ローデシア軍

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ローデシア軍
Rhodesia Security Forces
創設 1964年
解散 1980年
派生組織 Rhodesian Army Flag.pngローデシア陸軍
Air Force Ensign of Rhodesia (1970–1979).svg ローデシア空軍
ブリティッシュ・サウスアフリカ警察
内務省防衛隊(INTAF)
総人員
徴兵制度 あり
適用年齢 18歳
関連項目
歴史 ローデシア紛争
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ローデシア軍(ローデシアぐん)は、ローデシアの保有していた軍隊である。ローデシア紛争(1965 - 1980)において南アフリカ防衛軍(South African Defence Force)と共に、ローデシア国内および近隣諸国にて戦闘活動を実施していた。ローデシアは南アフリカと同様に少数の白人により大多数の有色人種を支配しようとしたため兵力不足だった。そのため、欧米から広く白人傭兵を募集していた。

ローデシア軍の特徴[編集]

軽歩兵部隊員の仮装をした男性。ローデシア軍は主にFN FALを使用した

ローデシア軍では、兵員不足の解消と部隊の質を向上させるため、アメリカやヨーロッパ諸国にてジャングル戦や対ゲリラ戦の実戦経験を持つ傭兵を広く募集した。実際に、1970年代には米国の雑誌"Soldier of Fortune Magazine"に、ローデシア軍の募兵広告が見られる。こうしてローデシア傭兵が誕生した。

ちなみに、傭兵の募集を公然と行うことは国際社会では許されない。そのため、Soldier of Fortune Magazine誌には、「ローデシア軍の傭兵募集ポスターの複製品を1枚3ドルで販売しています」と掲載し、傭兵募集の広告ではなく、あくまでも商品の販売広告であるとしていた。

ローデシア軍に加わった白人傭兵の多くは、イギリス、南アフリカ、ポルトガル、香港、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカの出身者だった。その中でも、ベトナム戦争で実戦経験を積んだアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの元軍人は高く評価されていた。他にも、コンゴ動乱の元傭兵や、フランス外人部隊の出身者なども、ローデシア軍に参加している。

このような実戦経験豊富な傭兵達に加え、非常に厳しい訓練によって、1970年代にはローデシア軍は世界で最も訓練された軍隊のひとつとなっており、その戦闘力は世界有数のものだった。

また、白人傭兵の中にはローデシア軍ではなく白人農場主に雇われ、農場を警備するための私兵となる者も存在していた。ローデシア紛争中、地方の農場や村は頻繁にゲリラ部隊からの攻撃を受けており、白人市民の車両移動にはゲリラ部隊の攻撃に備え、車列警護車が付き添う必要があったからだった。また、白人市民の多くは私用の武器を所持しており、白人の主婦が短機関銃を携行することも珍しくなかった。

ローデシア軍の戦闘力[編集]

ローデシア軍の作戦区域

実際に、ローデシア紛争においてローデシア軍は十分な航空戦力や重火器を所有していなかったにも関わらず、ソ連邦と中国から十分な装備を供給され、兵力でも優位なゲリラ部隊に対して終始8倍という高い殺傷率を維持していた。また、高度な訓練を受けていた特殊部隊では、ゲリラ部隊の35倍から50倍の殺傷率を誇っていた。

ゲリラ部隊に対して武器や装備の面で特に優勢とも言えぬ状況でローデシア軍が戦果をあげることが出来た理由の一つは、ローデシア軍の兵士が受けた軍事訓練がゲリラ部隊が受けた訓練よりも優れていたからだった。

ローデシア紛争当時にローデシア軍兵士が受けた軍事訓練はオペラント条件付けによる現代式の軍事訓練だったが、ゲリラ部隊の兵士はそのような現代式の軍事訓練を受けていなかったため、ローデシア軍とゲリラ部隊の殺傷率に大きな差が出ることとなった。

また、条件付けによる現代式の訓練を十分に受けていない兵士は、人間を殺すことに対する本能的な抵抗感を克服することが出来ないため、敵と接触しても空に向かって発砲するなど威嚇行動を本能的に行う傾向がある。ゲリラ部隊の兵士は十分な訓練を受けていなかったため、その傾向が強かったこともローデシア軍が有利になる要因だった。

