ロイド・モスビー

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ロイド・モスビー
Lloyd Moseby
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アーカンソー州ポートランド
生年月日 (1959-11-05) 1959年11月5日(57歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1978年 ドラフト1巡目(全体2位)
初出場 MLB / 1980年5月24日
NPB / 1992年4月21日
最終出場 MLB / 1991年10月6日
NPB / 1993年8月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • トロント・ブルージェイズ (1998 - 1999)

ロイド・アンソニー・モスビーLloyd Anthony Moseby1959年11月5日 - )は、アメリカ合衆国アーカンソー州ポートランド出身の元プロ野球選手外野手、右投左打)、コーチ。ニックネームはShaker

経歴[編集]

アマチュア時代[編集]

1959年、アーカンソー州綿花農家で8人兄弟の末子として生まれた[1]。子供の頃はバスケットボールが好きでガードを務め、綿花畑を走り回って俊足が鍛えられたという[1]オークランド高校英語版で野球を始めると才能が開花し、打球がライト後方の民家のガラスを頻繁に割るほどだった[1]。自身は大学に進んでバスケットを続けたかったが、1978年MLBドラフトトロント・ブルージェイズから1巡目(全体2位)に指名を受け、豊かではない家族を助けるためにプロ入りを決めた[1]

トロント・ブルージェイズ[編集]

1980年5月24日ニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビュー。翌日の同カードでトミー・ジョンからのメジャー初本塁打を含む3安打4打点を記録した[2]1983年打率.315、18本塁打、81打点、27盗塁の成績で、シルバースラッガー賞を受賞。1984年は18本塁打、92打点、39盗塁、リーグ最多の15三塁打を記録。1985年は18本塁打、37盗塁で球団創設以来初の地区優勝に貢献。カンザスシティ・ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.226に終わり、チームも3勝4敗で敗退した。

1986年オールスターゲームに初めて選出される。1987年はキャリアハイの26本塁打、96打点、106得点、39盗塁を記録する。同時期に活躍したジョージ・ベルジェシー・バーフィールドと共に、ブルージェイズの「最高の外野トリオ」を形成した。1989年は打率.221、11本塁打に留まるが、チームは2度目の地区優勝を果たす。オークランド・アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第5戦でデーブ・スチュワートから本塁打を放つなど打率.313を記録するが、チームは1勝4敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなり、12月7日デトロイト・タイガースと年俸140万ドルで契約を結んだ[3]

デトロイト・タイガース[編集]

移籍1年目の1990年セシル・フィルダーらとクリーンアップを組んだ[4]が、打率.248、14本塁打、17盗塁に終わる。1991年は故障もあって自身最少の74試合の出場に留まるなど、期待に応えられなかった。自身の誕生日である11月5日にフリーエージェントとなる。

読売ジャイアンツ[編集]

1992年開幕後も所属球団が決まっていなかったところ、読売ジャイアンツと年俸80万ドルで(推定)で入団に合意した[5]。なお、クリーブランド・インディアンスからもオファーを受けていたが日本の野球に興味があり優勝できるチームを希望していたため、巨人入りを決めたという[1]外国人枠の関係でデニー・ゴンザレスが4月9日にウェイバー公示され、これを待ってモスビーの入団契約が交わされている[5]。4月12日に来日し[5]、4月21日の対ヤクルト戦でNPBデビューし、この試合で本塁打を放っている[6]。同年は96試合の出場ながら打率.306、25本塁打、71打点という好成績を残してチームを最下位から浮上させる原動力となり[4]、11月20日に年俸140万ドル(推定)で残留契約を結んだ[7]

1993年はブルージェイズ時代の同僚バーフィールドが加入し、再び右中間コンビを組んだ。しかし、開幕2戦目の4月11日の対横浜戦で空振りした際に右脇腹に挫傷を負い[8]、さらに6月7日には右足親指の捻挫のためアメリカに帰国し、フランク・ジョーブの診察を受けている[9]。6月23日に日本に戻った[10]が、回復が遅かったため巨人はミッキー・ブラントリーを7月に獲得している。復帰後は打撃にムラがあり[11]、シーズン終了前の10月17日にアメリカに帰国してそのまま退団した[12]

