七戸朝清

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七戸 朝清(しちのへ ともきよ)は鎌倉時代の武士。南部光行の三男(あるいは六男とも)。七戸氏久慈氏の祖。

生涯[編集]

初め(1199年)に七戸を領知、さらに久慈を兼領したため、七戸太郎三郎、あるいは久慈三郎とも呼ばれる。
朝清には、久慈光奥、七戸光継、久慈光治の三子説(七戸系図)と、実清、治清の二子説(横浜系図)の諸説がある。

系譜[編集]

三子説(七戸系図)
          南部光行
            ┃ 
           
七戸太郎三郎           七戸朝清     ┏━━━━━━━╋━━━━━━━━┓     久慈五郎      七戸三郎      久慈太郎       光治        光継       光興

参考文献[編集]

  • 『岩手県史 第3巻 中世篇 下』 岩手県、1961年10月20日