ロッキードL-1011 トライスター

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ロッキード L-1011 トライスター (Lockheed L-1011 TriStar) は、アメリカ合衆国ロッキード社(現在のロッキード・マーティン社)が開発・製造したワイドボディ3発ジェット旅客機である。

"1011" は「テンイレブン」と読む。航空時刻表での略号が "L10" だったこともあって、「エルテン」という通称もある。"TriStar"(トライスター)という愛称もロッキード社が公式に名づけたもので、エンジン3基をオリオン座の「三ツ星」になぞらえている。これは、ロッキード社が伝統的に星座など天文に由来する名称をつけることによる[1]

本項では、ノーティカルマイル(海里)を単に「マイル」と表記する。

目次

概要

ロッキード社として初のジェット旅客機として1960年代に開発が開始され、1972年イースタン航空をはじめとする航空会社への引渡しが開始された。

ロッキード・コンステレーションシリーズで、レシプロ機時代にはダグラス・エアクラフトと開発・販売競争を繰り広げたロッキードだったが、ターボプロップ機のロッキードL-188 エレクトラを開発している間にライバルはボーイング707、ダグラス・DC-8といったジェット旅客機の開発に成功していたためにロッキードはジェット化の波に乗り遅れてしまった。さらに、エレクトラ自体が設計ミスで空中分解事故を起こすなど、1960年代に入るとロッキードの旅客機メーカーとしての地位は大きく低下してしまっていた。このため、同社が起死回生を狙って投入した航空機である。

回路表示が先進化されわかりやすいと好評を博したコックピットのスイッチ群、スマートだが背の高い客室、中2階の客室・貨物室構造にエレベーターを設置、乗務員の運搬負荷の軽減に取り組むなど、プロペラ旅客機の名門として堅実かつ挑戦的な設計がふんだんに施された機体だった。

自動操縦装置については軍用機のトップクラスメーカーとしてのノウハウが生かされた、当時としては相当先進的なものが採用されており、現在のいわゆる「ハイテク機」の元祖ともいえる存在である。しかし、後述するように販売不振となったこともあり、「早過ぎたハイテク機」と称されることもある[2]

その一方で、DC-10との販売競争は激しくなり、その過程で「ロッキード事件」などの疑獄事件も発生した。本機種の販売不振は、ロッキードが民間航空機事業から撤退するきっかけともなった。一方のマクドネル・ダグラスも、この(値引きを含む売り込み)競争で大きな痛手をこうむった。

沿革

前史

C-5Aギャラクシー AH-56シャイアン
C-5Aギャラクシー
AH-56シャイアン

ロッキードでは1964年ボーイングダグラスとの受注合戦の末、アメリカ空軍に導入される輸送機であるC-5Aギャラクシーの開発及び生産を受注することに成功した[3]。しかし、それまで主力商品であったF-104スターファイターの生産が終わりつつあり[3]、ロッキードの経営状態はさほど安定した状態ではなかった[3]。このため、ロッキードではF-104スターファイターの後継としてCL-1010スーパースターファイターを提案したが、採用を考える国はなかった[3]。また、いったんはアメリカ陸軍から開発及び生産の契約を受けたAH-56シャイアンの開発に失敗した上、計画自体の大幅な見直しによりキャンセルとなっていた[3]

さらに、受注合戦の果てに契約を勝ち取ったC-5Aギャラクシーも、アメリカ国防予算削減の余波を受け、空軍の調達価格が削減された[3]。それは開発費にも影響を及ぼし、機体重量の増加に対応するべく要求仕様の変更を申し出たが受け入れられず、やむを得ず小手先の処置を行なった結果、C-5Aギャラクシーは主要の強度に問題が発生し、結局再設計を行なうことになった[4]。また、コスト見積もりの甘さなどもあり、生産機数が当初予定の115機から81機に減らされる始末であった[4]

また、旅客機の市場において、ロッキードは「ジェット旅客機の開発は時期尚早」と判断[3]し、アメリカでは育たないといわれていた[3]4発(エンジンを4基搭載)ターボプロップ機であるL-188エレクトラの開発に着手した。しかし、L-188エレクトラは発売開始後わずか144機しか販売できず、採算の見込みが立たない状態でプログラムの打ち切りを余儀なくされていた[3]上、設計ミスに起因する空中分解事故まで発生していた。その上、その後C-5Aギャラクシーの開発及び生産に集中した結果、ボーイングやダグラスが次々とジェット旅客機を開発・製造する中で、旅客機製造メーカーとしての地位は大きく低下し、取り残された状態になっていた。アメリカ政府が超音速旅客機の主開発会社を一旦ロッキードに決定したにもかかわらず、後にこれを翻して1966年12月にボーイングに決定する[3]という出来事もあった。

