三浦大輔

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三浦 大輔
横浜DeNAベイスターズ コーチ #18
20140316 Daisuke Miura, pitcher of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama Stadium.JPG
現役時代(当時40歳)
(2014年3月16日、横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 奈良県橿原市
生年月日 (1973-12-25) 1973年12月25日(44歳)
身長
体重
183 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト6位
初出場 1992年10月7日
最終出場 2016年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 横浜DeNAベイスターズ (2014 - 2016, 2019 - )
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2004年
オリンピック
男子 野球
2004 野球

三浦 大輔(みうら だいすけ、1973年12月25日 - )は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手投手)・コーチ。右投右打。愛称は「ハマの番長」。マネジメントはエイベックス・マネジメント[1]。引退後は、横浜DeNAベイスターズの球団スペシャルアドバイザー[2]を経て、2019年より1軍投手コーチを務める。また、日本中央競馬会登録の馬主でもある。

三浦は横浜大洋ホエールズへ入団した1992年以降、後継球団の横浜ベイスターズ・横浜DeNAベイスターズを通じて一貫して横浜でプレーしたフランチャイズ・プレイヤーである。また「NPBの現役最年長選手および、横浜大洋への在籍経験を持つ最後の選手」として迎えた2016年には「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録を達成し、同年シーズン限りで現役を引退した(詳細後述)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

橿原市立真菅北小学校時代、2人の弟[注 1]と共に「真北リトルズ」[3]で活躍する。幼少期は大阪市玉造で過ごし、実家の花屋の配達で岡田彰布宅を訪れた縁があり、地元でずば抜けた才能を持っていた三浦を当時から岡田は評価していた。横浜入団後の2008年に三浦が国内FA権の行使を宣言した際には、岡田がかつて在籍した阪神タイガースから横浜を上回る条件で移籍を打診された。

橿原中学校時代は「北大和シニア」に所属。

高田商業高校に進学。1991年の県大会は春・夏ともに決勝で谷口功一率いる天理高校に敗れ甲子園出場は叶わなかった。

1991年11月22日に行われたプロ野球ドラフト会議において、横浜大洋ホエールズから6位で指名され、入団。背番号は「46」。担当スカウトは高松延次[4]

横浜時代[編集]

1992年10月7日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム[注 2]に、3番手投手として一軍デビュー。「横浜大洋ホエールズ」としては最後の公式戦で、篠塚和典から三振を奪うなど打者6人を完璧に抑えた。

1993年9月4日の対広島東洋カープ戦(北九州市民球場)でプロ初勝利・初完投を記録。

1995年から先発ローテーションに加わって活躍し始め、1997年は自身9連勝などもあって初の二桁勝利を挙げる(10勝3敗)。7月29日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では5回まで無安打に抑える快投を見せるも、8回に代打を出されて無安打のまま降板した。

1998年には前年の活躍が認められ、背番号を以前から自身が希望していた「18」へ変更した。この年は安定感が増し、8月に肝機能障害で1ヶ月離脱するアクシデントはあったが自己最多となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。しかし西武ライオンズとの日本シリーズでは第3戦に先発したものの、球数を多く費やし6四球を出すなど苦しみ、序盤で降板して敗戦投手となっている。

2000年2001年はチームの生え抜き先発投手陣が不調や配置転換など苦しむ中で安定した成績を収め、押しも押されもせぬエースの座に君臨する。

2002年7月3日の対巨人戦で、投球中に右肘の違和感を訴えて途中降板、同年オフに欠けた骨を取り除く内視鏡手術を行った。また、契約更改では2003年から2008年までの6年契約を結んだ。

2003年は前年受けた手術の影響もあって春季キャンプは二軍スタートとなり、開幕も出遅れる。

2004年に行われたアテネオリンピックでは、日本代表に選ばれて銅メダルを獲得した。

2005年は2001年(11勝)以来となる二桁勝利(12勝)を挙げ、プロ14年目にして初のタイトル(最優秀防御率最多奪三振)を獲得し、4年ぶりのチームAクラス入りに貢献した。28試合中23試合で7イニング以上を投げ、21試合でQS達成(うちHQS16試合)、10完投と大活躍だった。

2006年野球規則委員会が「二段モーションなどは不正投球とする」という見解を示したことから、日本野球機構もこれを承認した[5]ことでフォーム改造を余儀なくされ、その影響からか前半は勝ち星に恵まれず8勝(12敗)に終わるも9完投、3完封、3無四球完投はいずれもリーグ最多であり、自己最多の216回2/3と、前年に続き二年連続で200イニング以上を投げた。また5月9日の楽天戦で通算100勝を達成した。

