リュック・ポワリエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リュック・ポワリエ
Luc Poirier.jpg
プロフィール
リングネーム ランボー
ムッシュ・ランボー
スナイパー
ロッキー・モンタナ
ザ・マーセナリー
マスクド・マーベル
本名 リュック・ポワリエ
ニックネーム 狙撃傭兵
身長 195cm - 197cm
体重 130kg - 135kg
誕生日 (1961-01-09) 1961年1月9日(58歳)
出身地 カナダの旗 カナダ
ケベック州の旗 ケベック州
モントリオール
トレーナー エドワード・カーペンティア
ジノ・ブリット
デビュー 1982年
テンプレートを表示

リュック・ポワリエLuc Poirier1961年1月9日 - )は、カナダの元プロレスラーケベック州モントリオール出身のフランス系カナダ人

現役選手時代はヨーロッパを主戦場に活動。日本には1990年代前半、ムッシュ・ランボーMonsieur Rambo)のリングネーム新日本プロレスに度々来日した。

来歴[編集]

地元モントリオールのレジェンドであるエドワード・カーペンティアジノ・ブリットのトレーニングを受け、1982年にデビュー[1]。モントリオールを本拠地とするIWAにて、マスクド・マーベルThe Masked Marvel)またはザ・マーセナリーThe Mercenary)を名乗り、覆面レスラーとなって活動した[2][3]1985年には素顔のリュック・ポワリエ名義でジョバーとしてWWFに出場、ハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート)やザ・スポイラーと対戦している[1]

1980年代後半に渡欧し、オットー・ワンツの主宰するCWAにて、傭兵スタイルのランボーRambo)に変身。スティーブ・ライトデビッド・テイラーなど技巧派のベテラン勢との対戦でキャリアを積み、 大型の外国人ベビーフェイスとして人気を集め、1991年7月6日にはオーストリアグラーツブル・パワーからCWA世界ヘビー級王座を奪取[4]。以降も1993年7月3日にロード・ウォリアー・ホーク1996年12月21日にルドヴィッグ・ボルガを破って戴冠[4]。王者時代はケン・パテラテリー・ファンクテッド・デビアスザ・ウォーロードザ・バーバリアンパパ・シャンゴカクタス・ジャックらの挑戦を退け[1]、CWAのエースとなって活躍した。

日本には1991年1月に「ムッシュ・ランボー」の名義で新日本プロレスに初来日。その後も新日本の常連外国人選手となり、ビッグバン・ベイダーことブル・パワーとの因縁の対決も日本で再現している。1993年2月の来日時は両国国技館にてトニー・ホームと組み、ヘルレイザーズ(ホーク&パワー・ウォリアー)のIWGPタッグ王座に挑戦した。新日本には1995年3月まで通算6回来日し、1997年5月には格闘探偵団バトラーツに参戦している。

1997年7月にCWA世界王座を返上して欧州を離れ、テネシー州メンフィスUSWAに登場。傭兵スタイルはそのままに、スナイパーSniper)と改名してヒールに転向し、南アフリカの治安部隊をギミックとしたユニット「トゥルース・コミッション」に加入。同年の末からはWWFに進出し、ザ・ジャッカルマネージャーインテロゲーター&リーコンとのトリオで活動、ディサイプルズ・オブ・アポカリプスリージョン・オブ・ドゥームと軍団抗争を展開した。

1998年4月にWWFを退団し、カナダのインディー団体を転戦後、CWAに再登場。同年12月19日、ドイツブレーメンにてビッグ・タイトンを破り、CWA世界ヘビー級王座への4度目の戴冠を果たしている[4]。以降、CWAが活動を停止する1999年12月までタイトルを保持し、同王座の最後のチャンピオンとなった。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

  • CWA世界ヘビー級王座:4回[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Luc Poirier Bio”. Cagematch. 2011年4月27日閲覧。
  2. ^ Int'l Wrestling - Montreal #18 Page #2”. Kayfabe Memories. 2011年4月27日閲覧。
  3. ^ Int'l Wrestling - Montreal #11 Page #2”. Kayfabe Memories. 2011年4月27日閲覧。
  4. ^ a b c d CWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。