ユーゴスラビア・ディナール

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ユーゴスラビア・ディナール
Југословенски динар (セルビア語)
Yugoslav 1 dinar 1965.png YUD 1000 1981 obverse.jpg
1 ディナール (1965) 1000 ディナール (1981)
使用
国・地域
ユーゴスラビア
補助単位
 1/100 パラ
通貨記号 din. and дин.
複数形 この通貨の言語はスラヴ語派に属する。複数形を構築する複数の方法がある。
硬貨 50 パラ, 1, 2, 5 ディナール
紙幣 10, 20, 50, 100, 200, 500, 1000, 5000 ディナール
このinfoboxは、通貨が変更される直前の値を示している。

ディナール(динар/dinar)とは、3つのユーゴスラビア(ユーゴスラビア王国ユーゴスラビア社会主義連邦共和国ユーゴスラビア連邦共和国)の通貨。ディナールの補助単位はパラ(пара/para)で、1ディナールは100パラ。デノミは7回行われ、うち5回は1990年 - 1994年のハイパーインフレーションで行われている。8つのディナールには、それぞれ異なった名前とISO 4217コードが与えられている。

言語[編集]

連邦が崩壊した1990年初頭までは、ユーゴスラビアには4つの公用語があった。各言語での表記は以下の通り。

言語 通貨名 単数形 複数形 (2) 複数形 (5+)
クロアチア語 Jugoslavenski dinar dinar dinara dinara
マケドニア語 Југословенски динар динар динари динари
スロベニア語 Jugoslovanski dinar dinar dinarja dinarjev
セルビア語 Југословенски динар
Jugoslovenski dinar
динар
dinar
динара
dinara
динара
dinara

Note:スラヴ語派では複数名詞が複雑である。この表に示したものは代表例であり、詳しい文法は「複数形」などを参照。

歴史[編集]

1918年の(セルビア)ディナール, YUS, 1918 - 1941[編集]

ディナールは、元々セルビアの通貨だった。1918年にセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国が成立。クローネ(1ディナール = 4クローネ)と共にクロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナに流通することになった。セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名で硬貨と紙幣発行されたのは1920年からで、それまではセルビア王国の硬貨と紙幣が流通していた。1929年には国号がユーゴスラビアに変わり、通貨に書かれる名前も改められた。

1931年、為替レートが1アメリカ・ドル = 56.4ディナールと定められた。このレートは、1933年には44ディナールに変更された。1937年、旅行者向け為替レート250ディナール = 1イギリス・ポンドが確立された。1941年に、ユーゴスラビアからクロアチア独立国(ナチスの傀儡国家)が独立を宣言。クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域ではディナールと等価のクーナが発行され、ユーゴスラビアを占領したブルガリアのレフ、イタリアのリラ、ドイツのライヒスマルクもこれら地域で流通した。

1944年の(連邦)ディナール, YUF, 1944 - 1965[編集]

1944年、ユーゴスラビアは再結成されると、セルビア・ディナール、クロアチア・クーナや占領国の通貨に代わって、ユーゴスラビア・ディナールが登場した。交換レートは、1ユーゴスラビア・ディナール = 20セルビア・ディナール = 40クーナ。1945年5月には、50ディナール = 1米ドルの固定レートが設定されたものの、レートが維持されることはなかった。

ディナールのデノミの歴史
Date 変換レート(新=旧)
1966年1月1日 1 = 100
1990年1月1日 1 = 10,000
1992年7月1日 1 = 10
1993年10月1日 1 = 1,000,000
1994年1月1日 1 = 1,000,000,000
1994年1月24日 1 = 12,000,000

1966年の(ハード)ディナール, YUD, 1966 - 1989[編集]

1966年1月1日、通貨が100分の1に切り下げられた。この通貨は決して安定していたわけではなく、年15 - 25%のインフレーションに悩まされた[1]。1980年代、インフレ率の上昇は加速し1990年にデノミネーションが行われた。

1990年の(兌換)ディナール, YUN, 1990 - 1992[編集]

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の紋章

二回目の通貨切り下げは、1990年1月1日に行われ、通貨が1万分の1に切り下げられた。この頃、構成国はユーゴスラビア社会主義連邦共和国から脱退しようとしていた。6つの共和国のうち4国は、独立を宣言し独自の通貨を発行し始めた。この通貨は、「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」と複数の言語で記された最後の通貨となった。

