ロイ・エルドリッジ

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左からモンク、マギー、ロイ、テディーヒル。N.Y.ミントンの店の前。1947年9月。ゴットリープ撮影。

デビッド・ロイ・エルドリッジ(David Roy Eldridge、1911年1月30日 - 1989年2月26日)、愛称 "リトル・ジャズ" はアメリカのジャズ・トランペット奏者。

代理コードを含む洗練されたハーモニー、ソロ演奏の名人芸は、なめらかで抒情的なイノベータールイ・アームストロングからの前進を示した。

ディジー・ガレスピーに強いインパクトを与えたことで、スイング時代の最も影響力のあるミュージシャン、ビバップ先駆者とされる。

初期[編集]

1911年ピッツバーグ生まれ。大工ピアニストの息子。[1]

5歳でピアノを始める。すでにちゃんとしたブルースリックを弾けたという。[2]ヴァイオリンアルトサックスクラリネットで音楽の才能を示していた兄ジョーを見上げていた。[3]

6歳でドラムのレッスンを受け、地元で演奏していた。[4]地元の教会バンドでロイがラッパ(bugle)を吹いてるのをジョーが見てトランペットをやらせることになった。ジョーのバンドでロイがドラムをたたき始めると、ジョーは「トランペットをやりなさい」と言ったが、ロイは最初いやがった。[5]

11歳のときに母が死んで父がすぐ再婚するとロイはトランペットを猛烈に練習しはじめ、部屋に何時間も籠って特に高音域をマスターした。[6]譜面を読むのは苦手だったが、耳でメロディーをとらえるのが上手かった。[7]

仕事[編集]

初期には多くのバンドを率い、アメリカ中西部をくまなく演奏してまわった。[8]

サックスのベニー・カーターコールマン・ホーキンスからの影響を吸収し、フレッチャー・ヘンダーソン楽団『ザ・スタンピード』(1926年)でのホーキンスのソロをコピーすることでトランペット・スタイルを作った。[9]

9年生で高校を退学させられ、家出して16歳で旅芸人の集団に参加。が、集団はすぐに解散し、オハイオ州ヤングスタウンで一人っきりになった。[10]そこで「偉大なシーズリーのカーニバル」に拾われたが、メリーランド州カンバーランド人種差別を目撃し、ピッツバーグに帰った。[11]

すぐに「ロック・ダイナのトラベリング・ショー」のバンドを率いることになる。[12]そこでの演奏をカウント・ベイシーが見ており、「僕の人生でこれまで聴いた中で最も偉大なトランペットだったよ」と後年語った。[13]その後も似たような旅集団で演奏し、17歳で帰郷した。[14]

20歳の時、「ロイ・エリオットと彼の王立パレス楽団」なるバンドを率いた。[15]名前を変えたのはマネージャーであり、「そのほうが格式が高いと思ったんだろう」とのことだ。[16]その後ロイは辞め、フレッチャー・ヘンダーソンの弟ホレス・ヘンダーソンの楽団のオーディションを受け、ホレスが音楽監督だった「フレッチャー・ヘンダーソン・ストンパーズ」に参加する。[17]

その後デトロイトで他の多くのバンドと演奏してから、スピード・ウェブのバンドに参加し、中西部のツアーに出る。[18]リーダーがいい加減だったので、メンバーの多くはエルドリッジをリーダーとしたバンドを結成した。[19]このアンサンブルは短命だった。エルドリッジはミルウォーキーに移動し、トランペット奏者Cladys "Jabbo" Smithとコンテストで競争し、友達になった。[20]

ニューヨークとシカゴ[編集]

1930年冬にニューヨークに移動。セシル・スコット英語版, エルマー・スノーデン英語版, チャーリー・ジョンソン英語版,テディ・ヒル英語版らのバンドを渡り歩く[21]。 このころエリントン楽団のOtto Hardwickから、演奏のすごさと身長の低さをかけた「リトルジャズ」のあだ名をもらう[22]

録音とラジオ放送を自分のバンド名義で行う。はじめてソロ演奏を披露したのはTeddy Hillの録音(1935年)であり、すぐに人気が出た。[21]有名なナイトクラブFamous Doorで自分のバンドを率いた。[21]

