ヴラディミル・ストイコヴィッチ

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ヴラディミル・ストイコヴィッチ Football pictogram.svg
Vladimir Stojković 2018 (cropped).jpg
セルビア代表でのストイコヴィッチ(2018年)
名前
ラテン文字 Vladimir Stojković
キリル文字 Владимир Стојковић
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1983-07-28) 1983年7月28日(35歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア ロズニツァ
身長 195cm
体重 92kg
選手情報
在籍チーム セルビアの旗 パルチザン・ベオグラード
ポジション GK
背番号 88
利き足 右足
ユース
ユーゴスラビアの旗 ロズニツァ
ユーゴスラビアの旗 レッドスター・ベオグラード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2004 セルビア・モンテネグロの旗 レッドスター・ベオグラード 2 (0)
2003 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 レオタル (loan) 4 (0)
2004-2005 セルビア・モンテネグロの旗 ゼムン 34 (0)
2005-2006 セルビア・モンテネグロの旗 レッドスター・ベオグラード 21 (0)
2006-2007 フランスの旗 ナント 10 (0)
2007 オランダの旗 フィテッセ (loan) 8 (0)
2007-2011 ポルトガルの旗 スポルティングCP 9 (0)
2009 スペインの旗 ヘタフェ (loan) 5 (0)
2010 イングランドの旗 ウィガン (loan) 4 (0)
2010-2011 セルビアの旗 パルチザン (loan) 26 (0)
2011-2013 セルビアの旗 パルチザン 60 (1)
2014 ギリシャの旗 エルゴテリス 11 (0)
2014-2016 イスラエルの旗 マッカビ・ハイファ 68 (0)
2016- イングランドの旗 ノッティンガム・フォレスト 20 (0)
2017- セルビアの旗 パルチザン・ベオグラード (loan)
代表歴2
2006- セルビアの旗 セルビア 72 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年2月15日現在。
2. 2017年3月24日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴラディミル・ストイコヴィッチセルビア語: Владимир Стојковић / Vladimir Stojković, 1983年7月28日 - )は、ユーゴスラビアロズニツァ出身の同国代表サッカー選手パルチザン・ベオグラード所属。ポジションはGK

経歴[編集]

クラブ[編集]

レッドスター・ベオグラードの下部組織出身。早くも2002-03シーズンにトップチームに昇格するが、ヴラディミル・ディシュリェンコヴィッチから正GKの座を奪うには至らず、リーグ戦では1試合に出場したのみだった。

他クラブへの期限付き移籍を経験した後、2005-06シーズン開幕前にレッドスターに復帰し、シーズン途中から正守護神の地位を手に入れる。UEFAカップASローマ戦ではアントニオ・カッサーノペナルティーキックを止めることに成功したが、チームはグループステージで敗退した。

2006年5月15日パリ・サンジェルマンFCに移籍したミカエル・ランドローの後任としてフランスFCナントに移籍。しかし、シーズン途中に元フランス代表ファビアン・バルテズが加入したこともあって活躍は見せられず、2007年1月15日オランダフィテッセにレンタル移籍した。シーズン終了後の7月11日ポルトガルスポルティングCPに5年契約で移籍。しかし、生え抜きのルイ・パトリシオの後塵を拝した。

2008年夏、チームの許可を得てイングランドエヴァートンFCトライアウトを受けたものの、わずか1日で無断帰国した[1]。その後は、スペインヘタフェCFイングランドウィガン・アスレティックにレンタル移籍したがいずれもレギュラー獲得には至らなかった。

2010年8月27日、母国のパルチザン・ベオグラードへレンタル移籍。パルチザンは古巣レッドスターと激しいライバル関係にあるため、一部サポーターの反発を買った。

2014年6月10日、マッカビ・ハイファFCに移籍した。

代表[編集]

2006年にポルトガルで開催されたUEFA U-21欧州選手権ではセルビア代表のキャプテンを務めた(出場停止のダンコ・ラゾビッチの代役)。チームは準決勝まで駒を進めたものの、優勝はならなかった。

その後、2006 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれるが、出場機会はなかった。大会終了後、新たに代表監督に就任したハビエル・クレメンテの信頼を得て、同年8月16日のチェコ戦でA代表でのデビューを飾る。UEFA EURO 2008予選では正GKとしてプレーし、代表監督がミロスラヴ・ジュキッチに交代した後も引き続きその座を維持した。

2010 FIFAワールドカップではグループリーグのドイツ戦でルーカス・ポドルスキのペナルティーキックを防ぐなどドイツの猛攻からゴールを守り勝利に貢献した。この活躍によりマン・オブ・ザ・マッチに選出されたが、チームもグループリーグ敗退に終わった。

2010年10月12日に行われたUEFA EURO 2012予選イタリア戦の試合前に一部のサポーターから襲撃を受け負傷し、病院に搬送された[2]

代表歴[編集]

タイトル[編集]

個人
  • セルビア年間最優秀選手賞 : 2017

脚注[編集]

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