国名 通貨 採用日 価値
ボスニア・ヘルツェゴビナ ディナール 1992年7月 1ディナール (1992年)
クロアチア ディナール 1991年12月23日 1ディナール(1990年)
マケドニア共和国 デナール 1992年4月26日 1ディナール(1990年)
スロベニア トラール 1991年10月8日 1ディナール(1990年)

クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人勢力支配地域では、ユーゴスラビア・ディナールと等価のクライナ・ディナール、スルプスカ・ディナールが流通していた。

1992年の(改正)ディナール, YUR, 1992 - 1993[編集]

3回目の通貨切り下げは、1992年7月1日に行われ、通貨が10分の1に切り下げられた。この頃からハイパーインフレーションが始まった。このディナールは、当時のユーゴスラビア連邦(今日のセルビアとモンテネグロ)から発行された。

1993年の(十月)ディナール, YUO, 1993[編集]

4回目の通貨切り下げは、1993年の10月1日に行われ、通貨が100万分の1に切り下げられた。このデノミでもハイパーインフレーションは収束せず、通貨は3ヶ月しか持たなかった。

1994年のディナール, YUG, 1994[編集]

5回目の通貨切り下げは、1994年1月1日に行われ、通貨が10億分の1に切り下げられた。この通貨は、ユーゴスラビア・ディナールの中で最も早く下落し、わずか1月で交換された。

ノビ・ディナール, YUM, 1994 - 2003[編集]

1994年1月24日、ノビ・ディナール(キリル文字:ови динар, нових динара。ノビは「新」の意味)が登場した。これはディナール通貨の切り下げではなかった。ノビ・ディナールはドイツ・マルクと等価で固定された。ノビ・ディナールの登場した日、ドイツ・マルクと1994年のディナールの相場は1 マルク = 1300万ディナールだった。新通貨に固定されていないにもかかわらず、1994年のディナールの相場は下落せず、大体 1YUM = 1200万YUG だった[2]。ちなみに、1990年以前のディナールと比較すると、1 YUM = 1200𥝱 (1.2×1027) YUDである。「ノビ」は2000年に外された。

終焉[編集]

1999年11月6日、モンテネグロはユーゴスラビアはユーゴスラビア・ディナールに加えてドイツ・マルクも法定通貨だと決定した。2000年11月13日には、ディナールは法定通貨から外れドイツ・マルクが唯一の法定通貨となった。2003年、ユーゴスラビアが消滅し、最後までユーゴスラビア・ディナールを使用していたセルビアがセルビア・ディナール(ユーゴスラビア・ディナールと等価)に切り替え、ユーゴスラビア・ディナールの歴史は幕を閉じた。末期の1ディナールは初期の120,000,000,000,000,000,000,000,000,000ディナール(12穣)。

硬貨[編集]

1918年のディナール[編集]

1920年、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名の刻まれた硬貨が初めて発行された。5パラ(亜鉛)、10パラ(亜鉛)、25パラ(ニッケル青銅)硬貨である。1925年には、50パラ(ニッケル青銅)、1ディナール(ニッケル青銅)、2ディナール硬貨(ニッケル青銅)が登場した。1931年からは、硬貨にはユーゴスラビアの名が刻まれ、10ディナール(銀)、20ディナール(銀)硬貨が登場。1932年には、50ディナール(銀)硬貨が登場。

1938年、50パラ(アルミニウム青銅)、1ディナール(アルミニウム青銅)、2ディナール(アルミニウム青銅)と10ディナール(ニッケル)と大きさを小さくした20ディナール、50ディナール銀貨が発行された。これらが、第二次世界大戦前に発行された最後の硬貨である。

1944年のディナール[編集]

1945年、50パラ、1ディナール、2ディナール、5ディナール硬貨(いずれも亜鉛)が発行された。1953年にはこれらはアルミニウム製に切り替わった。1955年、10、20、50ディナール(アルミニウム青銅)が加わった。

1966年のディナール[編集]

5パラ硬貨(1965年)

1966年、5、10、20、50パラ(いずれも黄銅)と、1ディナール(銅ニッケル、1965年付)が発行された。1971年には、2、5ディナール(ニッケル黄銅)が発行され、1976年には10ディナールが銅ニッケル製に変わった。1981年には20パラ以下の硬貨が発行停止され、翌年には25、50パラ(青銅)が発行される。しかし、1985年には10ディナール未満の硬貨が発行停止され、黄銅製の10、20、50、100ディナール硬貨が発行された。これら硬貨は1989年まで発行されていた。

1990年のディナール[編集]

1990年、10、20、50パラ、1、2、5、ディナール硬貨が発行される。しかし、2、5ディナール以外は1991年に発行停止された。2、5ディナール硬貨についても1992年は少数発行されただけである。

