ワールドカップ (ゴルフ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() World Cup of Golf | |
---|---|
![]() | |
創設 | 1953年 |
開催地 | 持ち回り |
開催コース | 持ち回り |
基準打数 | 持ち回り |
ヤーデージ | 持ち回り |
ツアー | PGAツアー |
競技方法 | ストロークプレー |
賞金総額 | 800万米ドル(2013年) |
開催月 | 11月 |
![]() | |
![]() |
世界ゴルフ選手権 | |
---|---|
メキシコ選手権 | |
デル・マッチプレー | |
ブリヂストン招待 | |
HSBCチャンピオンズ | |
(ワールドカップ) |
ゴルフのワールドカップとは1953年から奇数年行われている国別対抗の団体戦で、世界ゴルフツアーの年間スケジュールが終了した後に行われる。国を代表する2人の選手がチームを組み、世界24ヶ国が出場する。2009年までは毎年開催されていたが、以降は隔年開催となっている。
大会の歴史[編集]
本大会はゴルフを通じた世界各国の善隣友好を願ったカナダ人実業家ジョン・ジェイ・ホプキンスの提唱により国際ゴルフ協会が1953年にカナダ・モントリオールの「ビーコンスフィールド・カントリークラブ」で開催したのが始まりで、「カナダ・カップ」(Canada Cup)と名づけられた。1955年の第3回から開催地はカナダを離れ1956年の第4回には林由郎と石井迪夫のコンビが日本代表として初参加し、団体で4位を獲得する。これが翌1957年の日本招致のきっかけとなった。1957年の第5回は、日本(霞ヶ関カンツリー倶楽部)で初めて開催されたゴルフの国際イベントとなった。この大会で小野光一と中村寅吉のコンビが団体初優勝、中村が個人優勝を飾り日本の人々にゴルフを紹介する大きなきっかけをつくった。
1967年に「ワールドカップ」(World Cup)、1993年に「ワールドカップ・オブ・ゴルフ」(World Cup of Golf)と名称が変遷し2004年まではスポンサー企業名を冠とする「EMCワールドカップ」という名称であった。2005年から開催地の名称を冠とし2005年は「アルガーブ・ワールドカップ」、2006年は「バルバドス・ワールドカップ」、2007年からは「ミッションヒルズ・ワールドカップ」の名称に変更された(正確にはスポンサーであるスイスの時計メーカーの企業名を冠とする「オメガ・ミッションヒルズ・ワールドカップ」)。
2000年から2006年までは、本大会は世界ゴルフ選手権シリーズに編入されていた。世界選手権編入期間中は各チームの順位に応じた賞金を2人で半額ずつ分ける方式になったが、その金額は賞金ランキングに加算されなかった。その後、主にアメリカPGAツアーの主張に基づきアメリカ国外で開催される2007年開催以降の本大会は世界ゴルフ選手権シリーズから除外されることになった。
これまでの歴代優勝回数は、アメリカ合衆国が「23度」と抜きん出ている。続いて南アフリカ共和国の5度、スペイン、オーストラリアの4度と続く。日本チームは1957年と2002年の2度優勝がある。
2001年11月15日から18日にかけて、「日本ゴルフ100年祭」の最高潮をなすイベントとして「EMCワールドカップ」が静岡県御殿場市の「太平洋クラブ御殿場コース」に誘致された。1901年に日本で最古のゴルフ場として「六甲コース」が建造されてから100周年の記念行事が多数開催されたが、ワールドカップをそのクライマックスに位置づけたのである。この時はアメリカ代表として(当時)世界ランキング1位のタイガー・ウッズと同3位のデビッド・デュバルが来日した。アメリカ・チームは大会3連覇を逃したが、最終日の18番ホール(パー5, 517ヤード)でウッズが放った“ミラクル・チップイン・イーグル”は強烈な印象を残した。この時は4チームのプレーオフになり、アーニー・エルスとレティーフ・グーセンのコンビによる南アフリカチームが優勝した。なお、日本チームの伊沢利光と丸山茂樹のコンビは11位に終わっている。
日本開催の翌年にあたる2002年、伊沢と丸山のコンビがメキシコ開催の大会で日本チームに45年ぶり2度目の優勝をもたらした。
2013年からは、国際スポーツ振興協会が冠スポンサーとなり『ISPSハンダワールドカップゴルフ』という名称となった[1][2][3]。2013年大会より、2016年オリンピックと同ルールとなる個人戦72ホールストローク方式に変更され、団体戦は2人の合計スコアで優勝国を決定することとなった。
競技日程[編集]
- 第1日(木曜日):ベストボール・マッチ、1回目(2人ともそれぞれ自分の球を打ち、各ホールごとにスコアの良い選手の球を記録する競技方式。それが18ホール総計でそのチームのスコアとなる)
- 第2日(金曜日):フォアサム、1回目(2人の選手が、それぞれ交互に球を打つ競技方式。選手Aがティーショットを打てば、選手Bがその球をセカンド・ショットとして打つ…それを繰り返す。ティーショットを打つ順番は、ホールごとに交代する)
- 第3日(土曜日):ベストボール・マッチ、2回目
- 最終日(日曜日):フォアサム、2回目
大会歴代優勝国[編集]
開催年 | 優勝国 | 団体 | 個人 | 開催地 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