ビリー・ホリデイ1935年に『What a Little Moonlight Can Do』『Miss Brown to You』などをディキシーランド・スタイルで録音。[23]

同年フレッチャーの楽団に参加詩、歌うこともあった。[21] 1936年に辞めるまで,『Christopher Columbus』『Blue Lou』などでソロをとった。[24]彼のリズミックなスイングはこの時代のジャズのトレードマークとなり、「1930年代半ば以降、アームストロングの後継者はエルドリッジだった」とされる。[25]

1936年秋にシカゴに引っ越し。兄ジョーがサックスと編曲を担当した七人組バンドを結成。『アフター・ユーヴ・ゴーン』『Wabash Stomp』などで長いソロをとった録音を残した。[21]

音楽業界の人種差別にうんざりした彼は1938年に音楽をいったんやめ、無線エンジニアの勉強をした。[15]1939年に復帰し、10人組バンドを結成。ニューヨークのArcadia Ballroomに落ち着いた。[21]

ジーン・クルッパ楽団[編集]

1941年春、クルッパ楽団に入り、新人歌手アニタ・オデイと共演する。[26] 白人バンドに入った初の黒人音楽家となった。[27] ノベルティー・ソング "Let Me Off Uptown"、"Knock Me With a Kiss" などがヒット。[22]

最も有名な録音はホーギー・カーマイケルの『ロッキン・チェア』で、編曲はベニー・カーターだった。[28]

「オデイが高慢ちきだ」という不満もあり、1943年夏にクルッパがマリファナ所持で投獄されるとバンドは解散。[29]

ツアー・フリーランス・スモールグループ[編集]

1943年の残りはブラブラし翌年Artie Shawバンドに参加。また人種問題があり、ビッグバンドを組んだが、経済的に失敗し、スモールグループ作業に戻った。[26]

戦後はJATPでツアー。Norman Granzはロイがジャズのスピリットを象徴しているとし、「彼はステージに現れるとベストをつくす。どんなコンディションでも。何事にも集中する。彼はわざと尻餅をつくときも安全にじゃなく思いっきりやるんだ。ジャズってそういうもんじゃないかなあ」と振り返っている。[30]

1950年、Benny Goodmanとのツアー中にパリに住み、1951年にニューヨークに戻りバードランドでバンドを持った。

1952年から60年代初期にColeman Hawkins, エラ・フィッツジェラルドアール・ハインズなどと共演。このころGranz と録音を始める。[26]

Ella Fitzgeraldとは1963~1965年に、Count Basieと1966年にツアーし、フリーにもどりフェスティバルなどで演奏した。[26]

1960年Abbey Lincoln, Charles Mingus, Eric Dolphy, Kenny DorhamなどとJazz Artist's Guild(MingusとMax Roachが組んだ組織)で録音。[31]『Newport Jazz Rebels』というLPになった。

人種差別に起因する衝突[編集]

クルッパは、あるレストランで「あの黒人といっしょのテーブルで食べるな」といわれ、殴り合いのけんかになり、留置場で数時間過ごした。[32]

晩年[編集]

1969年から数年間、マンハッタンの西54番街のジミーリャンのジャズクラブでハウスバンドを持った。[22]

1970年に心臓発作で障害を負ったがすぐに復帰し、歌・ドラム・ピアノもやった。[33]

作家のMichael Zirpoloは1970年代末にリャンの店でロイを見、「まだ高音をはじけさせられるんだと思ってびっくりしたよ。彼の健康が心配だった。こめかみの静脈が浮き出ていたからね」と回想している。[34]

1980年の心臓発作で演奏をあきらめた。[33]

78歳でニューヨークのヴァリー・ストリームのフランクリン総合病院で亡くなった。奥さんのヴィオラが亡くなった三週間後のことだった。[22]

音楽[編集]

影響[編集]

本人によると、最初のアイドルはRex Stewartで、ピッツバーグで兄とともに共演していた。[35]

若い時分はサックス吹きの音源から学んだ。[36]

コルネットのRed NicholsやTheodore "Cuban" Bennettからも学んだ。[37]

本人によると、初期にはアームストロングからは影響されず、1932年にアームストロングの研究を始めた(アームストロングの本格的な全米ブレイクは1929年)。[21]

主なディスコグラフィ[編集]

