三宅裕司

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みやけ ゆうじ
三宅 裕司
本名 三宅 裕司
生年月日 (1951-05-03) 1951年5月3日(67歳)
出生地 日本の旗 日本東京都千代田区
身長 176 cm
血液型 B型
職業 コメディアン
俳優
タレント
司会者
ジャンル 舞台
バラエティ番組
テレビドラマ
映画
活動期間 1973年 -
配偶者 あり
事務所 アミューズ
公式サイト アミューズによるプロフィール
SET公式サイト
主な作品
バラエティ番組
いい加減にします!
テレビ探偵団
平成名物TV三宅裕司のいかすバンド天国
驚きももの木20世紀
THE夜もヒッパレ
どっちの料理ショー
笑いの金メダル
ラジオ番組
三宅裕司のヤングパラダイス
裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30
三宅裕司のザ・ベスト30"スゲェ!"
三宅裕司のサンデーヒットパラダイス
テレビドラマ
冗談ストリート
ひまわり
魔王
遺留捜査
金沢のコロンボ』シリーズ
映画
居酒屋ゆうれい
サラリーマン専科』シリーズ
スーパーの女
壬生義士伝
結婚しようよ

三宅 裕司(みやけ ゆうじ、1951年昭和26年)5月3日 - )は、日本コメディアン俳優タレント司会者東京都千代田区神田神保町出身。アミューズ所属。劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)座長。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

家業は印刷業。実父は8ミリ映画の撮影を趣味に持ち、実母は松竹歌劇団(SKD)出身で日本舞踊の名人、伯母もSKDの元団員であった。母の影響で幼い頃から日本舞踊、三味線長唄小唄などを習う。中学時代から落語バンドを始めた。

乳児期は、近所に住んでいた画家いわさきちひろの乳を飲んで育つ。当時、ちひろは乳飲み子だった息子・松本猛(のちの安曇野ちひろ美術館館長)をやむなく安曇野の両親に預けていたため、母乳が途切れぬようにと三宅に乳を与えていた。また、曾祖父が「郵便制度の父[1]」と呼ばれる前島密と兄弟であると『森田一義アワー 笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」出演時に明かし、司会のタモリに1円切手のシート(額入り)をプレゼントした。

学生時代[編集]

千代田区立一橋中学校を経て明治大学付属明治高等学校に進学し、明治大学経営学部を卒業。明治大学の同期に日本テレビ元アナウンサーの松永二三男がいる。後輩にNHKアナウンサーの石澤典夫落語研究会でも後輩だった落語家立川志の輔立川談之助立川談幸タレント渡辺正行がいた。クレージーキャッツの『無責任一代男』に影響され、大学時代は「カンニングしなかった試験科目はない」「チャックの筆箱の中にフランス語の試験範囲の仏文と和訳と全部書いたりね」「最初から(優・良・可の)可を狙うんです」と述懐している[2]

大学時代、4代目「紫紺亭志い朝」を襲名。卒業と同時に5代目を立川志の輔に譲り、その志の輔も卒業と同時に6代目を渡辺正行に譲った。

1970年代[編集]

大学卒業後は喜劇役者を目指して日本テレビタレント学院に入ったが、生徒が若い人ばかりでなじめず3か月で辞め、その後、劇団東京新喜劇に入るも一度も公演せずに劇団自体が潰れてしまう。コントグループ・少年探偵団を経て、斉藤洋介らと共に劇団大江戸新喜劇の旗揚げに参加するが、「笑いの質が違う」(三宅談)と一度も舞台に立たないまま脱退した。

その時に行動を共にした小倉久寛八木橋修ら15人のメンバーと、1979年、劇団スーパー・エキセントリック・シアターSET)を旗揚げ。現在に至るまで座長を務め、一貫して東京の笑いを追求し続けている。コンセプトは「ミュージカル・アクション・コメディ」。年に一度の本公演では、結成から30年以上経った現在でも東京公演のみで1万6000人以上の観客を動員し、チケットも即完売するなど人気を博している。元劇団員には岸谷五朗寺脇康文水木薫小粥よう子らがいる。

1980年代[編集]

1984年、32歳の時にニッポン放送ラジオ番組三宅裕司のヤングパラダイス』のパーソナリティを務めたことで若者から絶大な支持を集め、全国的な知名度を一気に得る。『テレビ探偵団』や『三宅裕司のいかすバンド天国』などを皮切りに、明朗快活な雰囲気に加え、キレの良い会話と相手の話に対する反応の良さ、切り返しの巧さで、以後数々のバラエティ番組の司会を務めるようになった。石橋貴明によると、おニャン子クラブを輩出した『夕やけニャンニャン』も当初は三宅や片岡鶴太郎を中心にした「面白い番組」になる予定だったという[3]

1986年6月9日、のちに自身の担当番組内で「マコさま」と呼称されることになる一般女性と結婚した。

1986年にニューヨークオフ・ブロードウェイで観劇したゴスペルミュージカル『ママ・アイ・ウォント・トゥー・シング(Mama I Want to Sing)』に感激し、所属事務所のアミューズとともに1988年の来日公演実現を強力にサポートした[4]。その際は久保田利伸から「三宅さん! すごいミュージカルを日本に呼んでくれてありがとう!」と感謝され、2013年の再来日公演でもオフィシャルサポーターを務めている[5]

1990年代[編集]