開発の経緯

このような状況から、ロッキードが再び旅客機市場に復帰するにあたっては、ボーイングやダグラスの旅客機と比較しても先進的な旅客機を旅客機市場に送り込む必要があったのである[5]。そのため、社運を懸けて、同社の持つ技術力の全てを新型旅客機に投入することになった[5]

ロッキードでは1966年2月にはCL-1011と呼ばれる、エンジンを2機搭載する旅客機(双発機)の開発構想を立案し、同年3月にはアメリカ連邦航空局(FAA)に構想の説明を行なった。また、アメリカ空軍が管理していたカリフォルニア州のパームデールにある航空機製造施設を借り受け、新型旅客機の製造設備の整備を行なった。

一方、アメリカン航空は1966年3月25日に新しい双発(エンジンを2基搭載)の大型旅客機を開発するよう要求していた[6]。これは、アドバンスド・ジャンボ・ツイン中距離旅客機と呼ばれるもので、以下のような仕様となっていた[6]

  • 推力4万ポンド程度の高バイパス比エンジンを搭載
  • 座席はシートピッチを36インチで合計250席
  • 乗客1人当たり250ポンドの手荷物と、5000ポンドの貨物
  • 航続距離は1850マイル(3426キロメートル)

さらに、後に全幅155フィート(47メートル)以内、全長は180フィート(55メートル)以内と改められた。

ロッキードでは、アメリカン航空以外の航空会社からも討議を行なった[5]結果、交通量の多い都市間ルートの平均距離が400マイルであることから、旅客機の航続距離は1400マイルあれば十分と考え、座席数も230席から250席程度と考えた[5]。しかし、双発機ではロッキー山脈を越えるルートや洋上飛行に対する要求を満たすことは出来ないと判断し、計画を3発機(エンジンを3基搭載する旅客機)に変更した[5]

また、ロッキードはこうした新型旅客機はアメリカだけにとどまらず、ヨーロッパでも大きな需要があると考えた[7]ため、新型旅客機のエンジンには、ロールス・ロイスRB211型エンジンを採用することにした。RB211型の燃料消費率が他社のエンジンと比較して優れていたことから、アメリカン航空を満足させることも可能という判断であった[7]

ローンチ

1967年9月、ロッキードは「L-1011型旅客機『トライスター』の受注体制が整った」と発表した。これは、アメリカン航空、ユナイテッド航空イースタン航空トランス・ワールド航空、ナショナル航空などの大手航空会社からの受注を見込んでの発表であり[8]、ライバル機のマクドネル・ダグラス(本節では、以下単に「ダグラス」とする)DC-10が開発計画を発表するより2ヶ月ほど前のことである。ダグラスでは急遽同年11月にDC-10の開発計画を発表したが、その時点ではまだDC-10の基本設計は完了していなかった[8]。この時点では、明らかにロッキードはダグラスをリードしていたのである。

ナショナル航空のマクドネル・ダグラスDC-10

しかし、実際に導入する航空会社側の事情はまた異なる。当時のロッキードに対する一般的なイメージは軍用機メーカーで、アメリカ国民なら誰でもその名を知っている存在であった[8]。そのロッキードが、技術力を結集して作った旅客機であれば、それが技術的に優れた旅客機であることも、想像するのは容易であった[7]。しかしながら、いくら技術的に先進的で、開発も順調であるとはいえ、ことジェット旅客機に関しては全く実績がないため、トライスター導入を躊躇する航空会社もあった。現実に、構想段階で深く関わっていたアメリカン航空が、ライバル機であるDC-10を合計50機発注したことが、1968年2月19日に発表されたのである[7]。ロッキード社内ではアメリカン航空からの受注を確実視していた[7]だけに、ロッキードにとっては大きな痛手であった。

