ユナイテッド・エクスプレス5925便地上衝突事故

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ユナイテッド・エクスプレス5925便
Great Lakes Flight 5925.png
事故機の残骸
事故の概要
日付 1996年11月19日
概要 キングエア機のパイロットエラーによる滑走路侵入
現場 アメリカ合衆国の旗 クインシー地域空港英語版
死者総数 14 (全員)
生存者総数 0
第1機体

同型機のビーチクラフト1900C
機種 ビーチクラフト 1900C
運用者 グレイトレイクス航空ユナイテッド・エクスプレス便として運航)
機体記号 N87GL[1]
出発地 アメリカ合衆国の旗 シカゴ・オヘア国際空港
最終経由地 アメリカ合衆国の旗 サウスイースト・アイオワ地域空港英語版
目的地 アメリカ合衆国の旗 クインシー地域空港英語版
乗客数 10
乗員数 2
生存者数 0
第2機体

同型機のビーチクラフト キングエア
機種 ビーチクラフト 65-A90 キングエア
運用者 個人所有
機体記号 N1127D[2]
乗客数 0
乗員数 2
生存者数 0
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クインシー地域空港の全体図

ユナイテッド・エクスプレス5925便地上衝突事故(ユナイテッド・エクスプレス5925びんちじょうしょうとつじこ)は、1996年11月19日、シカゴ・オヘア国際空港アイオワ州バーリントン経由イリノイ州クインシー行きの定期便ユナイテッド・エクスプレス5925便(運航はグレイトレイクス航空、機材:ビーチクラフト1900C)がクインシー空港に着陸する際に離陸中だった自家用のビーチクラフト キングエアと衝突した事故である。5925便の12人全員とキングエアの2人の14人全員が死亡した[3]

事故機の詳細[編集]

ビーチクラフト 1900C

  • 機長 30歳女性:1993年9月23日から3年2ヶ月の間グレイトレイクス航空で勤務。1996年2月13日から-ビーチクラフト 1900Cの機長になる。4000時間以上の飛行経験があり、うち700時間ほどは1900Cでの飛行だった。当日は無線交信などを担当していた。
  • 副操縦士 24歳男性:1995年9月27日から1年2ヶ月の間グレイトレイクス航空に勤務していた。1950時間以上の飛行経験があり、うち800時間が1900Cでの飛行だった。

ビーチクラフト キングエア

事故の概要[編集]

ユナイテッド・エクスプレス5925便は、1996年11月19日15時25分にシカゴを出発し、アイオワ州バーリントンに着陸した後、クインシーへ向けて離陸した。5925便がクインシー地域空港の滑走路13へ着陸進入を行っているとき、同空港ではビーチクラフト キングエアパイパーチェロキー(機体記号 7646J)の両方が滑走路04に進んでいた。クインシー空港は整備されていないため、3機は同じ無線周波数で交信していた。滑走路13は中央で滑走路04と交差しているため、5925便のクルーは滑走路04のキングエアに、5925便の着陸を滑走路の手前で待つか、着陸する前に滑走を開始するかを聞いた。しばらく応答がなく、再び聞くと、キングエアのパイロットではなくチェロキーのパイロットが応答した。

その際、チェロキーのパイロットが「7646J 滑走路4の手前でホールド中、前に居るのがキングエア機です」と答えた。しかし、実際にはチェロキーは離陸の順番でもなければホールドもしていなかったため、応答する必要はなかった。さらに、機種名を言うべきだったがそれを言わずに「前にキングエアが居る」と言ってしまった。不幸なことにこの交信の最中に5925便の対地接近警報装置の高度を読み上げる自動音声がかぶり、「7646J 滑走路4の手前でホールド中、200キングエア機です」と聞こえてしまった。("seven six four six Juliet...holding...for departure on runway four. ...two hundred... *on the uh, King Air.")[3]

これが原因で5925便のパイロットたちはキングエアが滑走路の手前で待機すると考え、滑走路13に着陸した。一方でキングエアは、着陸した5925便が滑走路の交差点を通過する前に滑走を開始した。このため5925便とキングエアは滑走路04と13の交差点で衝突し、5925便は滑走路13に沿って110フィート(34m)走り、炎上し出した。空港にいたパイロット達は衝突に気づいて5925便のドアを開けて救助しようとしたが、衝突の衝撃でドアを開けることはできなかった。キングエアの2人は衝突時に死亡。5925便には乗員乗客12名が乗っており、そのほとんどは衝突後も生存していたが、その後の火災によって全員死亡した。

原因[編集]

事故時の様子
緑が5925便、赤がキングエア、黄色がチェロキー
事故に関わったチェロキーと同型機

国家運輸安全委員会は、事故の原因をキングエアのパイロットのミスだと判断した。他の要因として、キングエアに向けた交信にチェロキーのパイロットが応答したことや適切な救助や消防設備の不足が挙げられた[3]。しかし、キングエアのパイロットの家族が、NTSBの調査結果に異議を唱えた[4]

また、メーデー!:航空機事故の真実と真相では、「チェロキーのパイロットの一言でこの事故が起きたといってもいいほどだ」と調査官の一人が言っている。

映像化[編集]

関連項目[編集]

参照[編集]

  1. ^ "FAA Registry (N87GL)". Federal Aviation Administration.
  2. ^ "FAA Registry (N1127D)". Federal Aviation Administration.
  3. ^ a b c NTSB, Aircraft accident report”. National Transportation Safety Board. 2015年5月22日閲覧。
  4. ^ What Really Happened at Quincy?”. AVWeb. Aviation Publishing Group (1997年7月21日). 2018年2月26日閲覧。