ライシーアム劇場 (ブロードウェイ)

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ライシーアム劇場
Lyceum Theatre NYC 2003.jpg
ライシーアム劇場
概要
住所 西45丁目149番地
ニューヨークマンハッタン区
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
所有者 シューバート・オーガニゼイション英語版
座席数 922
プロダクション The Play That Goes Wrong
建設
開業 1903年11月2日
設計者 ハーツ・アンド・タラント
ウェブサイト
www.shubertorganization.com
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特徴的な正面入り口の庇。

ライシーアム劇場(ライシーアムげきじょう、英語: Lyceum Theatre[lˈsəm] ly-SEE-əm)は、ブロードウェイ・シアターと称される劇場のひとつで、ニューヨークマンハッタン区ミッドタウンで、タイムズスクエアに近い7番街6番街の間、西45丁目149番地に位置している。

概要[編集]

1903年に開場したライシーアム劇場は、ハドソン劇場英語版ニュー・アムステルダム劇場英語版とともに、ブロードウェイに残る最も古い部類の3劇場のひとつである[1]。ライシーアム劇場は、ニューヨークにおいて最も古い時期から継続して運営されている合法的な劇場であり、ブロードウェイの劇場として初めて、1974年に歴史的ランドマークとしての認定を受けた[2]。ニューヨークの劇場で、開場当初からの名称のまま運営され続けている数少ない事例のひとつである。

建築事務所ハーツ・アンド・タラント英語版ボザール様式で設計したライシーアム劇場は、インプレサリオ(興行主)ダニエル・フローマン英語版が、以前に所有しており、1902年に閉場した4番街(後のパーク街)の旧ライシーアム劇場に代わるものとして建設した。この新しいライシーアム劇場は、1903年に開場し、こけら落としでは『The Proud Prince』が上演された。フローマンの弟チャールズ・フローマンは、死去する1915年まで、この劇場の支配人を務めた[3]

初期のライシーアム劇場で舞台に上がった有名な演者たちの中には、エセル・バリモアファニー・ブライスビリー・バークアイナ・クレアミリアム・ホプキンスウォルター・ヒューストンベイジル・ラスボーンコーネリア・オーティス・スキナー英語版らがいた。

ライシーアム劇場は、凝った造りの大理石の階段や、正面入口の波状のなど、建設当初からのオリジナルのボザール様式の設計を残している。劇場部分は3層から成っているが、客席は922席(資料によっては943席)しかなく、席数から見ればブロードウェイの劇場の中でも小規模な部類の劇場のひとつである。舞台前の一等席の真上の位置には、アパートメントが置かれており、元々はフローマンが使用していたが、現在はシューバート・アーカイヴス (the Shubert Archives) の本部が置かれている。

おもな公演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Lyceum Theatre | Shubert Organization”. www.shubert.nyc. 2017年11月13日閲覧。
  2. ^ “Lyceum Declared a Landmark” (英語). The New York Times. (1978年5月17日). ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1978/05/17/archives/lyceum-declared-a-landmark.html 2017年11月13日閲覧。 
  3. ^ New York Architecture Images- Lyceum Theater”. nyc-architecture.com. 2017年11月13日閲覧。
  4. ^ THE ROADSHOW ERA”. CINEMA SIGHTLINES. 2018年6月16日閲覧。
  5. ^ 荒井健二郎「アメリカ演劇におけるゲイ・プレイの流れ」『文化女子大学紀要. 人文・社会科学研究』第5号、1997年、 80頁。 NAID 110006980798

関連項目[編集]

座標: 北緯40度45分27.8秒 西経73度59分4.8秒 / 北緯40.757722度 西経73.984667度 / 40.757722; -73.984667