ルーベン・パラシオス

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ルーベン・パラシオス
基本情報
本名 ルーベン・ダリオ・パラシオス
通称 Huracan(ハリケーン)
階級 フェザー級
国籍  コロンビア
誕生日 (1962-12-01) 1962年12月1日
出身地 アンティオキア県ラ・シエラ
死没日 (2003-11-14) 2003年11月14日(満40歳没)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 58
勝ち 45
KO勝ち 19
敗け 11
引き分け 2
無効試合 0
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ルーベン・パラシオスRuben Palacios1962年12月1日 - 2003年11月14日)は、コロンビアプロボクサーアンティオキア県ラ・シエラ出身。第6代WBO世界フェザー級王者。

来歴[編集]

1981年4月27日、プロデビューを果たし6回判定勝ちを収め白星でデビューを飾った。

1982年4月17日、フランシスコ・アルバレスと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1982年6月15日、ウィルソン・サルガドと対戦し初のKO勝利となる2回KO勝ちを収めた。

1982年10月30日、コロンビアバンタム級王者ホーマー・メザと対戦し12回判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

1982年12月18日、ミゲール・マツラナと対戦し10回TKO勝ちを収め初防衛に成功した。

1983年5月12日、ミゲール・ローラとWBCアメリカ大陸バンタム級王座決定戦で対戦し12回判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

1984年6月29日、ジェファーソン・ゴメスとコロンビアスーパーバンタム級王座決定戦で対戦し10回判定勝ちを収めコロンビア王座の2階級制覇を達成した。

1985年3月30日、水原市のインドア・スタジアムでIBF世界スーパーバンタム級王者金知元と対戦し15回0-3(143-146、142-149、142-147)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

1985年10月12日、バレリノ・ナチと対戦し10回判定負けを喫した。

1986年5月7日、ロンドンのロイヤル・アルベルト・ホールでジム・マクドネルと対戦し7回TKO負けを喫した。

1987年5月25日、ラファエル・スニガと対戦し2回TKO負けを喫した。

1987年10月30日、コロンビアフェザー級王者アルバロ・ボホルケスと対戦し10回判定勝ちを収めコロンビア王座の3階級制覇を達成した。

1988年2月5日、WBAフェデラテンスーパーバンタム級王者マヌエル・メイハと対戦し4回TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1988年5月21日、ジェイミー・カステロンと対戦し7回負傷判定勝ちを収め初防衛に成功した。

1988年10月7日、アルバロ・ナルバエスと対戦し12回判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

1989年3月3日、ダニエル・ブランコと対戦し3回KO勝ちを収めた。

1989年11月18日、バンーシーン・ヨドムアイダンと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1990年5月25日、ヘスス・サルードの王座剥奪で空位となったWBA世界スーパーバンタム級王座決定戦でルイス・メンドーサと対戦し12回1-1(115-113、113-116、114-114)の引き分けに終わり王座獲得に失敗した。

1990年9月11日、マイアミのジャイ・アライ・フロントンでルイス・メンドーサとWBA世界スーパーバンタム級王座決定戦を再び行い3回51秒逆転TKO負けを喫し王座獲得に失敗した。

1991年2月3日、元OPBF東洋太平洋バンタム級王者許濬と対戦し2回KO負けを喫した。

1991年6月14日、エバー・ベレーノと対戦し10回判定負けを喫した。

1991年7月31日、コロンビアスーパーフェザー級王者のオマール・ゴンサレスと対戦し4回TKO勝ちを収めコロンビア王座の4階級制覇を達成した。

1992年9月26日、ロンドンのオリンピアでWBO世界フェザー級王者コリン・マクミランと対戦し8回1分52秒逆転TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。試合後の検査でHIVに感染しており、この試合を最後に王座在位のまま1度も防衛せずに現役を引退した。

その後はHIVと闘病していたが2003年11月14日、メデジンの病院でAIDSのため死去した。40歳没。

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

前王者
コリン・マクミラン
WBO世界フェザー級王者

1992年9月26日 - 1993年(返上)

空位
次タイトル獲得者
スティーブ・ロビンソン