ISPS Handa Melbourne World Cup of Golf | ||||||
2018 | ![]() |
トーマス・ピータース & Thomas Detry | None | メルボルン, オーストラリア | ||
ISPS Handa World Cup of Golf | ||||||
2016 | ![]() |
ソレン・ケルドセン & トービヨン・オルセン | None | メルボルン, オーストラリア[4] | ||
2013 | ![]() |
ジェイソン・デイ & アダム・スコット | ![]() |
メルボルン, オーストラリア | ||
Omega Mission Hills World Cup[5] | ||||||
2011 | ![]() |
マット・クーチャー & ゲーリー・ウッドランド | None | 海口市, 海南省, 中華人民共和国 | ||
2009 | ![]() |
エドアルド・モリナリ & フランチェスコ・モリナリ | 深圳市 | |||
2008 | ![]() |
ロバート・カールソン & ヘンリク・ステンソン | 深圳市 | |||
2007 | ![]() |
コリン・モンゴメリー & マーク・ウォーレン | 深圳市 | |||
WGC-World Cup | ||||||
2006 | ![]() |
ベルンハルト・ランガー & マルセル・シーム | None | Sandy Lane Resort, バルバドス | ||
2005 | ![]() |
スティーブン・ドッド & ブラッドリー・ドレッジ | アルガルヴェ, ポルトガル | |||
2004 | ![]() |
ポール・ケーシー & ルーク・ドナルド | セビリア | |||
2003 | ![]() |
トレバー・イメルマン & ロリー・サバティーニ | Kiawah Island, SC, USA | |||
2002 | ![]() |
伊沢利光 & 丸山茂樹 | プエルト・バヤルタ | |||
2001 | ![]() |
アーニー・エルス & レティーフ・グーセン | 御殿場市 | |||
2000 | ![]() |
デビッド・デュバル & タイガー・ウッズ | ブエノスアイレス | |||
World Cup of Golf | ||||||
1999 | ![]() |
マーク・オメーラ & タイガー・ウッズ | ![]() |
クアラルンプール | ||
1998 | ![]() |
デビッド・カーター & ニック・ファルド | ![]() |
オークランド | ||
1997 | ![]() |
パドレイグ・ハリントン & ポール・マッギンリー | ![]() |
Kiawah Island, SC, USA | ||
1996 | ![]() |
アーニー・エルス & ウェイン・ウェストナー | ![]() |
ケープタウン | ||
1995 | ![]() |
フレッド・カプルス & デービス・ラブ3世 | ![]() |
深圳市 | ||
1994 | ![]() |
フレッド・カプルス & デービス・ラブ3世 | ![]() |
Dorado, Puerto Rico | ||
1993 | ![]() |
フレッド・カプルス & デービス・ラブ3世 | ![]() |
オーランド, USA | ||
World Cup | ||||||
1992 | ![]() |
フレッド・カプルス & デービス・ラブ3世 | ![]() |
マドリード | ||
1991 | ![]() |
アンダース・フォースブランド & パー=ウルリク・ヨハンソン | ![]() |
ローマ, イタリア | ||
1990 | ![]() |
トルシュテン・ギーデオン & ベルンハルト・ランガー | ![]() |
オーランド, USA | ||
1989 | ![]() |
ピーター・ファウラー & ウェイン・グラディ | ![]() |
マルベーリャ | ||
1988 | ![]() |
ベン・クレンショー & マーク・マッカンバー | ![]() |
メルボルン, オーストラリア | ||
1987 | ![]() |
デビッド・レウェリン & イアン・ウーズナム | ![]() |
マウイ島, USA | ||
1986 | No tournament | |||||
1985 | ![]() |
デーブ・バー & ダン・ホールドーソン | ![]() |
ラキンタ, CA, USA | ||
1984 | ![]() |
ホセ・マリア・カニザレス & ホセ・リベロ | ![]() |
ローマ | ||
1983 | ![]() |
レックス・コールドウェル & ジョン・クック | ![]() |
ジャカルタ | ||
1982 | ![]() |
ホセ・マリア・カニザレス & マニュエル・ピネロ | ![]() |
アカプルコ | ||
1981 | No tournament | |||||
1980 | ![]() |
ダン・ホールドーソン & ジム・ネルフォード | ![]() |
ボゴタ, コロンビア | ||
1979 | ![]() |
ヘール・アーウィン & ジョン・マハフィー | ![]() |
アテネ, ギリシャ | ||
1978 | ![]() |
