レネ・アロチャ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はアロチャ第二姓(母方の)はマガリーです。
レネ・アロチャ
Rene Arocha
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国へ亡命)
出身地  キューバ
ハバナ
生年月日 (1966-02-24) 1966年2月24日(52歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 アマチュアFA
初出場 1993年4月9日
最終出場 1997年6月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

レネ・アロチャ・マガリーRené Arocha Magaly , 1966年2月24日 - )は、キューバ共和国ハバナ出身の元プロ野球選手投手)。右投げ右打ち。

スペイン語の野球サイトでは1964年生まれとなっている。

経歴[編集]

キューバ時代 - 亡命[編集]

1979-1980シーズンにオマール・リナレスダヤン・ビシエドと並び、最年少記録となる15歳でキューバ国内リーグ"セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル"デビュー。

1986-1987シーズンに103.0を投げて防御率1.51を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得した。

1987-1988シーズンにゲレーロス・デ・メトロポリタノスから名門人気チームのレオネス・デ・インダストリアレスへ移籍した。

キューバ代表としては1988年8月の第30回ワールドカップの優勝に貢献、キューバで3番手、または4番手の投手と見られていた[1]

アメリカ合衆国テネシー州で開催された大会に出場した後、1991年7月10日に妻子をキューバに残したまま亡命した[2]。11月22日にMLBセントルイス・カージナルスと契約を結び、入団した。

プロ入り後[編集]

1992年マイナーリーグのAA級ルイビルで防御率2.70・127の好成績を残し、アメリカン・アソシエーションのMVPを獲得した[3]

1993年4月9日の対シンシナティ・レッズ戦でMLB初登板。初登板では8回を投げて1与四球・2失点の好投で勝利投手となった。その後は先発ローテーションに定着し、防御率3.78・11勝8敗とまずまずの成績を残した。

1994年5月以降はリリーフに専念した。

1995年は7月終盤に右肘を負傷して戦列を離れ、手術が必要になった[3]

1996年リハビリに費してシーズンを全休し、12月19日にトム・ラムプキンとのトレードサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[3]

1997年はMLBに復帰し、ジャイアンツで6試合だけ登板した。

1998年はAAA級ニューオーリンズで過ごした。

1999年メキシカンリーグユカタン・ライオンズモンテレイ・サルタンズに所属、この年限りで現役を引退した。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]






















































W
H
I
P
1993 STL 32 29 1 0 0 11 8 0 0 .579 774 188.0 197 20 31 2 2 96 3 1 89 79 3.78 1.21
1994 45 7 1 1 1 4 4 11 6 .500 360 83.0 94 9 21 4 4 62 2 0 42 37 4.01 1.39
1995 41 0 0 0 0 3 5 0 14 .375 216 49.2 55 6 18 4 3 25 2 0 24 22 3.99 1.47
1997 SF 6 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 54 10.1 17 2 5 2 1 7 0 0 14 13 11.32 2.13
MLB:4年 124 36 2 1 1 18 17 11 20 .514 1404 331.0 363 37 75 12 11 190 7 1 169 151 4.11 1.32

選抜リーグ含むキューバリーグ通算投手成績[編集]

11シーズン 10472 防御率3.18 与四球率3.47 奪三振率6.61 被本塁打率0.59 WHIP1.27
245試合 198先発 1412.2 544与四球(敬遠35) 75与死球 1038奪三振 93被本塁打 

獲得タイトル[編集]

CNS

背番号[編集]

  • 43 (1993年 - 1995年、1997年)
  • 49 (1997年) 

脚注[編集]

関連項目[編集]