2007年6月20日から同年7月27日にかけて35イニング連続無失点を記録し、連続イニング無失点の球団記録を更新(それまでは平松政次の33回1/3)した。また、第9回ゴールデンスピリット賞を受賞している。

2008年オフにFA宣言し、阪神タイガースが獲得に動いたが「強いところを倒して優勝したい」「阪神にベイスターズを馬鹿にされた」[要出典]と残留を発表。

2009年は失点、被本塁打ともリーグ最多を記録したが、3戦連続を含む6完投もリーグ最多だった。2年ぶりの2ケタ勝利となる11勝を挙げた。

2010年11月23日、横浜スタジアム(36歳)

2010年は開幕前のオープン戦で振るわず開幕直前で2軍落ちとなった。その後1軍に復帰したが不安定な投球が多く3勝8敗と不振に陥り、1994年以来16年ぶりに投球回数が100イニングを下回った。この年のチームは開幕前の構想から外れた戦いを強いられたことでシーズン中盤までは粘ったが、後半は負け試合がさらに多くなり、3年連続最下位に終わってしまった中でも自身の不振は大きく響いた。

2011年7月10日の対中日戦(横浜スタジアム)に先発して勝利投手となり、19年連続勝利の球団記録を更新した。この年の三浦は開幕当初こそ二軍落ちする不本意な成績であったが、イースタン・リーグでの調整を通して全身を鍛えるために短距離ダッシュを繰り返すなど独自の練習で調整するなか、往年の球威と制球力を取戻して7月に昇格するとシーズン終了まで先発ローテーションを守り抜き、この年のチームで唯一の完投・完封を含む、チーム最多タイ(高崎健太郎と同数)の5勝をマークした。投球回数も規定投球回には達しなかったものの、2年ぶりに100イニングを超えるなど健在ぶりを発揮した。

2012年には、4月1日の対阪神戦(京セラドーム大阪)で勝利投手となり、横浜DeNAベイスターズとしての球団初勝利となった。7月4日の対巨人戦で、2005年8月23日以来となる2507日ぶりの巨人戦勝利となり、同時に通算150勝を達成した[注 3][6]。通算150勝を挙げて以降は調子を上げて前半戦は8勝をあげ、3年ぶりのオールスターゲームにも出場。チームトップの9勝をあげリーグ最多の6完投を記録した。

2013年には、6月12日の対ロッテ戦(QVCマリン)で3対0で完封勝利し、小山正明の39歳1カ月での球団最年長完封記録を39歳3カ月で更新するなど[7]チームトップの9勝をあげた。

2014年からは、投手として現役生活を続けながら一軍の投手コーチを兼任している[8]。この年には開幕から4連敗を喫したが、7月13日のヤクルト戦で一軍公式戦22年連続勝利(米田哲也に並ぶNPB歴代3位)を達成した[注 4]ことを皮切りに5連勝。チームの後半戦巻き返しに貢献した。8月は1完投を含む3勝0敗、セ・リーグ唯一の防御率1点台(1.20)の活躍で月間MVPに選ばれた[9]。シーズン通算では、5勝6敗と負け越しながら、チーム5位の投球回数を記録した。

2015年には5月5日の対ヤクルト戦で一軍でのシーズン初登板を果たすと、一軍公式戦23年連続勝利のNPB最長タイ記録(右投手としては新記録)を樹立。5月20日の同カードでは、一軍でのシーズン初安打を放ったことによって、一軍公式戦23年連続安打(NPBの投手新記録)を達成した。さらに5月27日の対オリックス戦にも勝利したことで、シーズン初登板からの一軍公式戦3連勝を記録した。三浦はセ・リーグの40代投手では初めて、パシフィック・リーグを含めたNPBの投手としても最年長の記録であった。シーズン終了後には、NPB最年長(50歳)の山本昌や同期入団の斎藤隆(45歳)など、年齢で41歳の自身を上回る8選手[注 5]が相次いで現役を引退[10]。三浦自身は、11月28日に投手兼任コーチとしての契約を更改したことによって、2016年シーズンにおけるNPBの現役最年長選手になった[11]

2016年には、7月11日の対中日戦(横浜)で先発投手としてシーズン初の一軍マウンドを経験。4回6失点という内容で敗戦投手になったが、2回裏の第1打席で一軍公式戦通算122本目の安打を放ったことによって一軍公式戦24年連続安打(野手を含めたNPB歴代4位タイ記録)を達成した[12]。さらにこの記録が「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録に認定されたため、三浦は8月22日に公式認定員から認定証が授与された[13]。同年は、一軍公式戦に登板しない期間も前年に続いて投手コーチとして一軍の遠征に帯同。遠征のない場合には、もっぱら二軍で投手としての調整を続けていた。

