三国人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動: 案内, 検索

三国人(さんごくじん、第三国人)は、連合国軍占領下の日本において、官公庁[1][2]や国会[1]を含む日本人およびGHQが、日本の朝鮮・台湾などの旧外地の人々を指して用いた呼称。旧外地から日本に移動してきた人々の戦後の自称としても使われたとする説もある。一般的には死語であるが、差別語であると主張する人々も存在する。

目次

語源について

本来は特に話題の限定されない「“第三国”の人」の意味であり、その用例もあるが、この記事で扱う朝鮮・台湾系のち中国系の人々に使われるようになった経緯には諸説あり、定説は確立していない。

  1. GHQが、日本の統治下に置かれていた旧植民地の住民は戦勝国民・中立国民のいずれにも該当しないとして、「third nationals(第三国人)である」と規定したことによるとする説[3][4][5]
  2. GHQが使用した「non-japanese(非日本人)」という言葉を日本の政治家・官僚が「第三国人」と訳し、それがGHQ側にも受け入れられたとされる説[6]

背景などについての議論

「第三国人」という言葉が、一般の書籍や新聞等で多く使われたのは主に戦後の混乱期であり、朝鮮人をはじめとする「旧日本人」は、「降伏後における米国の初期対日方針」では解放国民とされた[7]が、1945年11月から1946年11月までは「難民」としてGHQによる帰還事業の対象とされ[8]、1946年11月からは「日本国籍」と看做されながら[8]、1947年5月2日からは外国人登録令により外国人として扱われた。また1946年2月から日本の司法権が適用される[8]など朝鮮・台湾系の人々は占領政策の転換のはざまで翻弄されつつ、多くの騒乱・衝突を引き起こし(代表的な例として、直江津駅リンチ殺人事件など)、民族教育を巡る対立も加わり[8]、「闇市」や「騒擾」をする「第三国人」と伝えられることが多くなった。

藤永壮は水野の論文を解説して高野雄一が1946年末までに「第三国人」についての定義を与えており[9]、1947年にGHQが日本政府の意向を受けて「第三国人」を "Third Nationals" と訳した例が見られる[9]としてGHQ起源説を否定し、椎熊三郎の質問に対する大村清一の答弁が議会での最初の用例[9]だとして、そもそも「三国人」という言葉を使い始め広めたのは、警察、マスコミ、政治家、官僚[9]だと主張している。そして、そのような経緯から、「「第三国人」が「不法行為」を行っているというイメージは、不当に誇張、宣伝され」たものと考えられるとしている。

しかし1946年の高野による「第三国人」の定義では「従来日本の支配下にあつた諸国の国民」で「外国人ではないが、同時に日本人と必ずしも地位を同一にしない」という当時の在日朝鮮人や在日台湾人を述べただけのものであり、また上記のように藤永・水野は「「第三国人」が「不法行為」を行っているというイメージ」を日本人が「不当に誇張、宣伝」したと主張しているが、佐藤勝巳は、この用語に蔑視、畏怖が含まれるようになったのは、在日朝鮮人連盟をはじめとして、在日朝鮮人自身が戦後の混乱期に「連合国人(戦勝国民)」と自称して集団強盗、略奪、殴打暴行、破壊、占拠監禁などを日本各地で行っていた事実があり、その事実を知った日本人が、公然と社会秩序を乱し何事も暴力で解決しようとする在日韓国・朝鮮人(三国人)は恐いと考えるようになるのは当然で、在日韓国・朝鮮人自身の行為が「三国人」なる言葉に特別な意味を含ませるようになったとしている[4]

「三国人」が使用されていた事例としては、1947年に在日朝鮮人によって税務署員が殺害された神奈川税務署員殉職事件で殉職した税務官を顕彰するために1951年に設立された碑には「第三国人」と明記されており[2]、また、1947年当時の衆議院では、日本社会党を主体とした片山内閣栗栖赳夫大蔵大臣や野党日本自由党の宮幡靖代議士や出席した政府職員は「第三国人」と述べている[1]。また、1973年には在日韓国人の著者自身が在日韓国・朝鮮人を「第三国人」と呼称した著書も出版されている[10]1983年には中内功が「その当時は(神戸が)第三国人に支配されていまして」とこの呼称を用いてインタビューに応えている[11]