  • 『リトル・ジャズのビッグバンド』(トパーズ、1935から1945年):ディッキー・ウェルズ、ベニー・グッドマン、とベニー・カーター、テディ・ウィルソン、ジーン・クルーパ、ジョン・カービーと
  • 『アフターユーヴゴーン』(デッカ・レコード / GRP、1936年から1946年):アイクケベック、セシル・ペイン、ビリー・テイラー、シハブ、ウィルバードゥパリ
  • 『ヘッケラーのホップ』(HEP、1936年から1939年):ジーン・クルーパベニー・グッドマン、とヘレンウォード
  • 『ロイ・エルドリッジ1943-1944』(クラシック)、『1945年から1947年』(クラシック)
  • 『ナット』(ディスク・ヴォーグ、1950):ズート・シムズ、ディック・ハイマン、ピエール・ミシュロ
  • 『フレンチ・クッキング』(ヴォーグ、1950年から1951年):レイモンド・フォール、バーニー・シュピーラー
  • 『ロイとディズ』(ヴァーヴ、1954):ディジー・ガレスピーハーブ・エリスレイ・ブラウン、ルイベルソンと
  • 『ニフティ・キャット』(ニューワールド):バッド・ジョンソン、ベニー・モートン、ナット・ピアース
  • オスカー・ピーターソンとロイ・エルドリッジ』
  • 『パリのロイ・エルドリッジ』(ヴォーグ、1950年から1951年)
  • 『ロイ・ガット・リズム』(EMARCY)
  • 『リトル・ジャズ』(1957; EMARCY [マーキュリー] ) (チャーリーシェーバー、ジョー・トーマス、ヨナ・ジョーンズ・エメット・ベリー)
  • 『ロイ・エルドリッジによる完全版ヴァーヴ・ロイ・エルドリッジ・スタジオ・セッション』(ヴァーヴ
  • 『ニューポートの反乱』(CJM 8022、1960)
  • 『トランペット・キングス・ミーツ・ジョー・ターナー』(パブロ、1974):ビッグ・ジョー・ターナーディジー・ガレスピー、ハリー"スイーツ"エディソンとクラーク・テリー
  • 『ロイ・エルドリッジとオスカー・ピーターソン』(OJC、1974)
  • 『Litleジャズとジミー・ライアン・オールスターズ』(パブロ、1975):ディック・カッツ、メジャー・ホーリー
  • 『幸せな時間』(パブロ、1975)
  • 『ジャズの成熟度・・・どこから来ている』(パブロ、1975)
  • 『オスカー・ピーターソンとトランペットキングス』(パブロ、1975)
  • 『モントルー'75~トランペット・キングス』(パブロ):ディジー・ガレスピークラーク・テリー
  • 『テイタム・テイタム』:アート・テイタム、ジョン・シモンズ(ベース)、アルビンストーラー(ドラム)(1955年、1975パブロ)
  • 『ワット・イズ・オール・アバウト』(OJC、1976):ミルト・ジャクソン、バッド・ジョンソンと
  • 『モントルー1977』 ;(OJC、1977パブロ)オスカー・ピーターソン、ニールスヘニング・エルステッドペダーソン、ボビー・ダーハムなど
  • 『ロイ・エルドリッジとヴィック・ディッキンソン』(ストーリーヴィル・レコード、1978):トミー・フラナガン参加
  • 『ヘッケラーのホップ』(Hepレコード、1995年)
  • ベン・ウェブスター『ベン・ウェブスター・アンド・アソシエイツ』(ヴァーヴ、1959)

参照[編集]