1992年のディナール[編集]

1992年、1、2、5、10、50ディナールが発行された。5ディナールまでは黄銅、10、50ディナールはニッケル黄銅である。硬貨にはユーゴスラビアと刻まれていた(ラテンアルファベットでJugoslavija、キリル文字でЈугославија)他は、装飾のない酷く簡単なものだった。

1993年のディナール[編集]

1993年、1、2、5、10、50、100ディナールが発行された。これらは全てニッケル黄銅製である。500ディナール硬貨も鋳造されたが、発行されなかった。これらの硬貨は、"FR Yugoslavia"(ラテンアルファベットでSR Jugoslavija、キリル文字でСР Југославија)と刻まれていた以外、5番目のディナールとよく似ていた。

1994年のディナール[編集]

超短期間しか用いられなかったこのディナールでは、1ディナール黄銅貨が発行されたのみである。

Novi dinar[編集]

1994年、1、5パラ(黄銅)と10、50パラ、1ノビ・ディナール(ニッケル黄銅)が発行された。2000年には「ノビ」の字が除去され、新しく50パラ、1、2、5ディナール(黄銅)が発行された。

紙幣[編集]

1918年のディナール[編集]

1920年、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国国立銀行が10、100、1,000ディナール紙幣を発行した。1929年に国名がユーゴスラビアに変更されると、新しい10、100ディナール紙幣が発行された。1000ディナール紙幣は1931年に新しいものに変わり、1935年からは500ディナール紙幣が登場した。

1944年のディナール[編集]

1944年、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が1、5、10、20、50、500、1,000ディナール紙幣を発行した。1946年、連邦人民共和国国立銀行から50、100、500、1,000ディナール紙幣が新しく発行された。1950年には、5,000ディナール紙幣が登場した。

1966年のディナール[編集]

1966年(紙幣の日付は1965年)に通貨切り下げが行われ、5、10、50、100ディナール紙幣が発行された。1970年には、500ディナール紙幣が、1974年には20、1000ディナール紙幣が登場した。

1965年-1981年のシリーズ
画像 額面 大きさ 表面 裏面 初発行年
YUD 5 1968 obverse.jpg YUD 5 1968 reverse.jpg 5 din. 123 x 59 mm 鎌を持つ女性 額面 1968年
YUD 10 1981 obverse.jpg YUD 10 1981 reverse.jpg 10 din. 131 x 62 mm Arif Heralić 1968年
YUD 20 1974 obverse.jpg YUD 20 1974 reverse.jpg 20 din. 139 x 65 mm すみれ色 波止場 1974年
YUD 50 1968 obverse.jpg YUD 50 1968 reverse.jpg 50 din. 140 x 66 mm 議会にあるイヴァン・メシュトロヴィチによるレリーフ 1968年
YUD 100 1986 obverse.jpg YUD 100 1986 reverse.jpg 100 din. 148 x 70 mm Antun Augustinčićによる、平和のモニュメント(ニューヨーク、国連ビル) 1965年
YUD 500 1981 obverse.jpg YUD 500 1981 reverse.jpg 500 din. 156 x 74 mm Dark green Frano Kršinićによるニコラ・テスラの像(ナイアガラの滝州立公園)。背景には、高周波変圧器のコイル。 1970年
YUD 1000 1981 obverse.jpg YUD 1000 1981 reverse.jpg 1000 dinar 164 x 78 mm ダークブルー 果物を持つ女性 1974年
これら画像のスケールは0.7px/mmである。

1985年、新しいシリーズの紙幣が発行され、5,000ディナール(肖像:ヨシップ・ブロズ・チトー)が新たに加わった。インフレーション悪化のため、1987年には2万ディナール紙幣が、1988年には5万ディナール紙幣が、そして1989年には、10万、50万、100万、200万ディナール紙幣が登場した。

1990年のディナール[編集]

1990年、通貨切り下げが行われ、10、50、100、200、500、1000ディナール紙幣が発行された。その紙幣のいくつかは、デザインがデノミ前のそれに対応する紙幣とよく似ていた。1991年には、5000ディナール紙幣があらたに登場した。

1992年のディナール[編集]

1992年、通貨切り下げが行われ、100、500、1000、5000、1万、5万ディナール紙幣が発行された。再び、デザインはデノミ前のシリーズと似ていたが、今回は等価のデザインに似せたわけではなかった。1993年には、10万、50万、100万、1000万、5000万、1億、5億、10億、100億ディナールという非常に大きな数字を持つ紙幣が新たに発行された。