ローデシア紛争の復員軍人の証言によると、ローデシア軍部隊がゲリラ部隊と接触した際の戦闘手順は、どんな時でも背嚢を捨てて敵兵に突撃することだったという。そのようなことをすればゲリラ部隊の良い標的になりそうだが、実際にはゲリラ部隊の射撃した弾丸はローデシア軍部隊の頭上を飛んで行くだけだったため、銃撃戦では常にローデシア軍が優位だったそうである。そのため、ローデシア軍兵士が銃撃戦で戦死することは滅多になかった。

さらには、1978年3月からは部隊の機動性向上のため、歩兵全員に空挺降下の資格取得が義務付けられた。特殊部隊などに至っては、迫撃砲や乗馬などの資格も要求された。

ローデシア軍の一般的な訓練期間は21週間で、3段階に分かれていた。第1段階は基礎訓練を8週間、第2段階は歩兵訓練を8週間以上、第3段階は作戦訓練を4週間以上というものだった。

ローデシア軍とアフリカ人解放組織の殺傷率に大きな差が出た二つめの理由として、文化的価値観と社会的習慣があげられる。まず前提として、白色人種は有色人種よりも人種的に優位であるとするローデシアの白人が持つ文化的価値観があげられる。 そのような思想に基づき、ローデシア社会は白色人種を頂点として、人種事に階層化された社会であった。そのため、白色人種は有色人種を人間以下の存在であると考える社会的慣習を持っていた。ローデシアではこのように文化的価値観と社会的慣習が重なり合った(言い換えれば人種差別主義の)ため、白人兵士は殺人行為を容易に行うことが可能だったと思われる。

しかし、そのような白人優位思想は、今日の対テロ・ゲリラ作戦で重要とされる作戦区域にいる市民(ローデシアの場合はアフリカ人)の支持を勝ち取ることや、作戦はあくまで「ゲリラ対策」であって「報復」であってはいけないという原則を無視しており、それどころか公共交通や公共施設、国連が設置した難民キャンプまでをも襲撃してしまうなどの凶行によってアフリカ人市民達によるローデシア軍への反感が増し、アフリカ人解放組織によるアフリカ人市民達からの支援や兵員確保を容易にしてしまっていた。

ローデシア軍の兵役義務[編集]

近代的軍事訓練と人種差別的思想を利用して緒戦は優位に戦ったローデシア軍であったが、当地の白人は少数民族ゆえ兵員不足を埋めることは難しく、従軍期間は次第に延長された。1955年には4ヵ月半だった従軍期間は、1966年には9ヵ月へと延長され、1972年12月には防衛法により12ヵ月へと更に延長された。

兵役義務は戦況の激化にともない、1976年から1977年にかけて大幅に拡大されていった。18歳から25歳の白人男性に対する兵役義務は、1976年5月には12ヵ月から18ヵ月にまで延長され、1977年1月には25歳から38歳までの白人男性の兵役義務期間が年間190日に定められた。

兵役義務の拡大は、白人男性だけに留まらず、1977年2月には、アフリカ人を除く白人、アジア人、カラードの38歳から50歳までの男性に対して、年70日間の兵役義務が課せられた。さらには、1979年1月、都市部に在住の50歳から59歳までの白人、アジア人、カラード男性に対して、年42日間の兵役義務が課せられた。

さらには、アフリカ人男性に対する徴兵制度が1978年9月に導入され、1979年8月には16歳から50歳までのアフリカ人男性が兵役義務の対象とされた。

このように、ローデシア軍は兵員不足を解消するために兵役期間を延長し徴兵制度の対象者を拡大していったが、人種を問わずに徴兵拒否者が相次いだ。例えば、1979年1月時点で、アフリカ人兵役義務者1544名のうち1244名が兵役を拒否し、同時点の白人ですら兵役義務者1500名のうち415名が兵役を拒否した。長引くローデシア紛争は人々を疲弊させ、人種・階層やイデオロギーを越えて厭戦感情を広げていったためである。

ローデシア紛争[編集]

