステージ101』(ステージいちまるいち)は、1970年1月10日から1974年3月31日までNHK総合テレビで放送された音楽番組である。
概要[編集]
タイトルの「101」は、当時より東洋一の広さを誇る[注 1]渋谷のNHK放送センターCT-101スタジオで収録されていたことに由来するものである[注 2]。
番組のために日本国内各地でオーディションが行われ、その合格者と、すでにメジャー活動をしていたザ・バロンやシング・アウト[1][2]といったグループも集まって「ヤング101」が結成された。
1969年11月3日に、シャンソン歌手の石井好子と俳優の関口宏を司会に迎えて祝日の特集番組としてまず放送され、翌1970年1月にレギュラー放送が開始された。メジャーからマイナーまで幅広い音楽や海外のポピュラーを仕入れ、また、「ヤング101の歌」などの番組オリジナルソングも作られた。
元デューク・エイセスの和田昭冶、振付師の坂上道之助らも講師陣としてレッスンでメンバーを育て、現在[いつ?]に至る音楽や演劇のプロフェッショナルを輩出した。
映像の現存・保存状況[編集]
放送当時は、ビデオテープが非常に高価であったため上書き使用が基本だった。このため、2016年6月現在で残っているのは放送用ビデオテープでNHKに残された1974年3月31日放送の最終回と、関係者がたまたま録画していた「開拓[注 3]」の回の2本、及びヤング101メンバーが保存していた最終回時のリハーサル映像(8ミリフィルム・音声なし)のみとなっていた[3]。
一方、2016年7月1日付のNHKアーカイブス「発掘ニュース」No.112では黒柳徹子がメイン司会を担当していた頃のモノクロ断片映像が発掘された[4]ことが明らかにされており、さらに同じページの「思い出・コメント」欄にて他にも白黒、カラー合わせて数時間分の映像が見つかっていることがアーカイブス担当者より言及されている。2018年4月6日から「発掘ニュース」で番組の発掘テープが特集され、4月13日の同ページで全編残存、もしくは欠落部が存在するがほぼ全編が存在する発掘テープが13本になった事が明らかにされた。発掘テープの一部は当時使用したデッキの関係でモノクロ映像のものも含まれ、これまで現存していないとされていた関口宏が司会だった時代からは、1970年1月24日放送(レギュラー放送第3回)が発掘されている。また、黒柳徹子が司会を務めていた1971年9月15日放送が、この回にゲスト出演した三木鶏郎が録画したテープに映像状態が不安定ながらも再生可能な状態で残存していた事も明かされた。また、4月20日・27日の「発掘ニュース」では田中星児から提供された1971年から1972年度前半のモノクロ録画・1972年度後半から1973年度までのカラー録画による部分映像の提供が特集された。
なお、これら発掘映像の内9本は「開拓」・番組最終回の映像と共にNHKアーカイブスと全国のNHK公開ライブラリーで見ることができる。
歴史[編集]
草創[編集]
この番組は、全世界を覆った学園紛争の嵐で傷ついた若者の心を癒し、良質の音楽を紹介しようという意図で企画された。
1960年代前半『夢であいましょう』の演出を手がけたNHKのディレクター末盛憲彦は、許可を得て渡米。そこで、アメリカならではのミュージカルバラエティ番組『ヤング・アメリカンズ』を目にした。
帰国した末盛は局内を説得し、プロジェクトをスタート。手始めとして、関東地方の若者を対象としたオーディションを実施。合格者には各界の実力者を講師として約1年間のレッスンを行い、歌や踊り、芝居の基礎を指導した。
1969年、レッスンを積んだ若者たちにプロとして活躍していたザ・バロン、シング・アウトなどのグループを加え、新たなグループが結成された。そして11月3日、石井好子と関口宏が司会を務めた特別番組が放送された。これがヤング101のお披露目だったが、グループ名は同年の『第20回NHK紅白歌合戦』で初めて発表された。
成長と転換[編集]