  1. ^ Chilton, p. 4-5
  2. ^ Chilton, p. 5
  3. ^ Chilton, p. 5-6
  4. ^ Chilton, p. 6
  5. ^ Chilton, p. 7.
  6. ^ Chilton, p. 8.
  7. ^ Chilton, p. 9.
  8. ^ Eldridge, (David) Roy in Oxford Music Online Gunther Schuller, Oxford Music Online. Retrieved March 26, 2012.
  9. ^ Lyttelton, p. 410.
  10. ^ Chilton, pp. 12–13.
  11. ^ Chilton, pp. 14–16.
  12. ^ Chilton, p. 16.
  13. ^ Basie, qtd. in Chilton, p. 18.
  14. ^ Chilton, p. 22.
  15. ^ a b Balliett, p. 151.
  16. ^ Eldridge, quoted in Chilton, p. 22.
  17. ^ Chilton, p. 25.
  18. ^ Chilton, pp. 32–34, 37.
  19. ^ Chilton, pp. 39–40.
  20. ^ Chilton, pp. 40–42.
  21. ^ a b c d e f g Robinson, p. 691.
  22. ^ a b c d Wilson "Roy Eldridge, 78, Jazz Trumpeter Known for Intense Style, Is Dead", New York Times, February 28, 1989: 7.
  23. ^ Oliphant, pp. 343–44.
  24. ^ Oliphant, pp. 51–52.
  25. ^ Lyttelton, p. 414.
  26. ^ a b c d Robinson, p. 692.
  27. ^ Oliphant, p. 326.
  28. ^ Oliphant, p. 308.
  29. ^ O'Day, pp. 102–123.
  30. ^ quoted in Steve Voce Obituary Norman Granz, The Independent, November 26, 2001. Retrieved November 20, 2008.
  31. ^ referred to in the liner notes of the LP by Nat Hentoff, quoted here [1]
  32. ^ "Gene Krupa Fined," Cleveland Gazette January 3, 1942.
  33. ^ a b Wilson, "Roy Eldridge's Ambition"
  34. ^ Zirpolo, p. 54.
  35. ^ Chilton, p. 10.
  36. ^ Chilton, pp. 11–12.
  37. ^ Chilton, p. 14.

資料[編集]

  • Balliett, Whitney. "Little Jazz." The New Yorker 61.43 (1985): pp. 151–59. RILM Abstracts of Music Literature.. Retrieved April 14, 2012.
  • Chilton, John. Roy Eldridge, Little Jazz Giant. New York: Continuum, 2002. Print. ISBN 0-8264-5692-8.
  • Deveaux, Scott and Howard McGhee. "Jazz in the Forties." The Black Perspective in Music 15.1 (Spring 1987): 64–78. JSTOR. Web. Retrieved Apr 14, 2012.
  • Lyttelton, Humphrey. The Best of Jazz. Robson Books, 1998. ISBN 1-86105-187-5.
  • Giddins, Gary. "The Excitable Roy Eldridge." Rhythm-a-ning: Jazz Tradition and Innovation in the '80s. New York: Oxford University Press, 1985. ISBN 0-19-503558-5.
  • "Gene Krupa Fined After Socking Manager for Refusal to Admit Colored Boy Roy Eldridge in Pa. Restaurant." Cleveland Gazette Jan 3, 1942: 2. America's Historical Newspapers. Web. Apr 14, 2012.
  • Obituary Norman Granz, The Independent, November 25, 2001. Retrieved November 20, 2008.
  • O'Day, Anita and George Eels. High Times, Hard Times. New York: Limelight, 1981. ISBN 0-87910-118-0.
  • Oliphant, Dave: The Early Swing Era: 1930–1941. Westport: Greenwood Press, 2002. ISBN 0-313-30535-8.
  • Robinson, J. Bradford and Barry Kernfeld. "Eldridge, Roy." The New Grove Dictionary of Jazz, 2nd ed. Ed. Barry Kernfeld. New York: Grove, 2002. ISBN 1-56159-174-2.
  • Schuller, Gunther. "Eldridge, (David) Roy ['Little Jazz']." Oxford Music Online. [2]. Retrieved March 26, 2012.
  • Wilson, John S. "Roy Eldridge, 78, Jazz Trumpeter Known for Intense Style, Is Dead." New York Times Feb 28, 1989: 7. Newspaper Source.. Retrieved Apr 14, 2012.
  • Wilson, John S. "Roy Eldridge's Ambition: 'To Outplay Anybody.'" New York Times June 30, 1981: C5. ProQuest Historical Newspapers. Web. Retrieved Apr 14, 2012.
  • Wilson, John S. "Roy Eldridge: Jazz Trumpeter for All Decades." New York Times Oct 17, 1982: H25. ProQuest Historical Newspapers. Web. Apr 14, 2012.
  • Zirpolo, Michael P. "Sitting in with Roy Eldridge at Jimmy Ryan's." The IAJRC Journal 42.2 (2009): 54. RILM Abstracts of Music Literature. Web. Apr 14, 2012