ロン・ヤンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ロン・ヤンス Football pictogram.svg
Ron-Jans.jpg
名前
ラテン文字 Ron JANS
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1958-09-29) 1958年9月29日(59歳)
出身地 ズヴォレ
選手情報
ポジション FW / MF
ユース
オランダの旗 RKSVズヴォレ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1976-1983 オランダの旗 PECズヴォレ 157 (44)
1982-1984 オランダの旗 FCフローニンゲン 63 (16)
1984-1987 オランダの旗 ローダJC 99 (10)
1987-1988 日本の旗 マツダSC 16 (1)
1988-1991 オランダの旗 BVフェーンダム 54 (5)
通算 389 (76)
監督歴
1991-1993 オランダの旗 SJSオランダ語版
1993-1996 オランダの旗 ACVオランダ語版
1996-2000 オランダの旗 アキレス1894オランダ語版
2000-2002 オランダの旗 BVOエメン (アシスタント)
2002-2010 オランダの旗 FCフローニンゲン
2010-2012 オランダの旗 SCヘーレンフェーン
2012 ベルギーの旗 スタンダール・リエージュ
2013-2017 オランダの旗 PECズヴォレ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロン・ヤンス(Ron Jans、1958年9月29日 - )は、オランダオーファーアイセル州ズヴォレ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

経歴[編集]

地元PECズヴォレのアカデミー出身。オランダ時代はフォワードとしてプレーした。

1976年、当時エールステ・ディヴィジ(2部リーグ)のPECズヴォレで選手キャリアをスタートし、翌シーズンエールディヴィジ(1部リーグ)昇格に貢献した。1982年FCフローニンゲンに移籍し、UEFAカップ1983-84ではアトレティコ・マドリード相手にゴールを決めている。1984年、ローダJCに移籍した。

1987年、ハンス・オフト監督に誘われてJSL1部所属のマツダSCサンフレッチェ広島の前身)に入団する[1]。同年、攻撃的なMFとして、ハーフナー・ディドや信藤克義(信藤健仁)、松田浩小林伸二猿沢茂高橋真一郎らと共に[1]同シーズンの天皇杯決勝進出に貢献したが、JSLではシーズン終了後2部に降格してい、オフト監督退任と同時にマツダを退団した。

その後オランダに戻り、1988年BVフェーンダムに移籍し、1991年現役引退した。

現役と並行して教師の資格をとっており、現役引退後は一旦フローニンゲンにあるインターナショナルスクールのマールテンス大学オランダ語版でドイツ語教師をしていた[2]。それと並行してアマチュアクラブでサッカー指導者の道を歩み始めた。2000年、アキレス1894オランダ語版をアマチュアチャンピオンに導いている。

BVOエメンでアシスタントコーチを務めていた2002年10月、成績不振により退任したドワイト・ローデヴェーヘス監督の後を継いでFCフローニンゲン監督に就任し[2]、8試合で勝ち点1しか取れずにいたチームを残留させた。2005-06シーズンは5位に食い込み、14年ぶりのUEFAカップ出場に導いた。2010年に勇退した。

2010年夏、フローニンゲンのライバルチームであるSCヘーレンフェーン監督に就任した[3]。エースストライカーのバス・ドストとの関係がこじれた[4] こともあり、1年目は下位に低迷したが、2年目である2011-12シーズンでは途中段階でリーグ3位に入り一時は優勝争いを演じた[5]。別のクラブでの指揮を望んだことから[4]、同シーズン末に契約満了により退任した[5]

2012年5月、ベルギーの名門であるスタンダール・リエージュ監督に就任した[6] ものの、成績不振により同年10月に解任された[7]

2013年、古巣PECズヴォレに監督として復帰する[8]。いきなりこのシーズンのKNVBカップ優勝、クラブ史上初のタイトルを獲得した。


個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
オランダ リーグ戦 リーグ杯 KNVBカップ 期間通算
1976-77 ズヴォレ エールステ・ディヴィジ 7 1
1977-78 ズヴォレ エールステ・ディヴィジ 31 14
1978-79 ズヴォレ エールディヴィジ 33 3
1979-80 ズヴォレ エールディヴィジ 24 3
1980-81 ズヴォレ エールディヴィジ 33 11
1981-82 ズヴォレ エールディヴィジ 29 12
1982-83 フローニンゲン エールディヴィジ 34 12
1983-84 フローニンゲン エールディヴィジ 29 4
1984-85 ローダ エールディヴィジ 34 4
1985-86 ローダ エールディヴィジ 31 2
1986-87 ローダ エールディヴィジ 34 4
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1987-88 マツダ JSL1部 16 1
オランダ リーグ戦 リーグ杯 KNVBカップ 期間通算
1988-89 フェーンダム エールディヴィジ 34 4
1989-90 フェーンダム エールステ・ディヴィジ 10 1
1990-91 フェーンダム エールステ・ディヴィジ 10 0
通算 オランダ エールディヴィジ 315 59
オランダ エールステ・ディヴィジ 58 16
日本 JSL1部 16 1
総通算 389 76

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b ロン(麻雀ではなく)”. Foot! (2009年2月14日). 2012年8月22日閲覧。
  2. ^ a b 「フローニンヘン風という美学」footballista、ソルメディア、2009年2月11日号、17頁
  3. ^ Ron Jans named as new boss of Heerenveen” (英語). ESPN (2010年2月22日). 2012年8月22日閲覧。
  4. ^ a b Ron Jans weg bij Heerenveen” (オランダ語). ad.nl (2010年5月1日). 2012年8月22日閲覧。
  5. ^ a b ファン・バステン氏が今夏に監督復帰”. UEFA (2012年2月13日). 2012年8月22日閲覧。
  6. ^ Ron Jans aan de slag bij Belgische topclub Standard Luik” (オランダ語). voetbal international (2012年5月15日). 2012年8月22日閲覧。
  7. ^ Standard zoekt opvolger voor Ron Jans” (オランダ語). nieuwsblad.be (2012年10月23日). 2012年10月23日閲覧。
  8. ^ Jans keert bij eerste liefde PEC Zwolle terug als trainer” (オランダ語). voetbal INTERNATIONAL (2013年3月18日). 2013年5月17日閲覧。

参考資料[編集]

  • キャリア (Ronald's Voetbalstatistieken)(オランダ語)
先代:
ドワイト・ローデヴェーヘス
FCフローニンゲン監督
2002-2010
次代:
ピーター・ハウストラ
先代:
ヤン・エーフェルセ
SCヘーレンフェーン監督
2010-2012
次代:
マルコ・ファン・バステン
先代:
ジョゼ・リガ
スタンダール・リエージュ監督
2012
次代:
ミルチェア・レドニク