1965年11月11日に英国からの一方的独立宣言"Unilateral Declaration of Independence"を行って以降、アフリカ人抵抗勢力のゲリラ闘争が本格的となり、近隣諸国を巻き込んだローデシア紛争に発展する。ローデシア紛争は1979年12月29日の戦闘終結まで継続した。

ローデシア陸軍[編集]

ローデシア陸軍は4個旅団と1個特殊部隊旅団を編制していた。ローデシア紛争中に活動した有名なローデシア軍部隊としては、以下の部隊が挙げられる。

イギリス領時代のローデシアSAS
ローデシアSAS(Rhodesian Special Air Service
  • ローデシアSASは、全員が白人で構成された、ローデシア軍の代表的な特殊部隊である。ローデシアSAS・C中隊(C Squadron, 後に第1SAS連隊に改称)の起源は、1950年11月に結成された、南ローデシア極東義勇隊にまで遡ることが出来る。 南ローデシア義勇隊は、1951年3月、英連邦の一員としてマラヤ動乱に派遣される。そこで、カラヴァート中佐を指揮官として新たに編成された、マラヤ斥候隊に編入され、マラヤ斥候隊・C中隊と改称される。 1952年にマラヤ斥候隊は、第22SAS連隊と改称された。第22SAS連隊・C中隊はピーター・ウォールズ少佐の指揮下、1952年12月までマラヤで戦ったが、その後ローデシアに戻り、まもなく解体された。 その後、1961年初めに北ローデシアのヌドラを拠点として、第22SAS連隊・C中隊の元隊員を中核として、ローデシアSAS・C中隊が編成される。編成されたローデシアSASはコートニー・ウェルシュ少佐の指揮下、ローデシア・ニヤサラン連邦の所属部隊となる。 しかし、1963年にローデシア・ニヤサランド連邦(中央アフリカ連邦)が崩壊したため、多くの隊員が除隊する。1963年11月に残った38名の隊員は、ダドリー・コベントリー少佐に率いられて、南ローデシアに移動することとなる。 1964年1月20日、南ローデシアに移動したローデシアSASは、ローデシア陸軍の部隊として再編成が行われ、ブライアン・ロビンソン少佐の指揮下で、ザンビアやモザンビークへの越境作戦を実施し、ZIPRA(ジンバブエ独立人民共和国軍)やZANLA(ジンバブエ・アフリカ民族解放軍)に大きな打撃を与えた。また、そのような越境作戦にあたって、ローデシアSASはポルトガル軍とも共同作戦を実施していた。 その後ローデシアSASは、3個中隊を抱える部隊にまで拡大され、1978年6月にはガース・バレット中佐を連隊長として、第1SAS連隊に名称が改められた。 また、第1SAS連隊は、ローデシア中央情報局が組織した架空の組織だった、モザンビーク民族抵抗運動"RENAMO"を、モザンビークの政権を握ったモザンビーク解放戦線"FRELIMO"と戦える組織になるまで訓練し、RENAMOと共にモザンビークへの越境攻撃を行った。 ローデシアSASは、アフリカ人解放組織との戦闘以外にも、破壊活動や誘拐・暗殺、反政府ゲリラ(RENAMO)の訓練なども手がけており、ローデシア軍の最精鋭部隊であった。そのため、ローデシアSASの隊員には、常人を遙かに超える体力はもちろんのこと、状況を正しく認識し柔軟に行動するため、高度な知的能力も要求された。 ローデシアSASは最初、英SASと同様に既存の部隊から隊員を募集していた。ローデシアSASはローデシア・ライト・インファントリーから隊員を募集したが、ローデシア・ライト・インファントリーの指揮官から抗議を受けたため、徴兵によって集められた新兵から直接募集を行った。 ローデシアSASの訓練は非常に厳しく、訓練終了後に実際の戦闘に参加し実力を示した者のみが、ローデシアSAS隊員として認められ、ベレー帽と空挺章を授与された。