しかし、アメリカン航空やユナイテッド航空がDC-10導入を決定するのであれば、対抗上ロッキードの新技術を売り物にした機材を自社の看板商品にしようと考える航空会社も存在した[7]。果たして、3月29日にはイースタン航空から50機、トランス・ワールド航空から44機、エア・ホールディングスから50機の受注を受け、一挙に受注機数は100機を超えた。さらに4月3日にはデルタ航空から24機を受注するに至り、同日にローンチ(生産プログラム開始)を発表、DC-10より先に製造が開始されることになったのである[7](なおユナイテッド航空は、1985年にパンアメリカン航空の太平洋路線とその運航機材を買収した際に、パンアメリカン航空が運航していたトライスターを譲り受け、その後運行することとなった)。

危機的状況

開発はRB211型エンジンの再設計などの影響もありやや遅れた。ロールアウトは1970年9月15日、初飛行は同年11月16日とDC-10より2ヵ月半ほど遅れたものの、その後の飛行テストは順調に推移した[9]

ところが、1971年2月になり、RB211型エンジンの再設計などで負債が増加したロールス・ロイスが破産するという事態になった。ロールス・ロイスはイギリスの軍需産業の一翼をになっていたこともあり、イギリス政府が支援に乗り出すことになった[10]ものの、そもそもの赤字の元凶であるRB211型の生産を継続するかはすぐに決められるような状況ではなかった[10]

しかし、トライスターはRB211型を使用することを前提にして設計した旅客機であり、RB211型がなければ成り立たない。ゼネラル・エレクトリックCF6型エンジンプラット・アンド・ホイットニーJT9D型エンジンに換装することも検討された[9]が、第2エンジンのダクトはRB211型搭載を前提としており、他のエンジンを使用するには完全な再設計を行なうしかなかった[9]

また、ロッキードとしても、既に数10万ドルの開発費を投入しているトライスターを諦めることは出来なかった。当時のロッキードはC-5Aギャラクシーの開発費の増大により、1971年には赤字が1億8780万ドルに達していた[9]。これはC-5Aギャラクシーとトライスターの順調な納入によって、初めて回収が可能となる金額であった[9]。つまり、ロッキードにはトライスターの開発を中止するという選択は許されていなかったのである。

このため、ロッキードの社長自らがイギリス政府と交渉を行い[9]、RB211型の生産は続行されることが決定した。また、最終的にはアメリカ政府がトライスターの製造を保証する条件で、イギリス政府からRB211型の生産休止に対する補償を受けられることにもなり[10]、ロッキードの経営危機は回避されることとなった。

1972年4月15日にはFAAの型式証明を取得、同月中にはDC-10より9ヶ月遅れて航空会社での運航が開始された。

販売不振

ロッキードが久しぶりに開発した旅客機で、しかも初の大型ジェット旅客機であったにもかかわらず、完成度が高いものであった。しかし、前述のエンジン開発の遅れにより販売開始が遅れたこと、ボーイング社やマクドネル・ダグラス社の販売網に太刀打ちできなかったことから販売は不振に終わった。特に、南半球の航空会社からの新規発注はなかった。

マクドネル・ダグラスが先に開発・販売していたDC-10 と比較すると、旅客機としての完成度はトライスターの方が高かったと言われているが、トライスターを採用する航空会社は少なかった[11]。また、DC-10はアメリカ空軍から空中給油機「KC-10」としての受注にも成功し、生産規模の確保に成功した。

トライスターは発展性の乏しさも販売不振の要因である。ライバルのDC-10 は将来航続延長型を開発するため最大離陸重量増加を考慮してセンターギアの装備が可能なように計画されていた。そのためDC-10-30、-40といった長距離型の開発が容易に行われ、結局これらの長距離型が販売数の多くを占めている。しかし、トライスターはセンターギアを装備出来ず、後述するように、そのまま最大離陸重量を増加させると空港施設に許容される接地面圧を超えてしまうという問題に直面した。そこで、胴体を短縮することで軽量化を行い航続距離を延長した仕様(-500型)が開発されたが、胴体短縮に伴うペイロードの減少により運航コスト面で不利であった。

なお、ロッキード社は販売不振を打開しようと賄賂工作で売込みを図った。後述する日本での疑獄事件はその一例である。

また、その後エアバス社が当初は近距離型が中心であったものの、エンジンが2機のため燃費効率が良く、整備費用も抑えられる A300 型機を開発・販売した。その後もジェットエンジンの性能向上は続き、中距離・中型の旅客機は双発機が主流となり、航続距離を大幅に伸ばした -500 型が投入されたりしたものの、販売は苦戦を続けた。

