一柳末英

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一柳末英
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦8年(1758年
死没 文化7年7月14日1810年8月13日
墓所 東京都渋谷区広尾の祥雲寺
官位 従五位下土佐守左京亮
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
播磨小野藩
氏族 一柳氏
父母 一柳末栄真田信弘
兄弟 末英、座光寺為賢、石尾氏紹、栄武、
織田信浮正室、山口弘道正室、多芽、琴松院
板倉勝任養女
末昭末周
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一柳 末英(ひとつやなぎ すえふさ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名播磨国小野藩6代藩主。官位従五位下土佐守左京亮

略歴[編集]

5代藩主・一柳末栄の長男として江戸にて誕生。

安永4年(1775年)8月15日、10代将軍徳川家治にお目見えする。安永8年(1779年)9月16日、父の隠居で家督を継ぐ。同年12月16日、従五位下土佐守に叙任する。安永9年4月18日、初入国する許可を得る。駿府加番となった。

文化元年(1804年)7月5日、病を理由に次男・末昭に家督を譲って隠居し、文化7年(1810年)7月14日に53歳で死去した。墓所は東京都渋谷区広尾の祥雲寺。

系譜[編集]