ローデシアSAS隊員になれた者は志願者の25%だった。 ローデシアSASの母体となった、イギリスSASでは、ローデシアSASの戦功を称えるため、現在でもローデシアSASの元になったC中隊の名称を永久欠番のように残している。また、ローデシアSASのモットーは、英SASと同じく"Who Dares Wins"であり、ベレー帽の色や部隊の徽章も、英SASと同様の物を使用している。 また、ローデシアSASには空挺章(パラウイング)に関する独特の習慣がある。空挺章とは、厳しい訓練を耐えて空挺隊員になった者だけが、付けることを許される記章で、通常は右肩に付ける。しかし、ローデシアSASでは、戦功が認められた者には、空挺章を胸に付けることを許可した。これを「ウイング・オン・チェスト章」と呼んだそうである。 ローデシアSASの隊員数は、平均すると200名ほどで、予備役隊員を招集しても230名ほどだった。ローデシアSASは世界的にも希にみる優秀な特殊部隊だったが、1980年12月31日に、解散することとなった。ローデシアSASの解散式では、すべてのローデシア軍将兵の中で最多の勲章を受勲した、最後のローデシアSAS司令官が連隊旗を降ろし、部隊の歴史を閉じた。また、ローデシアSASの解散にあたり、イギリス陸軍のSAS連隊から、解散を惜しむ電報が届けられた。
  • 南アフリカ国防軍の兵士で構成されたD中隊は、後に南アフリカ国防軍特殊部隊旅団(South African Special Forces Brigade:通称レキ、レキース)の前身となった。
セルース・スカウツ(Selous Scouts
  • 20世紀初頭にアフリカで活躍したハンターで探検家のフレドリック・セルースに因んで命名された部隊で、規模は正規兵約900名、予備役兵約250名だった。セルース・スカウツは、1973年に創設され、指揮官にはロン・レイド・デイリー少佐が任命された。 セルース・スカウツのシンボルマークは鷹目の鳥である鶚(みさご)だった。また、モットーは、ショナ語で"PAMWE CHETE!"と言い、意味は「みんな一緒に!」となる。セルース・スカウツが、他のローデシア軍特殊部隊とは異なり、多人種によって編制されていた部隊であることを、象徴するモットーと言える。 1978年9月17日には、他の部隊の空挺章と区別するため、セルース・スカウツは独自の空挺章を制定した。これは、ブロンズ製で裏面にシリアル・ナンバーが刻印されていた。シリアル・ナンバーのNo.1はロン・レイド・デイリー少佐で、No.461まで支給されている。 セルース・スカウツは、ローデシア軍の中でも、非常に特殊な任務を遂行する部隊だった。ゲリラに偽装したセルース・スカウツは、敵支配地域内でゲリラを追跡(コンバット・トラッキング)しゲリラを発見したら、強襲部隊に連絡する。連絡を受けた強襲部隊は、ゲリラ部隊の進行方向前方にパラシュート降下し、セルース・スカウツと挟撃する作戦を実施していた。 他には、セルース・スカウツ所属の黒人兵士をゲリラに変装させて、敵ゲリラに接触させ、別の日時に会合を約束し、その会合にヘリコプターや車両に搭乗した機動急襲部隊を送り込み、敵を殲滅する作戦を遂行していた。 ローデシア紛争末期には、車両部隊によってゲリラ部隊の追撃と攻撃を行う、「クラン」と呼ばれる戦術を実施した。これは、偵察によって得られた情報に基づき、車両の速度をいかしてゲリラ部隊に突撃をしかけて攻撃するというものだった。 セルース・スカウツは、ゲリラに偽装するなど任務が特殊であるため、白人隊員は白人であることを悟られないよう、肌を黒く塗り、髭を伸ばし、帽子を被ったりして変装していた。そのため、他の部隊と異なり、作戦行動中の服装はかなり自由だった。