終戦後の在日朝鮮人について

「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)にて、当時の総理大臣である吉田茂は戦後の在日朝鮮人に対して以下の見解を出している[12]

  • 彼らは 総数100万にちかく、その半数は不法入国。
  • すべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待する。

その理由は次の通り。

  • 現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能。 
  • 大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献していない。
  • さらに悪いことには、朝鮮人の中で 犯罪分子が大きな割合を占めている。
  • 彼らは日本の経済法令の常習的違反者 であります。多くは共産主義者ならびにそのシンパで最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態である。

近年の事例

最も議論となった例は、東京都知事石原慎太郎が2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地創隊記念式典での演説で用いたものである。石原は不法入国した三国人と述べ[13]、この発言は「近年の日本での外国人犯罪への危惧から発せられた言葉」とされているが、この発言に対して特に在日コリアンや韓国が強く反発した。また、朝鮮史研究会としても石原の発言を批判している[14]

この石原発言と前後して、ウェブサイトやオークラ出版による雑誌、『嫌韓流4』などでは、「終戦直後の朝鮮人らの自称として使われた」として「朝鮮進駐軍」という表現も見られるようになった。

石原の発言は、2005年11月の人権問題討論国連総会第3委員会で「東京都知事の外国人差別的演説」として取り上げられ、国連人権委員会人種差別問題特別報告者ドゥドゥ・ディエン (Doudou Diène) によって「日本の当局がよりはっきりした態度を打ち出すなど、人種差別と戦う政治的な意思が求められる」と指摘を受けた。これに対し、国連人権委員会及びドゥドゥ・ディエンの政治的中立性には疑問があるとする声もある。

脚注

  1. ^ a b c 第001回国会 財政及び金融委員会 第46号”. 衆議院 (1947年12月4日). 2010年1月28日閲覧。
  2. ^ a b 内薗惟幾(税務大学校研究部教授). “税務職員の殉難小史―酒類密造等の沿革と併せて―”. 国税庁. 2010年1月28日閲覧。
  3. ^ 野村旗守、宮島理、李策呉智英浅川晃広、他  (2006). 別冊宝島 嫌韓流の真実!ザ・在日特権. 宝島社, p.73. ISBN 4796653295. 
  4. ^ a b 佐藤勝巳「「三国人」は本当に差別語か」『現代コリア』2000年5月号
  5. ^ 秦郁彦「「第三国人」と言ったのはGHQ」 『諸君』2000年6月号
  6. ^ 朝鮮史研究会水野直樹藤永壮らは資料研究によりGHQ内では朝鮮人・台湾人を当初 "Non-Japanese Nationals"(非日本人)や Non-Japanese, Koreans, Formosans と称しており、日本人に合わせて第三国人を使用したのではないか、との見解を示している。藤永壮「石原「第三国人」発言批判声明・解説」。いまのところ、これを覆す資料は示されていない。
  7. ^ Basic Initial Post Surrender Directive to Supreme Commander for the Allied Powers for the Occupation and Control of Japan (JCS1380/15)8.d.,日本占領及び管理のための連合国最高司令官に対する降伏後における初期の基本的指令8(に)、国立国会図書館
  8. ^ a b c d ロバート・リケット「占領期における地域社会と在日朝鮮人 地方史から見えてくるもの」『東西南北 別冊01 地域社会における在日朝鮮人とGHQ』和光大学総合文化研究所、2000年12月1日。
  9. ^ a b c d 藤永壮「石原「第三国人」発言批判声明・解説
  10. ^ 『第三国人の商法 -日本人禁制の秘密を明かす-』 林浩奎 KKベストセラーズ
  11. ^ 『ビッグマン』1983年1月号
  12. ^ 「在日朝鮮人に対する措置」文書 (田中宏『在日外国人』)
  13. ^ 「三国人」発言に関する知事見解について 都議会民主党 2000年4月19日付 閲覧
  14. ^ 石原都知事発言の歴史認識の誤りを批判する声明

関連項目

今日は何の日(6月27日

もっと見る

「三国人」のQ&A