三宅康信

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三宅康信
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄6年(1563年
死没 寛永9年9月27日1632年11月9日
戒名 法栄院殿源心宗広大居士
墓所 愛知県豊田市梅坪町の霊巌寺
愛知県田原市田原町北番場の霊巌寺
官位 従五位下、越後
幕府 江戸幕府
主君 徳川家康秀忠家光
三河挙母藩主→伊勢亀山藩
氏族 三宅氏
父母 父:三宅康貞、母:小笠原氏
正室戸田一西の娘
康盛、康重(次男)、娘(内藤信広正室)、娘(岡部興賢正室)、娘(石川正信室)

三宅 康信(みやけ やすのぶ)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将大名三河挙母藩第2代藩主、のち伊勢亀山藩初代主。田原藩三宅家2代。

生涯[編集]

永禄6年(1563年)、挙母藩初代藩主・三宅康貞の長男として遠江で生まれる。父と共に徳川家康に仕え、小田原征伐など家康の主要な戦争の多くに参加して武功を挙げた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは横須賀城番を務め、戦後は伊勢亀山城の城番を務めた。

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では駿府城の守備、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では淀城の守備を務めた。元和元年(1615年)に父が死去したため家督を継いだ。元和3年(1617年)12月、従五位下、越後守に叙位・任官した。

元和6年(1620年)に第2代将軍・徳川秀忠の娘・和子が入内するときには、その警護役を務めた功績を賞されて2,000石加増の1万2,000石で伊勢亀山に移封された。寛永9年(1632年)9月27日に伊勢亀山で死去した。享年70。跡を長男の康盛が継いだ。