1970年1月に、関口を司会として週1回のレギュラー番組がスタートした。編集方針として、フォークソングなど当時の流行歌は流さず、海外の曲や番組の音楽スタッフが作ったオリジナルソングなどを歌うことが徹底された。レッスンは番組が始まってからも続き、メンバーは次第に力をつけていった。後述の大規模追加オーディションまでの間にも、メンバーは随時追加されている。
やがてヤング101は活躍の場をNHK以外にも広げた。番組連動企画ながら、日本万国博覧会(EXPO '70)や札幌冬季五輪の関連イベントに参加するなど社会現象となり、NHKには「俺たちもヤング101に入れてくれ」という声が寄せられるようになった。これを受け、1971年から1972年にかけて対象を全国に広げた大規模オーディションが実施された。また、メンバーのヤング101以外での活動も積極的に行われた。特に田中星児の場合、ヤング101に加入後、局内でうたのおにいさんオーディションの案内を見てオーディションに参加し、1971年11月からは当番組と並行で同局の「おかあさんといっしょ」初代うたのおにいさんを務めた。
初期のメンバーは20歳代が中心だったが、初期メンバーの一人、ザ・チャープスの三女・えり子は中学生、第2次募集で入ってきた西玲子も高校生だった。1972年に入ると代替わりによってヤング101メンバーの低年齢化が起こり、オーディションによって新たなメンバーが次々に加わる一方、初期のメンバーが次々と卒業した。この頃から女子高生のメンバーも増加し、番組が終わる約1年前には谷山浩子、太田裕美(当時はスクールメイツ)等も参加した。プロデューサー・スタッフも一新され音楽監督も変わった。
番組の終了[編集]
1973年、ヤング101は自分たちだけで番組を進行。テーマ曲もこれまでの「ヤッポン!」に替わり、新しいオリジナル曲となった。この年の7月、NHKは9年間続いた前田義徳体制から小野吉郎体制へ移行。同じ頃、内幸町から渋谷への移転を完了しNHKホール(2代目)が開業し、同ホールを活かした新たな番組の制作が大きな課題となった。
その数か月後に発生した第1次オイルショックにより、NHKは当時2波だけだったテレビの放送時間短縮に加え、翌1974年度の予算も緊縮型となり、徹底した経費削減が求められた。その中で、ステージ101関連の予算は削減対象となり、公開型の番組に移行すべしという結論が出された。1974年3月31日午後6時40分、『ステージ101』はその歴史に幕を下ろし、ヤング101も解散した。
本番組終了後、引き続き日曜18時枠で『レッツゴーヤング』[5]( - 1986年4月)→『ヤングスタジオ101』(1986年 - 1988年)と続き、土曜夕方→金曜深夜枠の『ジャストポップアップ』(1988年 - 1991年)、土曜夕方(単発)→週末深夜枠で『ポップジャム(POP JAM)』(1993年 - 2007年)、平日深夜→日曜夕方→木曜夜→日曜深夜枠で『MUSIC JAPAN』(通称MJ。2007年4月 - 2016年3月)、月1回不定期(単発)で『シブヤノオト』と『NAOMIの部屋』(ともに2016年4月 - )。1993年からBS2で日曜18時に『サンデーヤングミュージック』(アイドルオンステージ→ミュージック・ジャンプ→ザ少年倶楽部[注 4])、など、2016年現在もNHKでは若者向け音楽番組が趣向を変えながらも続いている。
その後[編集]
終了から14年後、1988年5月の『NHKビデオギャラリー』で『ステージ101』が取り上げられ、一城みゆ希らがゲスト出演。これを機にかつての出演者やファンらが、復活を目指した活動を開始することとなる。
1993年8月14日には『第25回思い出のメロディー』出演のためヤング101が再結成し、番組内で『ステージ101』の放送終了日と同じく「涙をこえて」を披露した。2002年の第34回でも26名の元メンバーが結集して再結成し同曲と「怪獣のバラード」を披露[6]。2013年の第45回では再結成こそ無かったが、エンディングでほぼ全ての出演者が「涙をこえて」を歌った。
2001年10月13日には、インディーズレーベルのウルトラ・ヴァイヴから『ステージ101』の2枚組ベストアルバムCD『ステージ101ベスト』が発売され、3500枚を売り上げた[7]。