現役引退[編集]

2016年9月29日、横浜スタジアム(42歳)

2016年は若手の台頭により8月を終えても一軍登板は先述の1試合のみにとどまり、三浦も自身の中で引退を決意していた。9月16日の対阪神戦(甲子園)に先発投手としてシーズン2度目の一軍公式戦登板を果たすも、1回裏に福留孝介の本塁打で2点を失った末に4回1/3で降板し、シーズン2敗目を喫した。三浦はこの試合後に高田繁ゼネラルマネジャーへ現役引退を申し入れ、球団側も引退を了承した。チームが9月19日に球団史上初のクライマックスシリーズ進出を決めたことを受け、翌20日にシーズン限りでの引退を表明した。三浦は引退を決断した理由を「自分では勝てなくなったから」[14]と語り、引退後の進路について三浦は「現役(生活)からは卒業するが、野球からは卒業しないので、ずっと野球に関わっていたい」と述べた[15]

球団は、三浦が1998年から19年にわたって着用してきた背番号「18」を「横浜ナンバー」として「準永久欠番」にし[16]、着用にふさわしいとされる選手が現れた場合にのみ、球団と三浦による協議を経て継承を認めることを発表した[16]

三浦は本拠地の横浜スタジアムで行われた9月29日の2016年レギュラーシーズン最終戦に、先発投手として現役最後の登板に挑んだ[注 6]。この試合では、DeNAの全選手が三浦の背番号18を入れたユニフォームを着用し、試合前には三浦の長男による始球式が行われた[18]。 三浦はこの試合のスタメンとして一軍初出場を果たしたヤクルトのルーキー・廣岡大志初打席初本塁打となる3点本塁打を浴びるなど6回表終了時点で10失点を喫したが、アレックス・ラミレス監督の計らいもあってか6回裏には現役最後の打席に立ち(結果は中飛)、次イニングも続投を決意。7回表のマウンドに向かう際、捕手の髙城俊人から最後の対戦打者への直球一本勝負を提案され、イニング先頭の雄平から空振り三球三振を奪い降板となった。三浦も6回1/3で119球を投じ8三振を奪うも、12被安打10失点(自身初の2桁失点試合)という結果になった。

試合後に三浦の引退セレモニーが開催され、三浦は「今は最高に気分が良く、『できることなら、このまま時間が止まってくれればな』と思っています。でも、チームはやっとクライマックスシリーズに出られます。どんどんチームが変わってきて、苦しかった時を乗り越えて、やっと『横浜DeNAベイスターズ、いいチームになっただろ』とみんなに自慢できます」「横浜一筋で25年来られたのも、皆さんのおかげです。これからの人生も、横浜一筋で来られたことを誇りに頑張っていきます。今シーズンをもちまして現役を引退致しますけれども、これからも三浦大輔はずーっと横浜です。ヨ・ロ・シ・ク!」と挨拶し、チームメイトから三浦の背番号にちなみ、18回にわたって胴上げされた[19]。同時に、兼任していた一軍投手コーチも同時に退任する意向を引退試合の翌日(9月30日)に球団へ伝え退団を表明[20]2017年から2年間、TBSテレビテレビ神奈川の野球解説者、日刊スポーツの野球評論家としても活動しながら、退団後の2017年からは横浜DeNAのスペシャルアドバイザーに就任した[21]

スペシャルアドバイザー時代[編集]

先述の通り、2017年より就任したスペシャルアドバイザーとして球団の標榜する「横浜スポーツタウン構想」に対する地域活動への参加やアドバイスをするという役割を担うこととなり、「野球」、「横浜」、「横浜DeNAベイスターズ」の3つの軸を根幹として活動を展開している。

具体的な活動としては、野球教室の開催[22]や、MLBの視察などである。視察では、元チームメイトのスティーブン・ランドルフの紹介でアリゾナ・ダイヤモンドバックスマイク・ブッチャー投手コーチとの対談やメジャー、マイナー、ルーキーリーグなど試合を観戦した。また、ドーザー・パークで行われたセントルイス・カージナルス傘下組織のシングルAピオリア・チーフスの試合では、試合前に来賓として始球式を行った[23]

2018年も引き続き、同職として活動を継続していくことが発表された[2]

コーチ時代[編集]