1993年のディナール[編集]

1993年、さらに通貨切り下げが行われたものの、5000、1万、5万、50万、500万、5000万、5億、50億、500億、5000億ディナール紙幣が次々発行された。1万ディナール紙幣を除いて5ばかりという不思議な組合せは、ハイパーインフレーションで国が疲弊していたためである。

1994年のディナール[編集]

1994年1月、通貨切り下げが行われ、10、100、1000、5000、5万、50万、1000万ディナールが次々発行された。この通貨は、次のディナールが発行されるまでわずか数週間しか流通しなかった。

ノビ・ディナール[編集]

1994年1月24日、1、5、10ノビ・ディナール紙幣が発行された。1996年には第二シリーズとして、5、10、20、50、100ノビ・ディナール紙幣が発行された。2000年、「ノビ」が取り除かれた、10、20、50、100ディナール紙幣が発行される。翌2001年には新たに200、1000ディナール紙幣が登場。さらに翌2002年には5000ディナール紙幣が登場した。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Krause, Chester L. and Clifford Mishler (1991). Standard Catalog of World Coins: 1801-1991 (18th ed. ed.). Krause Publications. ISBN 0-87341-150-1. 
  • Pick, Albert (1994). Standard Catalog of World Paper Money: General Issues. Colin R. Bruce II and Neil Shafer (editors) (7th ed. ed.). Krause Publications. ISBN 0-87341-207-9. 
  • Pick, Albert (1996). Standard Catalog of World Paper Money: General Issues to 1960. Colin R. Bruce II and Neil Shafer (editors) (8th ed. ed.). Krause Publications. ISBN 0-87341-469-1. 

脚注[編集]

  1. ^ Thayer Watkins, Ph.D. 「The Worst Episode of Hyperinflation in History: Yugoslavia 1993-94」。2007年10月14日閲覧。
  2. ^ Dimitrije Boarov (1996年5月28日). “Time of Fair Money Is Over”. Vreme News Digest Agency. 2007年10月14日閲覧。

