ルイス・カスティーヨ

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ルイス・カスティーヨ
Luis Castillo
Luis Castillo2 cropped.jpg
ニューヨーク・メッツ時代
(2009年6月18日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス
生年月日 (1975-09-12) 1975年9月12日(43歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 二塁手
プロ入り 1992年 アマチュア・フリーエージェントとしてフロリダ・マーリンズと契約
初出場 1996年8月8日 ニューヨーク・メッツ
最終出場 2010年10月3日 ワシントン・ナショナルズ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ルイス・アントニオ・カスティーヨLuis Antonio Castillo, 1975年9月12日 - )は、ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手二塁手。右投両打。現役時代は1996年から2010年まで15シーズンにわたってMLBでプレイした。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1975年9月12日にドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリスで誕生した。13歳になるまで自分のグラブを持てないくらい貧しい生活を送っていた[1]

プロ入りとマーリンズ時代[編集]

1992年フロリダ・マーリンズと契約し、1996年8月8日にメジャーデビュー。メジャー2年目1997年の開幕戦でエドガー・レンテリアと共に21歳で二遊間を形成した。これはナショナルリーグ史上最年少記録である[2]。しかし、怪我のため一旦マイナーへ降格し、球団史上初のワールドシリーズに出場できなかった。

1999年は128試合に出場し、メジャーに定着。打率.302、球団史上3人目[3]かつリーグ4位の50盗塁を記録した。2000年はオフに年俸調停の資格を得るためカスティーヨは「今年はどうしてもいい成績を残したい」と言い[1]、4月16日から5月4日まで17試合を欠場したが[1]、打率.334はリーグ5位、62盗塁は球団新記録(2003年にフアン・ピエールが65盗塁で記録更新)[3]

2002年、5月8日から6月21日まで35試合連続安打を記録[4]。これは当時史上10位タイ、二塁手としてはロジャース・ホーンスビーを抜いて歴代最多記録だった[5]。7月9日のオールスターに初出場を果たし、リーグ1位の48盗塁、打率.305を記録した。2003年にはワールドチャンピオンの一員となった。シーズン終了後に3年総額1,600万ドル(4年目の2007年はオプション)の契約に合意[6]

2005年シーズン終了後、マーリンズは年俸総額を6,500万ドルから3,000万ドルまで削減するため、12月2日にカスティーヨはトレードで放出された[7]。マーリンズでは10年間在籍し、出場試合数 (1,127)・三塁打 (42)・四球 (532)・安打 (1,272)・盗塁 (281) はいずれもトレード放出時点で球団記録だった[7]

ツインズ時代[編集]

ミネソタ・ツインズ時代
(2006年9月24日)

2006年は打撃ではリードオフヒッターとして確かな選球眼と小技。そして足を使い相手を揺さぶり[8]、守備では経験の浅い内野手のリード役として安定していたが、ヒザの故障のため守備範囲が狭くなり、ゴールドグラブ賞受賞はならなかった[8]

メッツ時代[編集]

2007年7月30日にメッツへトレード移籍し、11月18日に4年総額2,500万ドルで契約延長した[9]2008年はひざの関節、大腿筋、手首などを痛めながら出場していたが[10]、7月3日に左臀筋痛で故障者リスト入り[11]。その後、8年ぶりにマイナーで13試合に出場した後、8月25日にメジャー復帰を果たした[12]。10年ぶりに出場試合数が100を下回り、打率.245・3本塁打・28打点の成績でシーズンを終えた。守備防御点-13は自己ワースト。

2009年は打撃で復活の兆しを見せたが守備の衰えは隠せず、6月12日にはヤンキースとのサブウェイシリーズで、1点リードの9回裏二死1,2塁からアレックス・ロドリゲスが打ち上げたセカンドフライを落球して逆転サヨナラ負けを喫し、話題となる。守備防御点は-12、UZRは自己ワーストの-11.2だった。

2010年6月4日に両足に問題があったことで故障者リストに入った。代わりに二塁に入ったルーベン・テハダシティ・フィールドで行われたフロリダ・マーリンズ戦は5-4でメッツが勝利した。両腕両足を切断した兵士が病院に行かないようだとオリバー・ペレスカルロス・ベルトランと一緒に批判を受け、この経験によっておびえたくないと主張した。また自分のプレーする時間に満足していないことをオフシーズンになる前に解決しないといけないとコメントした。2010年のスプリングトレーニング中に、メッツでプレーしている時にデジタルドメインパークでメッツファンにブーイングを受けた。

結局2011年3月18日にメッツが残りの契約1年分を支払って解雇された[13]

フィリーズ傘下時代[編集]

2011年3月21日にフィリーズとマイナー契約を結んだ[14]。3月30日に放出された。

引退後[編集]

2016年に行われたアメリカ野球殿堂選挙では0票で候補から外された[15]

選手としての特徴[編集]

打撃では、長打力はないものの、フライボールの極めて少ない「打球を転がす」選手で知られる。2000年 - 2009年の間におけるG/F(ゴロ/フライの割合値)では、2001年(4位)と2006年・2009年(2位)を除く全ての年でMLB1位のゴロ率を記録しており、徹底している。