2003年10月21日夜、22日昼・夜の計3回にわたり、シアターコクーン(Bunkamura内)にて、復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』が行われた。ヤング101、101ダンサーズの歴代メンバー37名に加え[8]、永六輔、黒柳徹子、関口宏、マイク真木、前田美波里、上條恒彦らもゲスト出演した。さらに、かつてプロたちに選ばれたヤング101のメンバーが選ぶ側に回り、若い世代のタレントの卵を発掘し新たに「ヤング101Jr.」を結成させ、復活コンサートで共演した。この模様はBS2で放送された。こうした盛り上がりを受け、『NHKアーカイブス』では2006年3月に最終回をノーカットで放送した。
放送終了から既に30年以上が経過し、ヤング101メンバーの高齢化が進み亡くなったメンバーもいる一方、今なお第一線に立ち続けているメンバーも少なくない。その1人、この番組が完全終了する半年前にナベプロから入ってきた太田裕美が『きよしとこの夜』にゲスト出演した際、「ズンドコタイムトラベル」のコーナーでこの番組のVTRを流した後、青春を過ごしたCT-101スタジオで『きよしとこの夜』の収録が行われていると知って驚いたという。
2016年3月6日放送の新・BS日本のうた(NHK BSプレミアム)の「あの歌に再会」というコーナーにてステージ101のいづみ朱子、ザ・チャープス、田中星児を始めとするメンバー16名が出演しテーマ曲の「ヤッポン」から当時の話題曲「人生すばらしきドラマ」「涙をこえて」を披露した。
放送時間[編集]
- 初回 - 1971年4月3日
- 毎週土曜日 20:00 - 21:00
- 1971年4月7日 - 1972年3月29日
- 毎週水曜日 20:00 - 20:45
- 1972年4月9日 - 1973年4月1日
- 毎週日曜日 19:20 - 20:00
- 1973年4月8日 - 1974年3月31日
- 毎週日曜日 18:00 - 18:40
歴代音楽監督[編集]
- 中村八大(1970年1月 - 1972年3月)
- 和田昭治(1970年1月 - 1972年3月) - ワンツーおじさん、の愛称でヤング101メンバーから慕われた。2014年4月19日逝去[9]。
- 東海林修(1972年4月 - 1973年9月)
- 宮川泰(1973年10月 - 1974年3月)
出演者[編集]
歴代司会者[編集]
- 初代:関口宏(1970年1月10日 - 1970年9月26日)
- 2代:黒柳徹子(1970年10月10日 - 1971年9月22日)
- 3代:マイク真木・前田美波里(1971年10月6日 - 1972年3月29日)
1972年4月から9月まではマンスリーゲスト(沢田研二、加山雄三、西郷輝彦など)を事実上の司会者として招き放送。同年10月から最終回放送までは若子内悦郎、西玲子[注 5]を中心にヤング101のメンバーで番組進行を行った。
ヤング101出身者[10] [11][編集]
斜体は番組内での愛称、太字のメンバーは最終回時点での在籍者。
- 相沢忠彦(アイちゃん)
- 青木マスミ(アオちゃん、現八月真澄[12])
- 東俊(後期メンバー最年少。昭和48年10月27日脱退)
- 井口典子(ノコ、昭和48年4月1日脱退)
- 池田美和(いけだよしかず[13]、シング・アウトのトランペット[14]。イケちゃん、昭和46年4月3日脱退)
- 石岡ひろし(ひろし、昭和47年8月20日脱退)[15][16]
- 石川裕子
- 泉朱子(シュコ、昭和47年9月24日脱退。後に、いずみ朱子[17])
- 一城みゆ希(みゆ希、昭和47年9月24日脱退)
- いとう朋彦(トモ、最終回のクレジットでは明彦となっていた)
- 伊藤悟(ジャイアント)[注 6]
- 伊藤三礼子(ミレ)[注 7]
- 井上稔(コンコン)
- 江崎英子(グリ、昭和48年4月1日脱退)
- 江崎和子(エミちゃん、シング・アウトのボーカル、昭和46年4月3日脱退)
- 大城孝治(コージ)
- 太田裕美(ヒロミちゃん)
- 大原マリ子
- 小野寺正夫
- 小原初美(ハツミちゃん、昭和48年4月1日脱退)
- 温碧蓮 (オンちゃん、秋野太作夫人。昭和48年4月1日脱退)
- 加藤芽久美(メミ)