2018年10月23日、2019年より一軍投手コーチとしての契約を結ぶことが発表された[24]。背番号は、「横浜ナンバー」として準永久欠番となっている「18[25]。コーチとしては、選手兼任だった2016年以来3年ぶり、5年目のシーズンとなる。

選手としての特徴[編集]

オーバースローから平均球速約139km/h[26]、最速148km/hのストレートと、カットボールスライダーフォークスローカーブシュートなどを投げ分ける技巧派。立浪和義は「カット系の小さいスライダーを覚えてから厄介な投手になった印象があります」[27]と、カットボールに着目した。90km/h以下のスローカーブは他の投手にない武器であり、主に緩急をつけるのに用いられている[28]

最大の武器は通算与四球率2.42の抜群の制球力で、2010年6月12日放送の『すぽると』における「1/100 この選手がすごい!投手編・コントロール部門」で1位に選出されている。2005年に最多奪三振のタイトルを獲得するなど三振を奪う能力も併せ持つ。豊富なスタミナを活かした完投能力も高く通算16回の無四球完投を記録、これは現役のNPB選手では最多である(2014年シーズン終了時)。また2012年にはセ・リーグ最多の6完投を記録したが、39歳シーズンでの最多完投は歴代最年長である。

2段モーションの先駆けかつ代表格だったが、2006年以降にボークに関する規定の厳格化(2段モーションの禁止)によって投球モーションの変更を余儀なくされた。

堅実なフィールディング[29]で、25年間3276投球回700守備機会でわずか9失策、守備率.987を記録している。

開幕カードでの成績[編集]

現役通算25年間で、開幕カード(同一対戦相手との3連戦のいずれか)には13試合登板した。しかし、開幕戦と2・3戦目では登板成績が大きく異なる。

開幕戦未勝利[編集]

開幕投手を務めた回数は7回で、球団歴代最多の平松政次(9回)に次ぐ2位。しかし、通算0勝7敗と全ての試合で敗戦投手になっている。さらに、開幕戦の7連敗は、2018年時点でNPB記録である[30][31]

試合日程 対戦チーム 球場 相手投手 試合結果 登板成績 備考
1999年4月2日 ヤクルト 横浜スタジアム 石井一久 ヤ 10-5 横 6.1回 打者27 被安6 自責4 防5.68 1-1の同点で迎えた7回に連打を浴びて降板。
この年は開幕から6連敗を経験し、6月20日の対ヤクルト14回戦で初勝利した。
2002年3月30日 広島 広島市民球場 佐々岡真司 横 1-2 広 7.2回 打者32 被安7 自責2 防2.35 6回無失点と好投するも、打線の援護に恵まれず、7回と8回での計2失点が響き敗戦。
2004年4月2日 ヤクルト 明治神宮野球場 ジェイソン・ベバリン 横 1-3 ヤ 7.0回 打者26 被安5 自責3 防3.86 6回3失点と奮闘するも、5安打1点と封じ込められた打線の援護がなく黒星。
2005年4月1日 中日 ナゴヤドーム 川上憲伸 横 0-4x 中 8.0回 打者33 被安4 自責4 防4.50 8回無失点と好投するも、9回裏にアレックス・オチョアにサヨナラ満塁本塁打を被弾。
2006年3月31日 巨人 東京ドーム 上原浩治 横 2-12 巨 4.0回 打者20 被安5 自責6 防13.50 初回に4失点、3回にも2失点と早々に巨人打線につかまり敗戦。
自身最短の開幕ノックアウトを喫してしまった上に、相手の上原にも完投勝利を許してしまった。
2007年3月30日 巨人 横浜スタジアム 内海哲也 巨 3-2 横 6.0回 打者28 被安8 自責3 防4.50 高橋由伸開幕戦初球先頭打者本塁打[32]を許すと、その後も打線の援護がなく敗戦。
2009年4月3日 中日 ナゴヤドーム 浅尾拓也 横 1-4 中 7.0回 打者26 被安5 自責4 防5.14 2年ぶりに開幕投手となるが、和田一浩に2本塁打を喫するなど7回4失点。
これによって開幕投手7連敗となり、東尾修を抜いてプロ野球記録となった。
通算:7試合 7試合:0勝7敗
46.0回 打者192 被安40 自責26 防5.09

2010年の開幕はキャンプの段階で指名されていたが、三浦が調整遅れのためスティーブン・ランドルフが務めた。

開幕2・3戦目での全勝利[編集]

上述の通り、開幕試合の登板では7連敗を喫しているが、チームの開幕2・3戦目に登板した全6試合では全て勝利しており、開幕カードにおいて唯一開幕戦のみが未勝利だった。