長年、ニッポン放送聴取率に貢献している人気ラジオパーソナリティであることから、1990年2000年ニッポン放送年末特別番組ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』のメインパーソナリティを10年おきに担当してきた。三宅自身も普段レギュラー担当している番組の『裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30』『三宅裕司のザ・ベスト30"スゲェ!"』『三宅裕司 みんなのヒット!ベスト20+10』ではほぼ毎年必ず年末の放送で『ミュージックソン』に近づくと「10年おきにやってるんだ」と語っており、このまま順調にニッポン放送にレギュラー出演していれば2010年にも再びメインパーソナリティを任されるかが注目されていた。しかし、2010年のメインパーソナリティはオードリーが担当することになり、三宅の10年ぶり3度目の登板とはならなかった。

テレビ朝日系金曜日21時枠では、1993年から2007年まで3本のレギュラー番組の司会を務めていたが(『驚きももの木20世紀』『世界痛快伝説!!運命のダダダダーン!』『笑いの金メダル』)、3本とも一定の人気を得ていたにもかかわらず、編成の都合により打ち切り・枠移動に失敗して終了するという不遇な終了を迎えた(同時期に他局でもゴールデンタイムのレギュラー番組を持っていたため、露出が減っていたわけではない)。

2000年代[編集]

2004年からは毎年、東京の笑いである軽演劇を継承すべく、師と仰ぐ伊東四朗や、渡辺正行、小倉久寛らと共に『伊東四朗一座』を公演し(伊東が不参加の時は『熱海五郎一座』と称する。由来は「伊東」の手前で「熱海」、「四朗」の次で「五郎」)、そこでも舞台を引っ張っていく手腕を遺憾なく発揮している。伊東四朗一座・熱海五郎一座はのべ10万人以上の観客を動員し、チケットは入手困難なプレミアチケットとなっている。また、伊東とはコントライブ『いい加減にしてみました』も不定期に上演している。

2007年には学生時代からの夢であった、17人編成のビッグバンド「三宅裕司 & Light Joke Jazz Orchestra」を結成。SETの舞台に参加したり、ライブ活動を行ったりしている。ライブでは笑いをふんだんに取り入れたトークや映像を使うなどして、ジャズに馴染みのない人でも楽しめる構成になっている。三宅以外は全員プロのミュージシャンで編成され、ライブには小曽根真カルロス菅野寺井尚子アルベルト城間といった本格派から、グッチ裕三コロッケ戸田恵子など、バラエティに富んだ三宅の音楽仲間が参加している。

2010年代[編集]

2011年7月30日、長年患っていた椎間板ヘルニアの症状が悪化、救急搬送されて緊急手術を行った。術後、下半身の感覚が殆んどない状態が続き、長期のリハビリ期間を必要としたため、年内いっぱいを目処に休養する旨を明らかにする。年内に企画されていた舞台やライブなどは全て中止された。レギュラー番組は元劇団員の岸谷五朗や寺脇康文、同じ事務所に所属しているタレントらが代役を務めた。2012年1月1日、ニッポン放送のラジオ番組『三宅裕司のサンデーヒットパラダイス』の生放送で復帰した。

2018年7月22日、パーソナリティを務めるラジオ番組『三宅裕司のサンデーヒットパラダイス』に電話出演し、病院で前立腺肥大症と診断されたことを明かすとともに、治療に専念するためしばらく療養することを発表した[6]。手術後の同年8月8日に退院し[7]8月12日には『三宅裕司のサンデーヒットパラダイス』の生放送にも復帰した[8]

出演[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

人形劇[編集]

吹き替え[編集]

洋画[編集]

海外アニメ[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “長野)海ノ口郵便局の140年 井出家の郵便資料を公開”. 朝日新聞社. (2018年4月14日). https://www.asahi.com/articles/ASL4B36Q7L4BUOOB005.html 2018年12月19日閲覧。 
  2. ^ 『植木等のみなさんおそろいで』(1992年、ファンハウス) p.202-203における三宅の発言。
  3. ^ “石橋貴明、人気博した「夕ニャン」辞めたくて仕方なかったワケ”. スポニチ Sponichi Annex. (2018年7月22日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/04/17/kiji/20180417s00041000163000c.html 2018年12月19日閲覧。 
  4. ^ “三宅裕司×福原美穂対談 細胞が覚醒する、ゴスペルのススメ”. CINRA.NET. (2013年12月3日). https://www.cinra.net/interview/2013/12/03/000000 2018年12月19日閲覧。 
  5. ^ “ゴスペル日本公演の立役者・三宅裕司、25年前の久保田利伸との秘話明かす”. マイナビニュース. (2013年11月25日). https://news.mynavi.jp/article/20131125-a340/ 2018年12月19日閲覧。 
  6. ^ “三宅裕司、前立腺肥大症で療養へ 6月に「おなかがぽっこり出た」”. SANSPO.COM. (2018年7月22日). https://www.sanspo.com/geino/news/20180722/geo18072215020024-n1.html 2018年7月23日閲覧。 
  7. ^ “三宅裕司 「全然大丈夫です」前立腺肥大症から復帰後初の公の場”. スポニチ Sponichi Annex. (2018年8月21日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/08/21/kiji/20180821s00041000205000c.html 2018年12月19日閲覧。 
  8. ^ “三宅裕司、約1カ月ぶりのラジオ復帰「すっかり治り、元気になりました」”. SANSPO.COM. (2018年8月12日). https://www.sanspo.com/geino/news/20180812/geo18081209350015-n1.html 2018年12月16日閲覧。 
  9. ^ レレレの天才バカボン”. メディア芸術データベース. 2016年12月4日閲覧。

関連項目[編集]