ヨンダン・ジャンボ

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ヨンダン・ジャンボチベット語: yon tan gtsang po, 中国語: 允丹藏卜, ?-1328年)は、イェスン・テムル・カーン(泰定帝)の息子で、モンゴル帝国の皇族。『元史』などの漢文史料では允丹藏卜(yǔndānzàngbo)と記される。

概要[編集]

晋王イェスン・テムル(後の泰定帝)の息子として生まれ、兄弟にはアリギバ(後の天順帝)、パドマギャルポソセ太子らがいた。

泰定4年(1327年)、智泉寺において仏戒を受けた[1]。後には北方モンゴリアに出鎮している[2]

父イェスン・テムルの死後カーン位を巡って天暦の内乱が勃発し、ヨンダン・ジャンボは兄アリギバを擁する上都派についた。しかし、1328年トク・テムルを擁立する大都派が上都派を破り、上都が陥落するとヨンダン・ジャンボも他の兄弟同様殺されてしまった。

晋王カマラ家[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『元史』巻30泰定帝本紀2,「[泰定四年春正月]庚申、皇子允丹藏卜受仏戒於智泉寺」
  2. ^ 『元史』巻30泰定帝本紀2,「[泰定四年]三月辛丑、皇子允丹藏卜出鎮北辺」

参考文献[編集]