ロッキード事件

全日本空輸のトライスター
全日本空輸のトライスターとボーイング747SR(手前)

日本では全日本空輸(全日空)が1974年から導入し、最盛期には21機保有した。この導入の際に田中角栄前首相(当時)にロッキードから 5 億円もの賄賂が送られたことが1976年に発覚した(ロッキード事件)。

なおその後 2006年になって、当時のイギリスエドワード・ヒース首相も日本に対し、ロールス・ロイスのエンジン売り込みも兼ねて強力に働きかけていたという疑惑が浮上している。

ただし、必ずしも賄賂があったからトライスター導入となったというわけではない。当時、全日空が機種選考の対象としたのはトライスター、DC-10以外に、ボーイング747SRエアバスA300ブリティッシュエアクラフトコーポレーションのBAC 3-11となっていた[12]が、全日空社内でも技術部門は早い段階で技術的評価からトライスター導入という意見となっていたという[12]。また、全日空では騒音も機種選考の基準としていた[12]が、伊丹空港での騒音測定時にDC-10が測定ポイントで急上昇したためにテストが不成立になった[13]上、ダグラスがFAA騒音証明の再取得を全日空に伝えたにもかかわらず、実際には証明再取得が行なわれなかった[14]ことから、ダグラスの態度が不誠実なものとみられた[14]ことも要因である。

全日空では1995年までの20年余り使用し、当初は時刻表に大きなマークが入れられたり、客室乗務員の制服を同機の導入と共に一新するなど、同社のフラグシップ機、幹線の主力機として活躍した。しかし、間もなく747SRが導入され、同社の幹線の主力は747に移っていった。一方、同社の最初の国際線定期運航はトライスターが起用され、同社初の国際線用機材として、初就航地のグアムや香港などの路線に投入された。また、現行のトリトンブルー塗装が初めて採用されたのもトライスター(JA8514)である。

全日空保有のトライスターにとって最後の有償飛行は1995年11月30日鹿児島羽田行のANA626便が最後となったが、この便に使用された機体(機体番号:JA8509)はトライスター通算生産数100機目に当たる。なおトライスターは、全日空による運航中は人身事故や全損事故を起こしていない稀有な機種のひとつでもある。

生産中止

1981年12月7日、ロッキードは250機を製造した時点でトライスターの製造を終了し、生産ラインをクローズすると発表した。これにより、不採算部門の切り離しにより経営状態が改善されると見られたことから、ロッキードの株価は上昇した[15]。250機の製造を行なったにもかかわらず成功しなかったトライスターを教訓に、ロッキードは民間航空機市場から完全に撤退したのであった(軍用機部門は2009年現在でも世界トップクラスのメーカーである)。

機体

三面図
後方から見たところ。第2エンジンと全遊動式尾翼(オールフライングテール)
"Whisperliner"と書かれた、イースタン航空のトライスター

構造概説

胴体自体は旅客機では一般的なセミモノコック構造であるが、トライスターでは、胴体外板や動翼にホット・ボンディング(熱間接着)を多用している[15]。これは、重量軽減と応力の均一化を主眼として導入したものである。また、キャビン(客室)の空間を広げるためにフレームの厚さを減少させている[15]。特に側面部分は外板の厚みを増す代わりにストリンガーを省略することで、フレームを7.6センチメートルにまで薄くした[15]。このため、胴体外径がDC-10より5センチ細いにもかかわらず、キャビンの幅は4センチ広い[15]

機体の窓の大きさは高さ34センチ・幅24センチという大きさで、51センチ間隔で並んでいる[16]。また、操縦席の窓(ウインドシールド)は曲面ガラスで構成されている[17]

主翼の翼面積はDC-10より11パーセントほど小さいが、幅はDC-10とほぼ同じで、後退角も同じ35度となっている[15]。主翼の高揚力装置は前縁スラットと後縁フラップを装備し、フラップは二段隙間式となっている。また、主翼のスポイラーは地上での減速時以外にも使用される(後述)。

水平尾翼昇降舵と連動して尾翼全体の角度を変える「全遊動式尾翼(オールフライングテール)」を採用している[15]。「全遊動式尾翼」は軍用機ではF-15型戦闘機などにも採用されている一般的な方式で、トリム調整の目的で水平尾翼の角度を調整する機構は多数の旅客機においても装備されているが、旅客機での「全遊動式尾翼」の採用はホーカー・シドレー トライデントに続く2例目で、ワイドボディ機では初採用となった[15]

