ヴィアー・ポンソンビー (第9代ベスバラ伯爵)

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第9代ベスバラ伯爵
ヴィアー・ポンソンビー
Vere Ponsonby
9th Earl of Bessborough
Earlofbessbourgh.jpg
1935年頃のベスバラ伯
生年月日 1880年10月27日
出生地 イギリスの旗 イギリス イングランドロンドン
没年月日 (1956-03-10) 1956年3月10日(75歳没)
死没地 イギリスの旗 イギリス イングランド・ロンドン
出身校 ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ
所属政党 保守党
称号 第9代ベスバラ伯爵、初代ベスバラ伯爵、第10代ダンキャノン子爵、第10代ベスバラ男爵、第4代ポンソンビー男爵、初代ダンキャノン男爵、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス(GCMG)、枢密顧問官(PC)

在任期間 1931年4月4日 - 1935年11月2日[1]
国王 ジョージ5世

イギリスの旗 庶民院議員
選挙区 チェルトナム選挙区英語版
ドーヴァー選挙区英語版
在任期間 1910年1月15日 - 1910年12月3日
1913年6月23日 - 1920年12月1日[2]

イギリスの旗 貴族院議員
在任期間 1920年12月1日 - 1956年3月10日[2]
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第9代ベスバラ伯爵ヴィアー・ブラバゾン・ポンソンビー: Vere Brabazon Ponsonby, 9th Earl of Bessborough1880年10月27日 - 1956年3月10日)は、イギリスの貴族・政治家。

1931年から1935年にかけてカナダ総督を務めた。

経歴[編集]

1880年10月27日に後に第8代ベスバラ伯爵を継承するエドワード・ポンソンビー英語版とその妻ブランシェ(初代準男爵ジョン・ジョサイア・ゲスト英語版の娘)の間の息子として生まれる[3][4]

ハーロー校を経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進学[3]

1910年にはチェルトナム選挙区英語版から選出されて保守党庶民院議員を務める。1913年から1920年にかけてはドーヴァー選挙区英語版から選出されて保守党の庶民院議員を務める[3][4]1920年12月1日に死去した父から爵位を継承し、貴族院議員に転じる[2]

1931年枢密顧問官(PC)に列せられるとともに、同年から1935年にかけてカナダ総督を務めた。前任者と同様に世界大恐慌に苦しむカナダ各地を歴訪した[5]。1932年には初となるカナダ全土の電話システムが発足させた[5]。同年庶民院に帝国経済会議(Imperial Economic Conference in the House of Commons)を創設した[5]。新たなウェランド運河を開いたり、カナダ国立研究機関(National Research Council of Canada)の新しいビルを建設したりもした[5]。また日本の皇族高松宮宣仁親王、タイ国王ラーマ7世とその后ラムパイパンニー、本国政治家ウィンストン・チャーチルオーストラリアの探検家ヒューバート・ウィルキンズ英語版など各国の著名人を総督官邸に招いた[5]

1937年6月2日連合王国貴族爵位のベスバラ伯爵に叙された[4][3]

1956年3月10日に死去。爵位は長男フレデリック・ポンソンビー英語版が継承した[4][3]

栄典[編集]

爵位[編集]

1920年12月1日の父エドワード・ポンソンビー英語版の死去により以下の爵位を継承した[4][3]

  • 第9代ベスバラ伯爵 (9th Earl of Bessborough)
    (1739年10月6日勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • ウェックスフォード州におけるダンキャノン砦の第10代ダンキャノン子爵 (10th Viscount Duncannon, of the Fort of Duncannon in the County of Wexford)
    (1722年2月28日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • キルケニー州におけるベスバラの第10代ベスバラ男爵 (10th Baron Bessborough, of Bessborough in the County of Kilkenny)
    (1721年9月11日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • レスター州におけるシソンビーの第9代ポンソンビー男爵 (9th Baron Ponsonby, of Sysonby in the County of Leicester)
    (1749年6月12日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • キルケニー州におけるベスバラの第6代ダンキャノン男爵 (6th Baron Duncannon, of Bessborough in the County of Kilkenny)
    (1834年7月19日の勅許状による連合王国貴族爵位)

1937年6月2日に以下の爵位を新規に叙される[4][3]

  • 初代ベスバラ伯爵 (1st Earl of Bessborough)
    (勅許状による連合王国貴族爵位)

勲章[編集]

家族[編集]

1912年にロバーテ・ド・ニューフリーズと結婚し、彼女との間に以下の4子を儲けた[3][4]

  • 第1子 (長男) フレデリック・エドワード・ニューフリーズ・ポンソンビー英語版 (1913-1993) 第10代ベスバラ伯爵位を継承
  • 第2子 (次男) デズモンド・ニューフリーズ・ポンソンビー (1915-1925) 早世
  • 第3子 (長女) モイラ・ブランシェ・マデリン・ポンソンビー英語版 (1918-2016) デニス・ブラウン英語版と結婚
  • 第4子 (三男) ジョージ・セント・ローレンス・ニューフリーズ・ポンソンビー (1931-1951) ドイツでの軍務中に交通事故死

出典[編集]

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  1. ^ 秦郁彦(編) 2001, p. 182.
  2. ^ a b c UK Parliament. “Viscount Duncannon” (英語). HANSARD 1803-2005. 2016年4月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i Lundy, Darryl. “Vere Brabazon Ponsonby, 9th Earl of Bessborough” (英語). thepeerage.com. 2016年4月23日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Bessborough, Earl of (I, 1739)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年4月16日閲覧。
  5. ^ a b c d e カナダ総督府. “The Governor General > Former Governors General > British > Earl Grey 1904-1911” (英語). 2016年4月23日閲覧。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦(編)『世界諸国の組織・制度・人事 1840―2000』東京大学出版会、2001年。ISBN 978-4130301220。
官職
先代:
初代ウィリンドン伯爵
カナダ総督
1931年 – 1935年
次代:
初代トゥイーズミュア男爵
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代:
ジョン・エドワード・シアーズ英語版
チェルトナム選挙区英語版
選出庶民院議員

1910年1月英語版 – 1910年12月英語版
次代:
リチャード・マティアス英語版
先代:
ジョージ・ウィンダム英語版
ドーヴァー選挙区英語版
選出庶民院議員

1913年英語版 – 1920年英語版
次代:
サー・トマス・ポルソン英語版
アイルランドの爵位
先代:
エドワード・ポンソンビー英語版
第9代ベスバラ伯爵
1920年 – 1956年
次代:
フレデリック・ポンソンビー英語版
イギリスの爵位
新設 初代ベスバラ伯爵
1937年 – 1956年
次代:
フレデリック・ポンソンビー英語版