守備はメジャー昇格以降、二塁手一本で他ポジションの経験はない。2005年まではすべての守備防御点・プラスマイナスシステム・UZRでいずれも平均を大きく超える守備力を示していたが、晩年は大きく衰えが見られた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1996 FLA 41 180 164 26 43 2 1 1 50 8 17 4 2 0 14 0 0 46 0 .262 .320 .305 .625
1997 75 291 263 27 63 8 0 0 71 8 16 10 1 0 27 0 0 53 6 .240 .310 .270 .580
1998 44 177 153 21 31 3 2 1 41 10 3 0 1 0 22 0 1 33 1 .203 .307 .268 .575
1999 128 563 487 76 147 23 4 0 178 28 50 17 6 3 67 0 0 85 3 .302 .384 .366 .750
2000 136 626 539 101 180 17 3 2 209 17 62 22 9 0 78 0 0 86 11 .334 .418 .388 .806
2001 134 612 537 76 141 16 10 2 183 45 33 16 4 3 67 0 1 90 6 .263 .344 .341 .685
2002 146 668 606 86 185 18 5 2 219 39 48 15 4 1 55 4 2 76 7 .305 .364 .361 .725
2003 152 676 595 99 187 19 6 6 236 39 21 19 15 1 63 0 2 60 7 .314 .381 .397 .778
2004 150 649 564 91 164 12 7 2 196 47 21 4 5 4 75 2 1 68 15 .291 .373 .348 .721
2005 122 524 439 72 132 12 4 4 164 30 10 7 18 1 65 1 1 32 11 .301 .391 .374 .765
2006 MIN 142 652 584 84 173 22 6 3 216 49 25 11 9 2 56 0 1 58 14 .296 .358 .370 .728
2007 85 384 349 54 106 11 3 0 123 18 9 4 5 1 29 0 0 28 3 .304 .356 .352 .708
NYM 50 231 199 37 59 8 2 1 74 20 10 2 7 1 24 0 0 17 2 .296 .371 .372 .743
'07計 135 615 548 91 165 19 5 1 197 38 19 6 12 2 53 0 0 45 5 .301 .362 .359 .721
2008 87 359 298 46 73 7 1 3 91 28 17 2 7 2 50 2 2 35 13 .245 .355 .305 .660
2009 142 580 486 77 147 12 3 1 168 40 20 6 19 5 69 3 1 58 15 .302 .387 .346 .732
2010 86 299 247 28 58 4 2 0 66 17 8 3 11 2 39 1 0 25 6 .235 .337 .267 .604
MLB:15年 1720 7471 6510 1001 1889 194 59 28 2285 443 370 142 123 26 800 13 12 850 120 .290 .368 .351 .719
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



二塁(2B)












1996 FLA 41 99 118 3 37 .986
1997 70 129 177 9 44 .971
1998 44 117 113 7 34 .970
1999 126 257 343 15 75 .976
2000 136 282 365 11 83 .983
2001 133 260 387 13 99 .980
2002 144 269 391 13 93 .981
2003 152 286 433 10 99 .986
2004 148 275 406 6 97 .991
2005 120 245 352 7 87 .988
2006 MIN 142 267 378 6 78 .991
2007 85 154 220 3 48 .992
NYM 50 99 95 2 27 .990
'07計 135 253 315 5 75 .991
2008 81 160 186 6 41 .983
2009 137 266 344 11 71 .982
2010 74 122 176 2 38 .993
MLB 1683 3287 4484 124 1051 .984
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

背番号[編集]

  • 34(1996年)
  • 1(1997年 - 2010年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 「各球団マンスリー・リポート フロリダ・マーリンズ 」『月刊メジャー・リーグ』2000年8月号、ベースボール・マガジン社、2000年、雑誌 08625-8、52頁。
  2. ^ Career biography (1997)”. MLB.com. 2009年10月24日閲覧。
  3. ^ a b Florida Marlins Batting Leaders - Baseball-Reference.com 2008年1月14日閲覧.
  4. ^ Luis Castillo 2002 Batting Gamelogs - Baseball-Reference PI 2008年1月14日閲覧.
  5. ^ Career biography (2002)”. MLB.com. 2008年1月14日閲覧。
  6. ^ Hermoso, Rafael (2003年12月2日). “Marlins, Not Mets, For Castillo” (英語). The New York Times. 2009年10月24日閲覧。
  7. ^ a b Frisaro, Joe (2005年12月2日). “Indians Marlins send Castillo to Twins” (英語). MLB.com. 2009年10月24日閲覧。
  8. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、120頁。ISBN 978-4-331-51213-5。
  9. ^ Associated Press (2007年11月19日). “Castillo agrees to four-year deal” (英語). MLB.com. 2009年10月24日閲覧。
  10. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、279頁。ISBN 978-4-331-51370-5。
  11. ^ DiComo, Anthony (2008年7月3日). “Mets place Castillo on DL to rest leg” (英語). MLB.com. 2009年10月24日閲覧。
  12. ^ Mets activate infielder Luis Castillo” (英語). MLB.com (2008年8月25日). 2009年10月24日閲覧。
  13. ^ Archived copy”. 2011年3月19日閲覧。
  14. ^ http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20110320&content_id=17044418&vkey=news_mlb&c_id=mlb
  15. ^ http://bleacherreport.com/articles/2605588-2016-bbwaa-hall-of-fame-election-results-announced

関連項目[編集]