- 加奈綾子(カナちゃん、昭和47年9月24日脱退)
- 河内広明(ヒロ)
- 上市光男(ミツオ、昭和46年4月3日脱退)
- 上條恒彦(ジョーさん、おとうさん、脱退年不詳)
- 上村優
- 岸じゅん子(ジュンちゃん)
- 岸龍也(タツヤ、昭和48年4月1日脱退。こおろぎ'73)
- 木下とも子(トモ)
- 北美奈々
- キャンディ浅田(最終回は欠席)
- 清須邦義(クニ、昭和47年3月31日脱退)
- 黒沢裕一(クロ、ユーボー、昭和47年3月31日脱退)[18]
- 串田アキラ(アキラ、昭和47年3月31日脱退)
- 工藤たけし(タケシ)
- ケリー・コア(昭和45年3月加入、半年ほどで脱退。シング・アウトのボーカル、アメリカ合衆国出身)
- 小島秀子(電子オルガン奏者としてレギュラー出演)
- 小林啓子(オケケ、昭和46年4月21日脱退)
- 小林善美(こばやしよしみ、おとうさん、昭和46年4月3日脱退。シング・アウトのトランペット、男性[13][19])
- 湖東美歌(ミカ、アメリカ橋をレコードリリース。)
- さいとうあきひこ(ムーミン、小林桂樹の甥、故人)
- ザ・チャープス - 竹内まり子(当時・竹内久子、チャコ)、竹内ゆり子(当時・竹内孝予、タカちゃん)、竹内えり子(当時・竹内恵子、ケイコ、チビケイ)
- ザ・バーズ - 豊田順子(ジュンちゃん、昭和47年3月31日脱退)、豊田礼子(レイちゃん、昭和48年4月1日脱退)
- 佐藤幸平(コッペ)
- 塩見大治郎(ダイちゃん、「広島球団応援歌」オリジナル歌手。
- ジュリアン・チェング(昭和46年4月21日脱退。中国出身)
- 宗台春男(チュンタ、昭和48年4月1日脱退。2005年3月8日逝去[20])
- 庄司淳(ジュン)
- 諏訪マリー(マリー、アイ・ガット・マーマン出演(1987年 - )。)
- 惣領泰則(パタ坊、ソーリョー、昭和46年4月3日脱退。シング・アウトのギター)
- 田頭信幸(エル、「恋のパスポート」にてソロデビュー。)
- 高木吾郎(ゴロー君、昭和47年3月31日脱退)
- 高野美千代(ミッちゃん、2004年12月2日逝去[21][22]。昭和48年4月1日脱退)
- 高橋キヨシ(キヨシ、チョボ、昭和47年9月24日脱退)[23]
- 田中星児(セイジ)
- 谷山浩子(ヒロコ、最終回は欠席)
- 津島隆文(アー坊、昭和48年4月1日脱退。こおろぎ'73)
- 中岡淑子(ナカカ、脱退年不詳)
- 中川圭子(ドド、昭和48年10月21日脱退)
- 中山エミ(後期メンバー。脱退年不詳)
- 長沢澄子(オスミ、昭和48年4月1日脱退)
- 西玲子(ニック、昭和48年10月21日脱退。「雨あがりの鎮守さま」他をレコードリリース。)
- 原田時芳(クマさん、昭和46年4月3日脱退。シング・アウトのベース)
- 樋口康雄(ピコ、昭和46年9月22日脱退。シング・アウトのキーボード)
- 藤島新(フジシン君、昭和48年4月1日脱退)
- 藤村泰介
- 畑山佳代
- 浜岡万紗子(マサコ)
- 早川節子(セッちゃん)
- 速水雄二(ジョージ)
- ビル・クラッチフィールド(ビル、昭和46年4月頃脱退。アメリカ合衆国出身)[13]
- 広美和子(チョロ、「女王陛下のプティアンジェ」主題歌レコードリリース。)
- まきのりゆき(のり坊、こおろぎ'73)
- 牧ミユキ(トミー、昭和47年9月24日脱退)[24]
- 桝川譲治
- 三國真理子(ミク)
- 水木誠一(当時・水木誠、マコ、昭和47年11月26日脱退)
- 宮川裕史
- 宮口森也(昭和45年8月頃脱退、宮口精二の次男)
- 向山照愛(むきやまてるよし、ドンちゃん、昭和46年4月3日脱退。シング・アウトのドラム)[13]
- 八代かずみ(デコちゃん、昭和48年10月21日脱退)
- 山崎イサオ(山崎功、ヤマちゃん)
- 山田美也子(ミヤちゃん、昭和48年4月1日脱退)
- やまべ星子
- リディア(本名不詳、昭和45年3月頃脱退)
- 若子内悦郎(ワカ)
楽曲[編集]
番組テーマソング[編集]
歌はいずれもヤング101。
- ステージ101テーマソング「ヤッポン!」
- ステージ101 テーマ'73
オリジナルソング[編集]