balkanofil.ru/index.php/bills/yugoslavia.html - カタログやギャラリーノートユーゴスラビア

KSCS/ユーゴスラビア ディナール (1918–1941)
先代:
セルビア・ディナール
地域:セルビア
理由:セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国建国
比率:1 KSCSディナール=1 セルビア・ディナール
セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の通貨
1918年 – 1929年
ユーゴスラビア王国の通貨
1929 – 1941
次代:
セルビア・ディナール
地域:セルビア(北部と南部の一部を除く)
理由:ドイツに占領されたため
比率:等価
次代:
クロアチア・クーナ
地域:クロアチア独立国
理由:独立
比率:等価
次代:
イタリア・リラ
地域:モンテネグロ, イタリアの占領地のスロベニア
理由:イタリアによる占領
先代:
ユーゴスラビア・クローネ
地域:ボスニア・ヘルツェゴビナ, クロアチア, スロベニア
理由:以前オーストリア=ハンガリー帝国だった地域はセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国が統合
比率:1 ディナール=4 クローネ
次代:
ドイツ・ライヒスマルク
地域:ドイツの占領地のスロベニア
理由:ドイツに併合
次代:
ハンガリー・ペンゲー
地域:Backa, Medimurje, Prekmurje
理由:ハンガリーに併合
先代:
Montenegrin perper
地域:モンテネグロ
理由:セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国に統合
次代:
ブルガリア・レフ
地域:マケドニア
理由:ブルガリアに併合
次代:
アルバニア・レク
地域:コソボと西マケドニア
理由:アルバニアに併合
ユーゴスラビア ディナール (1944–1966)
先代:
セルビア・ディナール
地域:セルビア(北部と南部の一部を除く)
理由:第二次世界大戦終戦に伴い再統合
比率:1 ユーゴスラビア・ディナール=20 セルビアディナール
ユーゴスラビア民主主義連邦の通貨
1944年1946年
ユーゴスラビア人民連邦共和国の通貨
1946年1963年
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の通貨
1963年1965年
次代:
1966 ディナール
比率:1 ディナール (1966)=100 ディナール (1944)
先代:
クロアチア・クーナ
地域:クロアチア独立国
理由:第二次世界大戦終戦に伴い再統合
比率:1 ディナール =40 kuna
先代:
イタリア・リラ
地域:モンテネグロ
理由:ユーゴスラビアに再統合
先代:
ドイツ・ライヒスマルク
地域:スロベニア
理由:ユーゴスラビアに再統合
先代:
ハンガリー・ペンゲー
地域:Backa, Medimurje, Prekmurje
理由:ユーゴスラビアに再統合
先代:
ブルガリア・レフ
地域:マケドニア
理由:ユーゴスラビアに再統合
先代:
アルバニア・レク
地域:コソボと西マケドニア
理由:第二次世界大戦終戦に伴い再統合、アルバニアによる占領が終了
ユーゴスラビア ディナール (1966–1990)
先代:
1944 ディナール
比率:1 ディナール (1966)=100 ディナール (1944)
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の通貨
1966年1990年
次代:
1990 ディナール
比率:1 ディナール (1990)=10,000 ディナール (1966),
7 ディナール (1990)=1 ドイツ・マルク
ユーゴスラビア ディナール (1990–1992)
先代:
1966 ディナール
比率:1 ディナール (1990)=10,000 ディナール (1966),
7 ディナール (1990)=1 ドイツ・マルク
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の通貨
1990年1991年1992年
Note:独立の日付と独立した通貨の流通開始にばらつきがある。
次代:
1992 ディナール
地域:ユーゴスラビア連邦共和国 (セルビア・モンテネグロ)
比率:1 ディナール (1992)=10 ディナール (1990)
備考:July, 1992
次代:
ボスニア・ヘルツェゴビナ・ディナール
地域:ボスニア・ヘルツェゴビナ (スルプスカ共和国を除く)
理由:独立
比率:1 ボスニア・ヘルツェゴビナ・ディナール=10 ディナール (1990)
備考:independence in March, 1992,
new currency in July, 1992
次代:
スルプスカ・ディナール
地域:スルプスカ共和国 (ボスニアの一部)
比率:1 スルプスカ・ディナール=10 ディナール (1990)
備考:1991年に独立
新通貨は1992年7月から new currency on July, 1992, and remained at par with Yugoslav dinar
次代:
クロアチア・ディナール
地域:クロアチアクライナ・セルビア人共和国を除く)
比率:等価
備考:1991年6月25日に独立
new currency on December 23, 1991
次代:
クライナ・ディナール
地域:クライナ・セルビア人共和国 (クロアチアの一部として)
比率:1 クライナ・ディナール=10 ディナール (1990)
備考:1991年12月19日に独立
new currency on July, 1992, and remained at par with Yugoslav dinar
次代:
マケドニア・デナール
地域:マケドニア
比率:等価
備考:1991年9月8日に独立
新通貨は1992年4月26日から
次代:
スロベニア・トラール
地域:スロベニア
比率:等価
備考:1991年6月25日に独立
新通貨は1992年10月8日から
ユーゴスラビア ディナール (1992–1993)
先代:
1990 ディナール
比率:1 ディナール (1992)=10 ディナール (1990)
ユーゴスラビア連邦共和国の通貨
1992年7月1993年9月30日
次代:
1993 ディナール
比率:1 ディナール (1993)=1,000,000 ディナール (1992)
ユーゴスラビア ディナール (1993–1994)
先代:
1992 ディナール
比率:1 ディナール (1993)=1,000,000 ディナール (1992)
ユーゴスラビア連邦共和国の通貨
1993年10月1日1993年12月31日
次代:
1994 ディナール
比率:1 ディナール (1994)=1,000,000,000 ディナール (1993)
ユーゴスラビア ディナール (1994.1)
先代:
1993 ディナール
比率:1 ディナール (1994)=1,000,000,000 ディナール (1993)
ユーゴスラビア連邦共和国スルプスカ共和国の通貨
1994年1月1日1994年1月23日
次代:
ノビ・ディナール
比率:1 ノビ・ディナール=1 ドイツ・マルク=12,000,000 ディナール (1994)
先代:
1993年のスルプスカ・ディナール
比率:1 ディナール (1994)=1,000,000,000 ディナール (1993)
ユーゴスラビア ディナール (1994–2003)
先代:
1994 ディナール
比率:1 ノビ・ディナール=1 ドイツ・マルク=12,000,000 ディナール (1994)
セルビア(コソボ以外)(ユーゴスラビア連邦共和国の一部として)の通貨
1994年1月24日2003年7月2日
次代:
セルビア・ディナール
理由:セルビア・モンテネグロに名称変更のため (2003年2月4日)
比率:等価
モンテネグロ (ユーゴスラビアの一部として), コソボ (セルビアの一部として)の通貨
1994年1月24日1999年
次代:
ドイツ・マルク
理由:政治的、経済的理由
スルプスカ共和国の通貨
1994年1月24日1998年
次代:
兌換マルク
理由:デイトン合意