丁來赫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丁來赫
生誕 (1926-01-17) 1926年1月17日(93歳)
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮全羅南道谷城郡
所属組織

大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍

Flag of the Republic of Korea Army.svg 大韓民国陸軍
最終階級 少尉(日本陸軍)
中将(韓国陸軍)
除隊後 国会議員
テンプレートを表示

丁 來赫(チョン・ネヒョク、정래혁1926年1月17日- )は大韓民国軍人政治家創氏改名時の日本名玉岡聖賢本貫は羅州丁氏(나주정씨)。は石淵(석연)。

経歴[編集]

1926年1月、全羅南道谷城郡に生まれる。光州中学校卒業。1945年、陸軍士官学校第58期卒業。全州の連隊作戦科で勤務中に終戦を迎えた。

帰国後は警察に入るが、1946年2月3日付で軍事英語学校を卒業して少尉に任官(軍番10040番)、第3連隊の創設に参加。しかし米軍顧問と衝突して辞職、再び警察に入る。1948年8月、警備士官学校卒業、任少尉(軍番11547番)。陸軍士官学校教官を経て1949年に陸軍参謀学校教官。

1950年6月10日、陸軍本部作戦課長。6月30日、臨時編成軍司令部付参謀。7月下旬に臨時編成軍司令官の蔡秉徳少将が戦死すると陸軍本部作戦課長に復帰。9月1日、第3師団参謀長。

1951年1月、第3軍団作戦主任参謀。3月、陸軍本部作戦課長。7月、参謀総長付秘書室長。

1952年6月、アメリカ陸軍指揮幕僚大学に留学。

1953年9月、歩兵学校副校長。

1954年4月、第3師団副師団長、6月に師団長に就任。8月、歩兵学校長。

1956年4月、第27師団長。11月、陸軍本部作戦局長。

1958年9月、軍需参謀部次長。

1959年5月、国防部総務局長。

1961年、国防大学院卒業。5月16日、軍事革命委員、国家再建最高会議最高委員。5月20日、商工部長官。

1962年7月、第1軍副司令官。

1963年、第6軍団長。

1964年、陸軍士官学校校長。

1966年、第2軍司令官。

1968年、予備役編入。韓国電力会社社長。

1970年3月、国防部長官。同年、よど号ハイジャック事件に際し、赤軍派と交渉に当たる。

1971年8月25日、実尾島事件の責任を負って国防部長官を退く[1]

1972年、第9代国会議員(ソウル城北区、民主共和党)。

1978年、第10代国会議員(ソウル城北区、民主共和党)。

1980年、立法会議副議長。

1981年、第11代国会議員(全南谷城潭陽和順区、民主正義党)。

1983年、民主正義党代表委員。

1984年、税務調査により不正蓄財が発覚し、丁は不正蓄財によって集めた金を国に貢献した[2]

出典[編集]

  1. ^ 《国際索隠》南韓影片 喚起特遣隊員悲歌” (中国語(台湾)). 自由時報. 2010年3月25日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年10月6日閲覧。
  2. ^ “국군保安司요원 세무관서 출입 더 잦아져”. 韓国税政新聞. (2015年8月10日). http://www.taxtimes.co.kr/hous01.htm?r_id=206972 2015年10月28日閲覧。 

参考[編集]

  • 佐々木春隆 (1976), 朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで, 原書房 
  • 丁來赫”. 大韓民国憲政会. 2014年8月6日閲覧。
軍職
先代:
朴重潤
大韓民国の旗 大韓民国陸軍士官学校校長
第18代:1964.8.10 - 1966.12.28
次代:
李世鎬
先代:
朴璟遠
大韓民国の旗 大韓民国陸軍第2軍司令官
第9代:1966.12.28 - 1968.2.16
次代:
文亨泰
公職
先代:
太完善
大韓民国の旗 大韓民国商工部長官
第17代:1961.5.20 - 1962.7.10
次代:
劉彰順
先代:
任忠植
大韓民国の旗 大韓民国国防部長官
第18代:1970.3.10 - 1971.8.25
次代:
劉載興