試合日程 対戦チーム 球場 開幕投手 試合結果 登板成績 備考
1996年4月6日 ヤクルト(第2回戦) 明治神宮野球場 盛田幸希 横 5-1 ヤ 9.0回 打者33 被安8 自責1 防1.00 初の開幕2戦目登板。被安打8と打ち込まれるも、大崩れすることなく1失点で完投勝利。
1998年4月4日 阪神(第2回戦) 横浜スタジアム 川村丈夫 神 2-4 横 6.1回 打者28 被安7 自責1 防1.42 立ち上がりが悪かったものの、ホセ・マラベがの援護猛打賞で3打点で大活躍し、後続が抑えて勝利。
2000年4月2日 阪神(第3回戦) 横浜スタジアム 川村丈夫 神 2-10 横 7.0回 打者29 被安4 自責2 防2.57 初の開幕3戦目登板となり、初回に味方が4点を先制するなど大量点差を守って勝利。
2001年4月1日 ヤクルト(第2回戦) 横浜スタジアム 小宮山悟 ヤ 0-3 横 8.0回 打者29 被安5 自責0 防0.00 8回無失点の好投で、後続が完封リレーでつなぎ勝利。
2012年4月1日 阪神(第3回戦) 京セラドーム大阪 高崎健太郎 De 6-2 神 7.0回 打者28 被安6 自責2 防2.57 球団名がDeNAになってから初の開幕カード登板となり、DeNAの球団初勝利を飾ることになった。
2013年3月30日 中日(第2回戦) ナゴヤドーム 藤井秀悟 De 4-2 中 7.0回 打者26 被安5 自責2 防2.57 現役生活において、最後の開幕カード登板となった。
通算:6試合
(開幕2戦目:4試合、開幕3戦目:2試合)
6試合:6勝0敗
44.1回 打者173 被安35 自責8 防1.62

対戦チーム別勝敗[編集]

阪神タイガース戦に滅法強く、通算46勝32敗と大幅に勝ち越した。一方で読売ジャイアンツ戦に13勝39敗と大の苦手にしており、2005年8月23日に勝利投手となってから2012年7月4日に通算150勝を達成するまで勝利できなかった。

またセ・パ交流戦では通算17勝23敗だが、福岡ソフトバンクホークス戦が0勝6敗であり、他5チーム合計では17勝17敗の5割である。

対セ・リーグ[編集]

対戦チーム 巨人 ヤクルト 中日 阪神 広島
勝敗 13勝39敗 34勝38敗 32勝30敗 46勝32敗 30勝22敗 155勝161敗
勝ち越し -26 -4 2 14 8 -6
勝率 .250 .472 .516 .590 .577 .491
  • 青文字は最良、赤文字は最悪

対パ・リーグ[編集]

対戦チーム 日本ハム 楽天 西武 ロッテ オリックス ソフトバンク
勝敗 4勝2敗 2勝3敗 3勝5敗 5勝3敗 3勝4敗 0勝6敗 17勝23敗
勝ち越し 2 -1 -2 2 -1 -6 -6
勝率 .667 .400 .375 .625 .429 .000 .425
  • 青文字は最良、赤文字は最悪

通算[編集]

対戦チーム 巨人 ヤクルト 中日 阪神 広島 日本ハム 楽天 西武 ロッテ オリックス ソフトバンク
勝敗 13勝39敗 34勝38敗 32勝30敗 46勝32敗 30勝22敗 4勝2敗 2勝3敗 3勝5敗 5勝3敗 3勝4敗 0勝6敗 172勝184敗
勝ち越し -26 -4 2 14 12 2 -1 -2 2 -1 -6 -12
勝率 .250 .472 .516 .590 .577 .667 .400 .375 .625 .429 .000 .483
  • 青文字は最良、赤文字は最悪

人物・エピソード[編集]

三浦が入団した1992年から2015年シーズン終了時点までに、球団名が横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと変化しているが、三浦は「その3球団全てに在籍したことがある」「横浜ベイスターズ期間中(1993年 - 2011年)に一度も移籍したことがない」唯一の選手であった。また、2015年・2016年シーズンには、「横浜球団時代の1998年にセ・リーグ優勝を経験した唯一の生え抜き選手」として現役生活を続けた[注 7]

2015年シーズンまでは、横浜大洋時代に入団した選手のうち、三浦・斎藤・谷繁元信(1989年ドラフト1位)がNPBで現役生活を続けていた。しかし、斎藤・谷繁が同年限りで現役を引退したため、2016年シーズンは三浦が横浜大洋時代を知る最後の現役選手となった[33]

