三木屋

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三木屋
ホテル概要
正式名称 三木屋
部屋数 全16室
駐車場 16台
最寄駅 JR山陰本線 城崎温泉駅
最寄IC 山陰近畿道 佐津IC
山陰近畿道 京丹後大宮IC
北近畿豊岡道 日高神鍋高原IC
所在地 〒669-6101
兵庫県豊岡市城崎町湯島487
位置 北緯35度37分30.5秒
東経134度48分22.9秒
座標: 北緯35度37分30.5秒 東経134度48分22.9秒
公式サイト 公式サイト
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株式会社 三木屋
Mikiya
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
669-6101
兵庫県豊岡市城崎町湯島487
業種 サービス業
法人番号 4140001056214
事業内容 旅館業
代表者 代表取締役 片岡大介
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三木屋(みきや)は、兵庫県豊岡市城崎温泉にある旅館

概要[ソースを編集]

1580年天正8年)に羽柴秀吉播磨三木城(現在の兵庫県三木市)を落とした際(三木合戦)、但馬城崎まで落ち延びた城兵の子孫が、江戸時代元禄年間に旅館を始めたのが三木屋の起源と伝えられる[1]。宿の名は、三木の地とかつての主君に由来している[1]

1927年昭和2年)に竣工した東館(木造3階建)と西館(木造2階建)は、2013年平成25年)に大幅リニューアルされ、古い部分と新しい部分が混在しているものの、1925年大正14年)の北但馬地震後における城崎温泉復興期の姿をよく留めるものと評価され、2014年(平成26年)10月7日に国の登録有形文化財に登録されている[2][3]

なお、北但馬地震後の復旧工事中に三木屋が敷地内で掘り当てた泉源を内湯として使用したところ、それまで外湯を回る形態の温泉地であった城崎温泉において問題化し、1950年(昭和25年)に和解が成立するまで、20年近く司法の場で争うことになった(城崎温泉内湯訴訟事件[4])。

文豪の宿[ソースを編集]

1913年(大正2年)10月、同年8月15日夜に山手線の電車にはねられて重傷を負った志賀直哉が、療養のため三木屋に約3週間投宿した[1]。志賀はその間にいもりという3つの小動物の死を目撃し、この体験をもとに短編「城の崎にて」を執筆した(1917年(大正6年)5月『白樺』に発表)[1]

志賀は以後、小説の執筆や家族ないし白樺派の友人との旅行などで、昭和30年代までしばしば三木屋を利用した[1][5]。「城の崎にて」当時に彼が泊まった部屋は北但馬地震で失われたが[5]、1927年の再建以後に気に入って宿泊した26号室は、現在もそのままに残されており[5]、縁側からは『暗夜行路』に登場する庭園を眺められる[5]

出典[ソースを編集]

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  1. ^ a b c d e 三木屋について - 三木屋、2018年6月10日閲覧。
  2. ^ 三木屋東館 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2018年6月10日閲覧。
  3. ^ 三木屋西館 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2018年6月10日閲覧。
  4. ^ 内湯訴訟事件豊岡市役所城崎温泉課、2018年6月11日閲覧。
  5. ^ a b c d お部屋 - 志賀直哉ゆかりの客室 - 三木屋、2018年6月10日閲覧。

関連項目[ソースを編集]