エンジン

エンジンには、ロールス・ロイスRB211型エンジンを3基搭載する。登場時はそれまでのジェット機よりもエンジンが静粛であることも売りにしており、ローンチカスタマーであるイースタン航空のトライスターの第2エンジンには"Whisperliner"(ウィスパーライナー、"Whisper"は「囁く」の意)と書かれていた。FAAに認証されたトライスターの騒音性能は96デシベル[14]で、DC-10の99デシベル[14]に対しても優位にあった。

同じ3発機であるライバル機のDC-10と比較して最も目立つ相違点は、後部に装着された第2エンジンの配置である。これは、エンジンへの吸気を導くためのS字ダクトを設け、エンジン自体は胴体後端に装着するものである。高バイパス比ターボファンエンジンでは、エンジンに吸入される気流の乱れに注意する必要があるが、トライスターの開発に当たっては風洞実験を念入りに行なうことで最適なダクト形状とし、直線的なダクトと同様の性能を有している。

これによって、垂直尾翼に設置される方向舵の面積も確保されたほか、第2エンジンの推力の方向が機体中心線に近くなるというメリットをもたらした[18]。また、胴体と同じ高さにエンジンが装着されることになり、胴体より高い位置にエンジンを装着するDC-10と比較して保守性の悪化を軽減することが出来た。

なお、エンジン自体は胴体後方から伸びるパイロンから吊り下げる方式となっており、主翼に設置された第1・第3エンジンと同じ装着方式となっているため、3機のエンジンは全て互換性を有している。

操縦システム

前述のように、軍用機開発や宇宙開発で培ったロッキード社の持つ技術力の全てをトライスターに投入すべく、当時としては先進的な機能を多く盛り込んだ。特にアビオニクスには、アポロ計画にも導入されたメカニズムまで盛り込まれた[2]。それらの中には、2009年時点における最新鋭機と呼ばれる機種にさえ搭載されていない機能も存在する。

計器のスイッチ類は、トグルスイッチなどを極力廃し、スイッチが入っている時にはスイッチ自体が点灯するという、視認性と操作性に優れるものを採用した。これは「スイッチ・ライト」と呼ばれ、当時の旅客機では目新しい装備であった。

ダイレクト・リフト・コントロール

トライスターでは、着陸進入時のシステムとして、「ダイレクト・リフト・コントロール」(Direct Lift Control・略して「DLC」)とよばれる、主に軍用機で使用されているシステムを採用した。これは、本来は着陸後の減速時に使用するスポイラーを着陸進入時にも細かい角度で動作させることにより、主翼の揚力をコントロールした上で、着陸進入角度を保持するためのものである。これにより、着陸進入時に機首の上下を行なわなくても、正確に着陸進入を行なうことが可能になった。このシステムは高い精度を有しており、平常時の着陸進入においては、操縦士は操縦桿に手を触れなくても、機器を監視するだけでよい。着陸時にはDLCは直ちに解除され、スポイラーは本来の用途である減速機能に使用される[19]

本システムは、ライバル機のDC-10でも試験飛行の際にテストされたが不採用となっており[15]、ボーイングやエアバスの旅客機でも全く採用されていない。旅客機での採用例は、2009年現在においてもトライスターのみである。

完全な自動操縦

トライスターでは、エリア・ナビゲーション・システムを旅客機としては初めて採用した。これは慣性航法装置(INS)や地上にある航空支援設備(VOR/DME)の電波などから正確な自機の位置情報を取得するもので、これを自動操縦装置に接続することで、離陸から着陸までを全て自動操縦とすることを可能にした[15]

また、自動操縦装置と前述のDLCの精度から、計器着陸装置(ILS)のカテゴリーIII A(CAT III A)に対応しており[20]、CAT III AのILSが整備されている空港においては、視界ゼロでの着陸も可能となっている[2]

客室

客室(キャビン)は幅5.77メートル、高さ2.31メートル、長さ40.97メートルとなっている。登場当時の標準的な座席配置は2列-4列-2列の配置であるが、荷物棚(オーバーヘッド・ストウェッジ)は窓側座席の上にしかない[21]。その代わりに、中央の4列をさらに2列ずつ区切り、その間に仕切りをかねた荷物置き場(ストウェッジ)を設置していた[21]。天井は圧迫感を与えないような直線的なデザインとされた[21]