曲名 | 歌手名 | 作詞 | 作曲 | |
---|---|---|---|---|
主な番組オリジナルソング | ふたつのひとつ | 石岡ひろし | 井上頌一 | 山本直純 |
夕べの祈り | 江崎英子 | 有馬三恵子 | 中村八大 | |
涙をこえて[注 8] | シング・アウト | かぜ耕士[25] | 中村八大 | |
めぐり逢う日まで | 泉朱子 | 岩谷時子 | いずみたく | |
涙のしのび逢い | 牧ミユキ | なかにし礼 | 鈴木邦彦 | |
気になるわ | 泉朱子 | 岩谷時子 | いずみたく | |
恋人中心世界 | 小林啓子 | 小平なほみ | 中村八大 | |
しあわせの限界 | 串田アキラ | 片桐和子 | 佐和田容堂 | |
めざめ | 串田アキラ | 片桐和子 | 和田昭治 | |
駄目ね! | チャープス | 駄目な娘 | 中村八大 | |
ハイスクール・ブギ | 水木誠 | 阿久悠 | 都倉俊一 | |
ピコ・ピコ・ピッコ | 樋口康雄 | 林春生 | 筒美京平 | |
のんびり | マイク真木 | マイク真木 | マイク真木 | |
脱線列車にのり込んで | ヤング101 | かぜ耕士 | 中村八大 | |
朝がきた | 井口典子 | 太田一朗 | 中村八大 | |
愛ある世界 | 河内広明 | 山上路夫 | 和田昭治 | |
返事をおくれよ | 樋口康雄・水木誠 | 忌野清志郎 | 肝沢暢一 | |
若さがあるから | 小原初美 | 山上路夫 | 渋谷毅 | |
お昼は何にしましょうか | 小林啓子 | かぜ耕士 | 山木幸三郎 | |
おやすみなさい | 若子内悦郎 | 永六輔 | 中村八大 | |
故郷を去って行く時[26] | 泉朱子 | 藤田敏雄 | いずみたく | |
今なら間に合うだろうか | 石岡ひろし | 山川啓介 | 和田昭治 | |
若い旅 | 塩見大治郎 | 永六輔 | 中村八大 | |
心、心よ | ヤング101 | 及川恒平 | 東海林修 | |
荷馬車にゆられて | 西玲子 | 山上路夫 | 東海林修 | |
君のコスモス | ヤング101 | 岩谷時子 | 宮川泰 | |
主な「ヤング101の歌」 | 人生すばらしきドラマ | 黒沢裕一 | 山川啓介 | 和田昭治 |
にくい太陽 | ワカとヒロ | 増永直子 | 東海林修 | |
怪獣のバラード[注 9] | ヤング101 | 岡田冨美子 | 東海林修 | |
港祭りの町 | 相沢忠彦 | 山上路夫 | かまやつひろし | |
愛の限界 | 藤島新 | 岡田冨美子 | 東海林修 | |
僕が五年前に考えたこと | 田中星児・まきのりゆき | 及川恒平 | 東海林修 | |
ジャングルジム | ヤング101(男性メンバー) | 及川恒平 | 東海林修 |
CD[編集]
- ステージ101ベスト(CDSOL-1043)
- みんなのステージ101ベスト2(CDSOL-1051)
- GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々(MHCL-240)
- 赤い屋根の家 / ステージ101(CDSOL-1078)
- ステージ101(ファースト・アルバム)(CDSOL-1077)
- ギフト・ボックス/ヤング101(DYCL 401-405)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 現在[いつ?]も放送局全体では最大級の広さ。
- ^ 番組開始から1973年7月末に渋谷にある現・放送センターへ完全移転するまでは、NHKの本部は千代田区内幸町にあった東京放送会館が機能を持っていたが、現・放送センターもCT-101スタジオを含め、1965年から本格的に運用が開始されていたので収録も内幸町ではなく渋谷で行われていた。
- ^ 1972年1月19日放送、直後に控えていた1972年札幌オリンピックに関連したテーマ、一部映像に乱れがある。
- ^ 2010年4月に金曜18時枠へ移行、2011年4月よりBSプレミアム水曜20時枠で放送中。
- ^ 1973年10月21日放送分で西は卒業。