先発した試合で最小失点に抑えていても、味方打線の沈黙によって敗戦投手になるケースが多い。2005年はチームが記録した7引分のうち5試合に先発登板しているが、その中には両チームの完封リレーによって0-0で引き分けた試合(4月15日の広島戦、相手先発投手は黒田博樹)も存在したほか、7回2失点以内に抑えて勝利投手になれなかった試合も9試合存在する。しかし、そのような試合でも「打たれた自分が悪い」と決して他人に責任を押し付けず、打線を擁護するコメントを出している。

リーゼントの髪型がトレードマークで、通称「ハマの番長」と評される。現役引退会見にもリーゼント姿で登場し、「現役から卒業しても、リーゼントの髪型をできる限り続けたい」との意向を示した[34]

矢沢永吉の大ファン。リーゼントの髪型は矢沢からの影響で、プロに入ってすぐ矢沢の自伝『成りあがり』を読みポマードを買って髪を固めた。シーズンオフはジャケットに身を包み、タオルを首に巻いて矢沢の日本武道館でのコンサートに足を運ぶ。数年前から長男も連れて行っているという[35]。2016年の引退試合後に行われたセレモニーでは、矢沢本人からのVTRメッセージが流された。

プロレス関係者との交流が深い。1998年1月4日に東京ドームで行われた新日本プロレスの「FINAL POWER HALL in 闘強導夢」の第8試合、蝶野正洋越中詩郎戦ではnWoジャパン構成員として、鈴木尚典と共に蝶野のセコンドに付いた。2002年には魔界倶楽部総裁の星野勘太郎から「魔界18号」と命名されている。また、親交の深かった橋本真也が2005年に急逝した直後の7月13日の広島戦(横浜スタジアム)では橋本の入場テーマ「爆勝宣言」でマウンドに上がって見事完封勝利を収め、ヒーローインタビューで涙を流した。2009年10月12日に両国国技館で行われた蝶野の25周年記念大会にも足を運び、大会終了後には蝶野、そして武藤敬司とのスリーショット写真を自身のブログにアップしている。2015年2月27日の春季キャンプ終了後には新日本プロレスの沖縄県立武道館大会を観戦し、大会終了後には天山広吉との2ショット写真に収まり、天山が自身のTwitter上でその写真をアップしたツイートを投稿した。

自身のブログには、三浦自身が見つけたものや見かけたもの(モニュメント、花、景色)や季節、チームメイトの山口俊牛田成樹加賀繁やトレーナー、裏方などといった三浦と交流がある人物、本拠地である横浜スタジアムの様子、自身が出演するメディアの情報、さらには飼っている2匹の犬(「ラブ」と「シュガー」と名づけている)の様子などが原則1日1回のペースで更新されている。ブログに載せている写真はほぼ全て自ら撮影しているため、常に右端の同じ位置でフレームインしている。登板した試合で勝利投手となった日は、既にブログを更新している場合でも勝利を表す白星(☆)を1個ずつシーズン勝利数の分だけ積み重ねて再度更新するなど、ファンとの交流を非常に大切にしている。

トマトが嫌いである。

馬主として[編集]