現役引退後[編集]

1998年から1999年にかけてブルージェイズで一塁ベースコーチを務めた。

プレースタイル[編集]

スイングスピードが速く、低めへの投球にも強かった[1]。研究熱心な点と合わせ巨人のコーチだった中西太から打撃を高く評価されている[1]。俊足・強肩で打球の読みも鋭く、守備範囲が広いため中堅手を主に務めていた[1]。また、フェンスに激突しながら捕球する場面もしばしば見られた[1]。走塁面ではMLBで通算280盗塁を記録し、NPBでも積極的な走塁を行なっていた[1]

状況に合わせたチームプレーを行ない、打席や守備位置で常に体を動かす陽気なパフォーマンスでチームメートやファンに好評を博していた[1]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1980 TOR 114 430 389 44 89 24 1 9 142 46 4 6 10 2 25 4 4 85 11 .229 .281 .365 .646
1981 100 412 378 36 88 16 2 9 135 43 11 8 5 4 24 3 1 86 4 .233 .278 .357 .635
1982 147 533 487 51 115 20 9 9 180 52 11 7 3 2 33 3 8 106 10 .236 .294 .370 .664
1983 151 604 539 104 170 31 7 18 269 81 27 8 3 6 51 4 5 85 10 .315 .376 .499 .875
1984 158 688 592 97 166 28 15 18 278 92 39 9 3 7 78 9 8 122 8 .280 .368 .470 .837
1985 152 670 584 92 151 30 7 18 249 70 37 15 1 5 76 4 4 91 12 .259 .345 .426 .772
1986 152 668 589 89 149 24 5 21 246 86 32 11 2 7 64 3 6 122 7 .253 .329 .418 .746
1987 155 670 592 106 167 27 4 26 280 96 39 7 3 3 70 4 2 124 11 .282 .358 .473 .831
1988 128 552 472 77 113 17 7 10 174 42 31 8 1 3 70 6 6 93 8 .239 .343 .369 .712
1989 135 572 502 72 111 25 3 11 175 43 24 7 7 1 56 1 6 101 7 .221 .306 .349 .655
1990 DET 122 487 431 64 107 16 5 14 175 51 17 5 1 2 48 3 5 77 14 .248 .329 .406 .735
1991 74 288 260 37 68 15 1 6 103 35 8 1 1 3 21 2 3 43 3 .262 .321 .396 .717
1992 巨人 96 385 337 60 103 15 1 25 195 71 6 4 0 2 42 2 4 90 1 .306 .387 .579 .966
1993 37 151 126 21 31 3 0 4 46 13 0 0 0 2 18 0 5 27 0 .246 .358 .365 .723
MLB:12年 1588 6574 5815 869 1494 273 66 169 2406 737 280 92 40 45 616 46 58 1135 105 .257 .332 .414 .746
NPB:2年 133 536 463 81 134 18 1 29 241 84 6 4 0 4 60 2 9 117 1 .289 .379 .521 .900

表彰[編集]

MLB

記録[編集]

MLB
NPB

背番号[編集]

  • 15 (1980年 - 1989年)
  • 17 (1990年)
  • 15 (1990年 - 1991年)
  • 49 (1992年 - 1993年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 読売新聞、1992年5月2日付夕刊、p.2
  2. ^ baseball-reference.com 1980年5月25日 TOR vs. NYY
  3. ^ baseball-reference.com Lloyd Moseby
  4. ^ a b スポニチ 日めくりプロ野球 【9月18日】1992年 残ったジャイアンツ 奇跡の5連打 トドメはモスビー
  5. ^ a b c 読売新聞、1992年4月10日付朝刊、P.19
  6. ^ 読売新聞、1992年4月22日付朝刊、P.21
  7. ^ 読売新聞、1992年11月21日付朝刊、P.19
  8. ^ 読売新聞、1993年4月15日付朝刊、P.21
  9. ^ 読売新聞、1993年6月10日付朝刊、P.17
  10. ^ 朝日新聞、1993年6月24日付朝刊、P.23
  11. ^ 読売新聞、1993年8月2日付朝刊、P.23
  12. ^ 読売新聞、1993年10月16日付夕刊、P.3

関連項目[編集]