トライスターの特徴的な標準装備として、床下に設置されたギャレーが挙げられる。これは、床下前方貨物室の後端部に幅5.7メートルで奥行きが4メートルほどの空間を確保し、ギャレーとして使用したもので、キャビンを乗客用に有効活用することと、料理の臭気などがキャビンに流れないようにするため採用された[16]。専用のドアと窓が存在するため、キャビンを通さなくても食材の積み下ろしが可能である[20]

また、側面窓にはカーテンやブラインドの装備はなく、偏光ガラスを2枚重ね、これを回転させることで透過光量の調整が可能となっている[16]

仕様

-1 型、-100 型などの基本型の他に、長距離仕様で胴体短縮型の -500 型が少数機製作され、パンアメリカン航空やヨルダン航空に納入されている。主な仕様の比較については主要諸元表を参照。

L-1011-1

トライスターの基本モデルで、中・近距離路線型モデル。エンジンはRB211-22Bを装備し、燃料搭載量を90,140リットルとし最大離陸重量は43万ポンド(195,050キログラム)となった。社有機の1号機を含めて162機が生産された。イースタン航空・デルタ航空・トランスワールド航空・全日本空輸などが導入。

L-1011-50

製造終了後に、ロッキードが既存の機体に対して性能向上を行なう改修キットを用意したが、最も簡単な改修内容を行なったのがこのモデル。最大離陸重量は45万ポンド(204,120キログラム)に高めたが、エンジンや燃料搭載量は変更されていない。28機が改造されている。

L-1011-100

ベースモデルの-1型を改修した航続距離延長型。ロッキードではDC-10の長距離型に対抗すべく、L-1011-2型という長距離型を計画していたが、RB211型の推力向上仕様の開発の遅れや、ロッキードの経営状態から先送りとなり、その代わりに提案されたモデルである。中央翼に燃料タンクを増設して、燃料搭載量を1万8000ポンド(100,317リットル)とした上で、最大離陸重量を46万6000ポンド(211,380キログラム)に引き上げた結果、最大ペイロードでの航続距離が35%増加した。エンジンは、-1型と同じRB211-22Bか推力向上型のRB211-22Fを使用。サウジアラビア航空・ガルフエア・キャセイパシフィック航空等が採用。14機が製造され、-1型からの改造された機体も20機程度存在する。

L-1011-150

-50型と同様に-1型を改修したもので、こちらでは最大離陸重量は47万ポンド(213,190キログラム)に高めたが、エンジンは変更されていない。6機が改造されている。

L-1011-200

-100型のエンジンをRB211-524Bに変更した上で、燃費を改善して最大ペイロードでの航続距離を-100より5%程度延長した仕様。この仕様では、-1型で標準だった床下ギャレーをキャビンに移した上で、貨物室の容量を確保した。新造機は24機で、サウジアラビア航空が導入。他の航空会社は、-1型及び-100型からの改修を実施し、約20機が改修されている。

L-1011-250

-200型の中央セクションに新たに燃料タンクを設けて燃料容量を119,774リットルとして最大離陸重量を49万6000ポンド(224,990キログラム)に引き上げた長距離型である。機体外見は変わらないが重量増加に対応して主翼や胴体の構造を強化した。エンジンは、-200型と同じRB-211-524Bを使用。この機体に興味を示す航空会社がなく新造機は存在しない。

後年デルタ航空が、後述の-500型に採用した内容のうち、胴体長の短縮以外を自社の保有する-200型6機に改修を実施し、-500型とほぼ同等の航続距離を持たすことに成功した。このデルタ航空が自社改修を実施した長距離型が-250型と呼ばれているが、ロッキード社での正式品番としては認知されていない。

L-1011-300

胴体ストレッチ型で、-1型より6.10メートル胴体を延長したモデルである[22]が、興味を示す航空会社はなかった。初期にはL-1011-3と呼ばれていた[22]