訓練用のTシャツにショートパンツというような服装で作戦行動する者も多かった。また、セルース・スカウツは非常に軽装備で、逃げるゲリラを素早く追跡するため、限られた武器・弾薬と水だけを携行していた。 セルース・スカウツは、当初、ローデシアSAS、ローデシアン・ライト・インファントリー、ローデシアン・アフリカン・ライフルズなど、既存の陸軍部隊から募兵していたが、他部隊からの抗議により、一般からの募兵に切り替えた。また、セルース・スカウツには、ローデシア軍治安部隊の説得によって寝返った元ゲリラも多く参加していたが、1975年4月に元ゲリラの兵士1名が、他の隊員を射殺して逃亡する事件が起きている。 一般からの募兵方法は、選抜コースに合格した者のみを採用する方式で、選抜コースは"Endurance"と"Dark Phase"の二段階であった。"Endurance"は岩を満杯に入れたリュックサックを背負わせて3日で100kmの行軍と、17日間に渡って、砂を満杯に詰めた砂袋を担いで12kmのランニングを課せられた。その後、通常の食料を支給せず、14日間のサバイバルトレーニングを課した。ここまでの選抜トレーニングに耐えた者だけがセルース・スカウツの予備役兵となれた。さらに正規隊員となるためには、偽ゲリラに扮するための特別訓練である"Dark Phase"に耐えなければならなかった。 一般募集で様々な人種が入隊したため、セルース・スカウツは、ローデシア軍部隊の中で、もっとも人種の多い部隊となる。また、厳しい訓練の成果で、セルース・スカウツはローデシアの崩壊までに、直接・間接を合わせてゲリラ総死者数の68%に関与し、戦死者はわずかに40名足らずという、非常に優秀な部隊であった。また、セルース・スカウツは、ローデシアの情報機関と密接な関係にあり、生物兵器の実験および使用などにも従事していた。 セルース・スカウツは、数々の恐ろしい任務を遂行した部隊であったため、ローデシア崩壊後、ジンバブエのムガベ政権から解散を命じられた。ローデシアSASなどとは異なり、セルース・スカウツの解散については、公式発表も解散式も無く、ある日突然に消滅したのだった。 このセルース・スカウツが編み出した数々の戦術は、南アフリカの、南西アフリカ警察・対不正規戦部隊(SWAPOL-TIN, 通称KOEVOET)に引き継がれ、より発展強化されていった。
ローデシア軽歩兵連隊(Rhodesian Light Infantry
  • 白人のみの部隊。外国人兵士が多く所属したため、ローデシア外人部隊とも呼ばれていた。設立当初は通常の歩兵連隊であったが、しだいに特殊部隊化していった。
アフリカ人小銃連隊員
ローデシア・アフリカ人小銃連隊(Rhodesian African Rifles
  • 黒人の兵士・下士官と白人将校により編成された部隊で、8個独立中隊を指揮下に収める。ローデシア・アフリカン・ライフルズはローデシアのもっとも古い連隊の1つである。
ローデシア装甲車連隊(Rhodesian Armoured Car Regiment
  • ローデシア軍唯一の機甲部隊であり、4個中隊で構成される。自前の戦車は保有せず、フェレット偵察車エランド装甲車を装備していた。ローデシア紛争末期には、アフリカ人抵抗組織より鹵獲したT-55戦車を使用していた。
グレイズ・スカウツ(Grey's Scouts
  • 騎兵連隊で、実際に馬に乗って作戦行動を行っていた。
ローデシア連隊(Rhodesia Regiment
  • ローデシア軍の歩兵連隊。8個大隊で構成される。設立当初は一般的な歩兵部隊だったが、ローデシア紛争後期には空挺装備が与えられエアボーンも行った。また、オートバイ部隊も保有していた。