2011年には現役の野球選手として初めて競走馬「リーゼントブルース」を所有することとなり、日本中央競馬会の馬主登録も行った。

その後も所有馬を増やし続け、2018年現在で「リーゼントブルース」、「リーゼントロック」、「リーゼントシャルフ」、「リーゼントアイリス」、「リーゼントフォルテ」の5頭を所有している[36][37]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1992 大洋
横浜
DeNA
1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 2.0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.00
1993 15 8 1 0 0 3 3 0 -- .500 255 60.1 60 4 21 1 2 61 2 0 23 23 3.43 1.34
1994 17 6 1 1 0 2 2 0 -- .500 228 47.2 61 2 25 0 0 35 2 1 27 23 4.34 1.80
1995 25 22 3 0 1 8 8 0 -- .500 619 147.2 131 17 52 5 4 107 5 0 66 64 3.90 1.24
1996 34 21 4 0 0 5 10 0 -- .333 582 131.1 151 17 55 1 1 101 0 0 82 72 4.93 1.57
1997 26 22 4 1 1 10 3 0 -- .769 578 142.1 113 9 51 1 3 129 4 1 54 53 3.35 1.15
1998 25 24 2 1 0 12 7 0 -- .631 656 158.2 138 12 60 3 3 119 4 0 64 56 3.18 1.25
1999 30 25 4 3 1 9 10 0 -- .473 729 175.0 174 22 51 1 2 130 2 0 92 83 4.27 1.29
2000 24 24 4 0 1 11 6 0 -- .647 665 164.2 154 22 32 0 3 122 3 0 64 59 3.22 1.15
2001 26 25 5 2 0 11 6 0 -- .647 673 168.2 137 14 53 6 2 135 1 0 56 54 2.88 1.13
2002 19 18 4 2 2 4 10 0 -- .285 488 119.2 108 12 28 6 2 100 1 0 46 43 3.23 1.14
2003 15 15 1 0 0 5 5 0 -- .500 420 101.1 94 18 21 3 5 82 1 0 48 46 4.09 1.13
2004 22 22 1 0 1 6 8 0 -- .428 618 144.0 158 17 33 0 5 135 7 0 69 68 4.25 1.33
2005 28 28 10 2 3 12 9 0 0 .571 856 214.2 168 20 52 2 4 177 4 0 68 60 2.52 1.02
2006 30 30 9 3 3 8 12 0 0 .400 912 216.2 227 19 44 5 5 160 3 0 94 83 3.44 1.25
2007 28 28 4 3 0 11 13 0 0 .458 793 185.1 184 15 51 3 7 159 5 0 74 63 3.06 1.27
2008 21 21 4 1 1 7 10 0 0 .412 589 144.0 137 22 29 0 4 111 4 0 63 57 3.56 1.15
2009 28 28 6 1 0 11 11 0 0 .500 799 195.1 175 28 37 1 4 138 2 0 82 72 3.32 1.09
2010 16 16 0 0 0 3 8 0 0 .273 365 79.2 108 12 23 3 4 58 2 0 67 64 7.23 1.64
2011 18 18 2 1 0 5 6 0 0 .455 463 111.1 96 9 31 2 7 74 1 0 39 36 2.91 1.14
2012 25 25 6 1 1 9 9 0 0 .500 738 182.2 160 15 48 4 3 107 4 0 61 58 2.86 1.14
2013 27 27 2 1 0 9 13 0 0 .409 731 175.2 181 26 33 0 1 109 5 0 88 77 3.94 1.22
2014 15 15 1 0 1 5 6 0 0 .455 403 94.2 99 14 23 2 4 55 3 0 38 32 3.04 1.29
2015 17 17 0 0 0 6 6 0 0 .500 416 98.0 103 9 25 0 1 62 5 0 47 45 4.13 1.31
2016 3 3 0 0 0 0 3 0 0 .000 75 14.2 29 3 4 0 0 14 0 0 18 18 11.05 2.25
通算:25年 535 488 78 23 16 172 184 0 0 .483 13657 3276.0 3146 358 882 49 76 2481 70 2 1430 1309 3.60 1.23
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]





投手












1992 大洋
横浜
DeNA
1 0 0 0 0 -
1993 15 3 6 0 0 1.000
1994 17 2 10 1 0 .923
1995 25 10 24 1 2 .971
1996 34 9 21 1 4 .968
1997 26 5 18 0 2 1.000
1998 25 5 18 0 1 1.000
1999 30 4 25 0 2 1.000
2000 24 11 15 1 0 .963
2001 26 7 29 1 5 .973
2002 19 6 17 1 0 .958
2003 15 4 13 0 2 1.000
2004 22 6 28 0 1 1.000
2005 28 8 24 1 2 .970
2006 30 6 49 0 2 1.000
2007 28 7 36 1 1 .977
2008 21 3 18 0 0 1.000
2009 28 12 43 0 1 1.000
2010 16 6 18 0 1 1.000
2011 18 6 22 1 4 .966
2012 25 8 49 0 3 1.000
2013 27 8 39 0 1 1.000
2014 15 4 12 0 0 1.000
2015 17 2 14 0 0 1.000
2016 3 0 1 0 1 1.000
通算:25年 535 142 549 9 35 .987