ジョン・マハフィー & アンディ・ノース | ![]() |
Hanalei, HI, USA | ||
1977 | ![]() |
セベ・バレステロス & アントニオ・ガリード | ![]() |
マニラ | ||
1976 | ![]() |
セベ・バレステロス & マニュエル・ピネロ | ![]() |
Palm Springs, California, USA | ||
1975 | ![]() |
ルー・グラハム & ジョニー・ミラー | ![]() |
バンコク | ||
1974 | ![]() |
ボビー・コール & デール・ヘイズ | ![]() |
カラカス, ベネズエラ | ||
1973 | ![]() |
ジョニー・ミラー & ジャック・ニクラス | ![]() |
マルベーリャ | ||
1972 | ![]() |
謝敏男&呂良煥 | ![]() |
メルボルン | ||
1971 | ![]() |
ジャック・ニクラス & リー・トレビノ | ![]() |
Palm Beach, Florida, USA | ||
1970 | ![]() |
ブルース・デブリン & デビッド・グラハム | ![]() |
ブエノスアイレス, アルゼンチン | ||
1969 | ![]() |
オービル・ムーディ & リー・トレビノ | ![]() |
シンガポール | ||
1968 | ![]() |
アル・ボールディング&ジョージ・ナッドソン | ![]() |
ローマ, イタリア | ||
1967 | ![]() |
ジャック・ニクラス & アーノルド・パーマー | ![]() |
メキシコシティ, メキシコ | ||
Canada Cup | ||||||
1966 | ![]() |
ジャック・ニクラス & アーノルド・パーマー | ![]() |
東京よみうりカントリークラブ | ||
1965 | ![]() |
ハロルド・ヘニング & ゲーリー・プレーヤー | ![]() |
マドリード, スペイン | ||
1964 | ![]() |
ジャック・ニクラス & アーノルド・パーマー | ![]() |
マウイ島, USA | ||
1963 | ![]() |
ジャック・ニクラス & アーノルド・パーマー | ![]() |
パリ | ||
1962 | ![]() |
アーノルド・パーマー & サム・スニード | ![]() |
ブエノスアイレス | ||
1961 | ![]() |
ジミー・デマレー & サム・スニード | ![]() |
Dorado, Puerto Rico | ||
1960 | ![]() |
アーノルド・パーマー & サム・スニード | ![]() |
Portmarnock, ダブリン | ||
1959 | ![]() |
ケル・ネーグル & ピーター・トムソン | ![]() |
メルボルン | ||
1958 | ![]() |
ハリー・ブラッドショー & クリスティ・オコナー | ![]() |
メキシコシティ, メキシコ | ||
1957 | ![]() |
中村寅吉 & 小野光一 | ![]() |
霞ヶ関カンツリー倶楽部 | ||
1956 | ![]() |
ベン・ホーガン & サム・スニード | ![]() |
Wentworth, サリー, イングランド | ||
1955 | ![]() |
エド・ファーゴル & チック・ハーバート | ![]() |
ワシントンD.C., USA | ||
1954 | ![]() |
ケル・ネーグル & ピーター・トムソン | No award | モントリオール | ||
1953 | ![]() |
アントニオ・セルダ & ロベルト・デ・ビセンゾ | No award | モントリオール |
脚注[編集]
- ^ “ISPSハンダがワールドカップのタイトルスポンサーに”. ParGolf (Pargolf & Company). (2013年9月11日). オリジナルの2013年9月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ISPSハンダがワールドカップのタイトルスポンサーに”. ゴルフダイジェスト (ゴルフダイジェスト社). (2013年9月11日). オリジナルの2013年9月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ISPS、11月の男子ゴルフW杯に協賛”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2013年9月12日). オリジナルの2013年9月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Australia awarded upcoming World Cup, Presidents Cup”. PGA Tour (2015年10月9日). 2015年10月11日閲覧。
- ^ “Omega Title Sponsor of the Mission Hills World Cup”. Asian Tour (2007年1月30日). 2007年2月2日閲覧。[リンク切れ]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
|