ローデシア陸軍の装備[編集]

ローデシアが独自に設計した数少ない兵器であるレオパルド装甲車(en)。
地雷の爆風を逃がすために車体底部をV字型にしたり、前輪後輪をキャビンから離れた場所に配置するなど、地雷対策に重点をおいて設計されている。

ローデシア陸軍は南アフリカと比べて国の規模が小さかったため、BL 5.5インチ砲センチュリオン戦車を装備しないなど、同時期の南アフリカ軍と比較して装備が見劣りする傾向があった。

経済制裁により南アフリカ以外の西側諸国から表立って兵器を導入できなかった上、同様に国際社会からの武器禁輸を受けていた南アフリカと比較して工業技術力も低かったので兵器の国産化もままならなかった。このため、ソ連や中国から兵器を供与されていたアフリカ人抵抗組織から鹵獲した武器を積極的に使用しなければならず、特に歩兵用火器では西側諸国と東側諸国の武器が混用されていた。

車両については反政府ゲリラが地雷による待ち伏せ攻撃を多用したため、ナミビア独立戦争アンゴラ内戦において同様の戦法に悩まされた南アフリカ軍と同様に、地雷対策を優先した装甲車が多数設計された。しかしローデシアは上記のように経済制裁を受けていた上に工業技術力が低かったため、ランドローバーウニモグといった既存の非装甲軍用車両か、トラックや乗用車などの民生用の車両をベースとして改造して製造するしかなく、南アフリカ軍のブッフェルキャスパーに比べるといかにも急造のイメージがぬぐえない外観をもつ右写真のようなものが多かった。

なお、ローデシア軍時代の装備は老朽化の甚だしい一部を除いてジンバブエ陸軍(Zimbabwe National Army)に継承され、現在でも運用されている。

車両[編集]

戦車[編集]
装甲車[編集]
ローデシア軍のフェレット装甲車

火器[編集]

小火器[編集]
L1A1ライフル
G3ライフル
ロケット[編集]
火砲[編集]

ローデシア空軍[編集]

準軍事組織[編集]

ローデシア紛争におけるローデシアでは様々な準軍事組織が編成され、ローデシア正規軍の作戦行動を側面ないし後方から支援していた。

ブリティッシュ・サウス・アフリカ・ポリスが所有していた装甲車
INTAF(INTAF
ローデシア内務省(Ministry of Internal Affairs)に所属する準軍事組織であり、ソ連・ロシアの国内軍(内務省軍)に相当する。アフリカ人に対する情報収集活動も担当し、独自の航空部隊も有していた。黒人政権成立後は解体される。
ブリティッシュ・サウス・アフリカ・ポリス(British South Africa Police
ローデシアの警察組織、国家憲兵。略称「BSAP」。元々はイギリスの警察組織を基としていたが、正規軍に代わって国賓を出迎える際の儀仗部隊を派遣するなど、カナダの王立カナダ騎馬警察に近い存在となっていった。
一般の治安維持・犯罪捜査任務に限らず、対ゲリラ戦を遂行するための乗馬歩兵部隊や対テロ特殊部隊も有していた。
黒人政権成立後は、ジンバブエ共和国警察(Zimbabwe Republic Police)として再編される。
警察対テロ部隊(Police Anti-Terrorist Unit)
ブリティッシュ・サウス・アフリカ・ポリスの特殊部隊。主に対ゲリラ的な任務に当たっていた。
警察都市緊急部隊(Police Urban Emergency Unit)
ブリティッシュ・サウス・アフリカ・ポリスの特殊部隊。アメリカ警察のSWATに相当し、ハイジャックや立てこもり事件を担当した。
サポート・ユニット(Support Unit)
ブリティッシュ・サウス・アフリカ・ポリスの歩兵部隊。後に乗馬歩兵部隊(Mounted Unit)もこの一員となる。
水上師団(Marine Division)
ブリティッシュ・サウス・アフリカ・ポリスに採用された自家製ボート所有者による予備警察部隊。ザンベジ川のカリバ湖でのパトロールにあたっていた。
ガード・フォース(Guard Force)
INTAFと同様にローデシア内務省に所属する準軍事組織で、黒人ゲリラ組織から一般の黒人を保護・隔離するために建設された戦略村(保護村)の警備を担当。黒人政権成立後は解体される。

情報機関[編集]

ローデシア中央情報局(Central Intelligence Organaization)
ローデシア政府の諜報機関。ラジオ局を使ったプロパガンダや生物・化学兵器の開発を行っていた。
ローデシア軍情報部(Rhodesian Intelligence Corps)
ローデシア軍の諜報機関。軍のための情報収集を担当した。
スペシャル・ブランチ (Special Branch)
ブリティッシュ・サウス・アフリカ・ポリスの公安部門を担当する機関。ローデシア中央情報局の指揮下にあった。
彼らが創設した特殊部隊は後にセルース・スカウツとなり、その後もセルース・スカウツとは密接な関係となった。

出典[編集]

関連項目[編集]