L-1011-400

後述の-500型と同じ胴体に-1型と同じRB211-22Bエンジンを搭載する短・中距離仕様である[22]が、興味を示す航空会社はなかった。

L-1011-400A

前述の-400型の胴体をさらに2.03メートル短縮した仕様[22]。興味を示す航空会社はなかった。

L-1011-500

標準型トライスターの航続距離の短さは、DC-10との比較では致命的な欠点となり[23]、ブリテッィシュエアウェイズへの売り込みの際に、そのままではDC-10に勝てないことが判明した[24]。このために提案された長距離型が-500型である。

トライスターの最大離陸重量をDC-10-30ないし-40並みにしようとする際に、もっとも問題になったのは車輪の接地圧であった[22]。トライスターでは胴体に主脚を追加しようとすると胴体構造を大幅に変更することが必要になる[22]ため、既存の主脚を4輪から6輪に変更することも検討された[22]。しかし、これも主翼の設計変更が大掛かりになるため、胴体短縮によって自重を軽減する方策をとったものである。

変更内容は、トライスターの胴体を主翼前方で2.54m、後方で1.58mの計4.12m短縮し軽量化を図ったほか、床下ギャレイを床上ギャレイに変更して、床下貨物室のペイロードについては基本型とほぼ同等を確保した。燃料容量と最大離陸重量と-200型と同じであるがエンジンを新型のRB-211-524B4に変更し、翼胴フィレットの小型化を行なった上でアクティブエルロンを採用した。アクティブエルロンの採用により、主翼の構造を強化せずに主翼端を1.37m延長することができた。

これらの変更を行なった結果、フルペイロード[25]での航続距離は、9,905kmで-200型より33%改善。更に電子式統合自動機構の性能管理システム(PMS)を装備した。ブリティッシュ・エアウェイズ、パンナム、デルタ航空、エアカナダ等が採用した。

L-1011-600

ロッキードでは1972年頃からトライスターの双発機版「バイスター」の研究を行なっていた[26]が、1977年に-600型として航空会社に提案した。胴体は-500型よりもさらに6.48メートル短くし、主翼の幅を-1型よりも5メートル以上狭い44.42メートルにする計画であった。興味を示す航空会社はなかった。

運航実績

製造機数が少なかったトライスターだが、機体関係の故障は少なく、後述するように機体のトラブルや欠陥による事故は2008年時点では発生していない。

旅客運航からの退役後は売却されたが、トライスターは航続距離の短さと搭載重量の少なさから殆どが貨物機に改修されることなくスクラップにされている。これは客室下面の構造の関係で貨物専用機への改修が難しかったためで、世界的な傾向として経年機となったトライスターを貨物専用機に改造する需要は殆ど無く、再就役する機体は多くなかった。一方、ライバル機であるDC-10は、その多くが貨物専用機に改修され今も多くの機体が飛行している点でも明暗が分かれている。

チャーリィ・古庄の著書「日本退役機追跡紀行」(イカロス出版)によれば、2006年現在日本で運用された21機のうち 2機しか残っていない。これは中古機としても使用される数が少ないということを意味している。1994年には元JA8520機がモハーヴェ空港で解体処理されたのが目撃されたという。機体の多くは解体され現存していないとみられ、残された2機もカナダのエアトランサットとシエラレオネで登録されているが、定期運用されていない模様である。

日本国外の主な航空会社でも、キャセイ・パシフィック航空など1996年にはトライスターの運航を終了したものの、西アジアやアフリカ路線では少数機ながらも強力なエンジン出力を武器に活躍を続け、デルタ航空が退役させたのは2001年のことで、ATA航空に至っては、2008年の同社の経営破綻による運航停止まで現役で就航させていた。

軍用としてイギリス空軍が旧ブリティッシュ・エアウェイズパンアメリカン航空から トライスター(-500型)を買い取り、空中給油機軍用輸送機として9機を運用している。トライスター K.1(2 機)は空中給油機、トライスター KC.1(4機)は輸送機兼給油機、トライスター C.2および C.2A は輸送機として用いられている。これらは1991年湾岸戦争アフガニスタン侵攻も参加している。さらには2003年イラク戦争では、空中給油機のトライスターがアメリカ海軍に提供され、輸送機のトライスターはイギリス陸軍イギリス海兵隊のイラク展開を支援した。

オービタルサイエンシズ社はペガサス・ロケットの打ち上げに使用している。

付記

主なカスタマー

デルタ航空のトライスター

主な事故

同じ第三世代のジェット旅客機でライバルにあたるDC-10やボーイング747が設計上の欠陥により大事故を引き起こしたのに比べると、トライスターは機体のトラブルや欠陥による事故は2008年1月現在、発生していない。 下記の事故も、原因は悪天候や乗務員の不適切な対応などである。

