ワレンチン・ガブリロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル

ワレンチン・ガブリロフ
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
陸上競技
オリンピック
1968 メキシコ 男子 走高跳
ヨーロッパ陸上選手権
1969 アテネ 男子 走高跳

ワレンチン・ガブリロフロシア語: Валентин Гаврилов、ローマ字:Valentin Gavrilov、1946年7月26日 - 2003年12月23日)は、旧ソビエト連邦の陸上競技選手。1960年代後半から1970年代初頭にかけて活躍した男子走高跳選手で、1968年メキシコシティーオリンピックの銅メダリストである。モスクワ出身。

経歴[編集]

ガブリロフは、「人間衛星」ともいわれ、ベリーロールで2m28の世界記録を樹立したワレリー・ブルメルの次の世代のソ連のハイジャンパーである。1966年のヨーロッパ選手権では2m06で7位という結果を残し、翌1967年には2m12でソ連のチャンピオンに輝く。1968年のヨーロッパ室内陸上では、2m17で優勝した同じソ連のワレリー・スクボルツォフと同記録の銀メダルを獲得した。

ガブリロフは、1968年のメキシコオリンピックに出場。メキシコ大会の走高跳は歴史に残る大会となる。ガブリロフは、アメリカのエド・カルザースとともに優勝候補と見られていた。しかし、同じアメリカから出場した見慣れない跳躍を見せるディック・フォスベリーに観衆の注目が集まった。この跳躍こそが現在の世界の常識となっている「背面跳び」であった。ガブリロフは2m00から跳躍をはじめ、自己ベストとなる2m20まで1回も失敗することなくクリアした。一方のフォスベリーも、2m20まで1回で成功していた。しかし、2m22にバーがあがると、1回で成功したフォスベリーに対して、ガブリロフは3回とも失敗。カルザースが2m22を成功したため、ガブリロフは銅メダルとなった。

翌1969年には、2m21の自己ベストを出し、同年には2m17でヨーロッパ選手権も制覇。しかし、メキシコオリンピック以降、走高跳の跳躍法は急速に背面跳びに移行していく中、ガブリロフの成績は振るわなかった。

主な実績[編集]

大会 場所 種目 結果 記録
1966 ヨーロッパ陸上選手権 ブダペスト(ハンガリー) 走高跳 7位 2m06
1968 ヨーロッパ室内陸上選手権 マドリッド(スペイン) 走高跳 2位 2m17
1968 オリンピック メキシコシティ(メキシコ) 走高跳 3位 2m20
1969 ヨーロッパ室内陸上選手権 ベオグラード(ユーゴスラビア) 走高跳 1位 2m14
1969 ヨーロッパ陸上選手権 アテネ(ギリシャ) 走高跳 1位 2m17
1970 ヨーロッパ室内陸上選手権 ウィーン(オーストリア) 走高跳 1位 2m20
1970 ユニバーシアード トリノ(イタリア) 走高跳 1位 2m18
1971 ヨーロッパ陸上選手権 ヘルシンキ(フィンランド) 走高跳 10位 2m11
1973 ユニバーシアード モスクワ(ソビエト連邦) 走高跳 3位 2m15