- ^ 伊藤三礼子の弟、後期メンバー。
- ^ 歌手伊藤久男の長女。
- ^ この曲自体は、前年よりヒットしていたが、「ステージ101」オリジナルソング第1曲目となった。学校の卒業式などにも歌われる。
- ^ 当楽曲は小中学校、高校の合唱コンクール等を中心に歌われ、老若男女に幅広く親しまれている。
出典[編集]
- ^ 道徳再武装運動(MRA)の日本支部が中心となり、1965年頃より開始された国際的な青年グループによる合唱活動がやがてプロ化して発足した10人組のグループサウンズ・ユニット。
- ^ 「涙をこえて」とNHK「ステージ101」 - アジアセンターODAWARA
- ^ http://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail.html?id=110
- ^ https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail.html?id=112
- ^ 本放送開始前の1974年1月3日に、フォーリーブス司会によるパイロット版『レッツゴーヤング』が放送されており、ヤング101も番組前半のショーコーナーに出演した。
- ^ ステージ101写真集(新版)-02/08 - Kenの我楽多館
- ^ 「ステージ101を覚えてますか、今に通じる躍動と歌声(おとなの楽校)」 - 『日経プラスワン』(2002年8月3日付、11頁)
- ^ ステージ101・明日に架ける橋写真集(2003) - Kenの我楽多館
- ^ http://temtekomy.seesaa.net/article/396833240.html
- ^ ヤング101在籍期間一覧 - 「ステージ101」トリビュート
- ^ ヤング101 - 「ステージ101」トリビュート
- ^ 公式ウェブサイト
- ^ a b c d 『グラフNHK』 No.248 昭和45年8月15日発行
- ^ http://d.hatena.ne.jp/ArappoCaro/20110504/1304509728
- ^ http://www.k2.dion.ne.jp/~ishioka/ [リンク切れ]
- ^ ボーカルでの最後の盛り上げパーティー(2006年3月31日) - 小原初美
- ^ 公式ウェブサイト
- ^ 黒沢ヴォーカル教室
- ^ 『グラフNHK』 No.261 昭和46年3月1日発行
- ^ http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=32481&id=636317
- ^ http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=32481&id=288520
- ^ http://cgi.din.or.jp/~kkoji/cgi-bin/cn/i-mode.cgi?mode=view&v_n=62&page=20
- ^ http://abc1008.com/tmn/profile.html
- ^ http://www.studio-g3.com/whoswho/02-makimiyuki.htm
- ^ かぜ耕士のたむたむたいむ
- ^ 東京 音楽・映像資料室国立国会図書館サーチ
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
NHK総合テレビ 毎週土曜日 20時 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
劇映画 または 劇場中継
|
ステージ101
|
土曜スペシャル
|
NHK総合テレビ 毎週水曜日 20時 | ||
8:00 - 8:25 ママは太陽
8:25 - 9:00 お笑い招待席 |
ステージ101
|
|
NHK総合テレビ 毎週日曜日 19時20分 | ||
歌のグランドステージ
|
ステージ101
|
|
NHK総合テレビ 毎週日曜日 18時 | ||
6:00 - 6:05 こどもニュース
6:05 - 6:49 少年映画劇場 |
ステージ101
|
|
|
|