主要諸元表

L1011-1 L1011-200 L1011-500
操縦乗員 3人 3人 3人
座席数 253 (3クラス) 263 234 (3クラス)
全長 54.2 m (177 ft 8in) 54.2 m (177 ft 8in) 50 m (164 ft 2in)
全高 16.7 m (55 ft 4in) 16.7 m (55 ft 4in) 16.7 m (55 ft 4in)
翼面積 3456 ft² (321.1 m²) 3456 ft² (321.1 m²) 3541 ft² (329.0 m²)
最大離陸重量 430,000 lb (195,000 kg) 466,000 lb (209,000 kg) 496,000 lb (225,000 kg)
最低飛行可能速度 約954km/h(マッハ0.78) 約954km/h(マッハ0.78) 約954km/h(マッハ0.78)
エンジン ロールス・ロイス RB.211-22 × 3 ロールス・ロイス RB.211-524B × 3 ロールス・ロイス RB.211-524B × 3

関連項目

注記

  1. ^ 他の機種の例として、F-104 スターファイター・P-3C オライオン・ロッキード L-188 エレクトラなど。
  2. ^ a b c イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p116
  3. ^ a b c d e f g h i j イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p49
  4. ^ a b イカロス出版『旅客機型式シリーズ3 ジャンボジェット Boeing747classic』p41
  5. ^ a b c d e イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p50
  6. ^ a b イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p46
  7. ^ a b c d e f g イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p52
  8. ^ a b c イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p51
  9. ^ a b c d e f イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p54
  10. ^ a b c イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p142
  11. ^ 飛行機は車と同じで中古で売却する場合、よく売れた機種の方が高く売れる。また、欠陥があった場合も他の航空会社のトラブルでそれが発見されやすいという危機回避上のメリットがある
  12. ^ a b c 『月刊エアライン』2002年3月号 p35
  13. ^ 『月刊エアライン』2002年3月号 p35-36
  14. ^ a b c d 『月刊エアライン』2002年3月号 p36
  15. ^ a b c d e f g h i j イカロス出版『月刊エアライン臨時増刊 航空旅行ハンドブック国内線版 '83-84』p108
  16. ^ a b c イカロス出版『月刊エアライン臨時増刊 航空旅行ハンドブック国内線版 '83-84』p110
  17. ^ 『月刊エアライン』2002年3月号 p43
  18. ^ 『月刊エアライン』2002年3月号 p34
  19. ^ 日本航空オフィシャルサイト内航空実用事典「スポイラー」
  20. ^ a b イカロス出版『月刊エアライン臨時増刊 航空旅行ハンドブック国内線版 '83-84』p109
  21. ^ a b c イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p76
  22. ^ a b c d e f g イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p78
  23. ^ イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p80
  24. ^ イカロス出版『月刊エアライン臨時増刊 エアライナーハンドブック '86』p42
  25. ^ ファーストクラス24席・エコノミークラス222席の合計246席。
  26. ^ イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p81

参考文献

  • 『月刊エアライン臨時増刊 航空旅行ハンドブック国内線版 '83-84』(イカロス出版・1983年)
  • 『月刊エアライン臨時増刊 エアライナーハンドブック '86』(イカロス出版・1986年)
  • 『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』(イカロス出版・2000年)ISBN 4871492753
  • 『旅客機型式シリーズ3 ジャンボジェット Boeing747classic』(イカロス出版・2001年)ISBN 4871493156
  • 『月刊エアライン』2002年3月号(イカロス出版)
  • ロッキード裁判とその時代(1),(2) 朝日新聞
  • ロッキード事件疑獄と人間 朝日新聞社
  • ロッキード事件「葬られた真実」講談社
  • 壁を破って進め 講談社
  • 権力者たちの狂宴 ―戦後政治とロッキード・スキャンダル 人間の科学社
  • 「ロッキード」とは何か すずさわ書店
  • ロッキード売り込み作戦―東京の70日間 朝日新聞社
  • スポーティーゲーム―国際ビジネス戦争の内幕 學生社
  • 「田中裁判」もう一つの視点―ロッキード捜査と一審判決への疑問 時評社

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