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000投球回:2000年9月10日、対広島東洋カープ24回戦(横浜スタジアム)、1回表2死目に東出輝裕を右飛で達成 ※史上284人目
  • 1000奪三振:2002年6月6日、対ヤクルトスワローズ8回戦(横浜スタジアム)、2回表に坂元弥太郎から ※史上109人目
  • 1500投球回:2004年6月19日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、2回裏1死目にアレックス・オチョアを三振で達成 ※史上152人目
  • 100勝:2006年5月9日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(横浜スタジアム)、先発で8回2失点 ※史上119人目
  • 1500奪三振:2006年6月18日、対西武ライオンズ6回戦(インボイスSEIBUドーム)、6回裏に和田一浩から ※史上47人目
  • 2000投球回:2007年3月30日、対読売ジャイアンツ1回戦(横浜スタジアム)、6回表1死目に小坂誠を投ゴロで達成 ※史上82人目
  • 2500投球回:2009年9月21日、対阪神タイガース22回戦(横浜スタジアム)、2回表2死目に安藤優也を捕邪飛で達成 ※史上44人目
  • 2000奪三振:2009年10月3日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、4回表に堂上剛裕から ※史上19人目
  • 150敗:2012年6月17日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(福岡ドーム)、8回1失点で完投敗 ※史上27人目
  • 150勝:2012年7月4日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、7回3失点6奪三振 ※史上47人目
  • 3000投球回:2013年7月24日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、5回裏2死目に谷繁元信を一邪飛で達成 ※史上27人目
  • 500試合登板:2013年10月5日、対中日ドラゴンズ24回戦(ナゴヤドーム)で先発登板、9回3失点で勝敗つかず(自責点0) ※史上91人目
その他の記録

背番号[編集]

  • 46 (1992年 - 1997年)
  • 18 (1998年 - 2016年、2019年 - )
    • 17 (2004年アテネ五輪)

登場曲[編集]

  • 「リーゼントブルース」RIKI(マウンド)
  • 「サイコーなRock You!」矢沢永吉(打席)

出演作品[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

三浦の地元・大阪市に本社のある毎日放送では、毎年のシーズンオフ(11月中旬 - 12月下旬)に、三浦が半日がかりで複数のテレビ・ラジオ番組へゲストで出演することが2005年頃から恒例になっている[注 10]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

PV[編集]

ライヴ[編集]

  • L'Arc〜en〜Ciel 「20th L'Anniversary Live」(ライヴ途中のCMで、"祝・20周年"と書かれたボールを手に映像で登場)

CM[編集]

著書[編集]

  • 横浜ベイスターズ三浦大輔の心・技・体(ベースボール・マガジン社、2006年11月) ISBN 4-583-61424-1
  • 打てるもんなら打ってみろ!(ロングセラーズ、2008年6月) ISBN 4-8454-2119-4
  • 逆境での闘い方 ~折れない心をつくるために~(大和書房、2012年11月) ISBN 4-479-79368-2
  • 踏み出せば何かが変わる(青志社、2018年1月) ISBN 4-865-90058-6

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 長弟は演劇集団キャラメルボックスに所属する三浦剛で、大輔が2004年のアテネオリンピックに出場した際には、当時キャラメルボックスで上演されていた公演グッズであるタオルマフラーを使用していた。また、大輔のラジオ番組に兄弟で共演を果たしたほか、剛はプロ野球の始球式で投げたことがある。末弟は、地元・橿原でカイロプラクティック[1]を経営している。
  2. ^ この試合は遠藤一彦の引退登板でもあった。
  3. ^ 三浦はこの時点で通算151敗を記録しており、150勝到達時点で負け星が先行したのは東尾修(170敗)、坂井勝二(157敗)、米田哲也(152敗)に次いで史上4人目。
  4. ^ 歴代1位は工藤公康山本昌(23年)。
  5. ^ 山本・斎藤以外に、中嶋聡谷繁元信和田一浩西口文也谷佳知小笠原道大の6選手(年齢順に記載)が該当。
  6. ^ 当初は9月24日の対読売ジャイアンツ戦を予定していたが、9月22日雨天中止分の対東京ヤクルトスワローズ第25回戦が9月29日に組み込まれたため、29日の同カードに変更された[17]
  7. ^ 他球団在籍者では相川亮二多村仁鶴岡一成も1998年に横浜に在籍しているが、この年に一軍出場は無かった。鶴岡と多村は2016年、相川も2017年限りで引退した。
  8. ^ 投手としては歴代1位。
  9. ^ 25年以上は、谷繁元信の27年、野村克也山崎武司の25年。
  10. ^ 2012年時点での主な出演番組は『痛快!明石家電視台』『ちちんぷいぷい』(いずれもMBSテレビ)『上泉雄一のええなぁ!』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』(いずれもMBSラジオの生ワイド番組)。出演が続いている背景には、ベイスターズファンの新堂裕彦(毎日放送テレビ制作部プロデューサー、以前はラジオプロデューサーとして『上泉雄一のええなぁ!』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』を担当)が、長年にわたって三浦と親しくしていることなどが挙げられる(両者が複数の番組で証言)。

出典[編集]

  1. ^ 三浦大輔 - avex management Web
  2. ^ a b 三浦大輔氏の横浜DeNAベイスターズ『スペシャルアドバイザー』を2018年も継続
  3. ^ 三浦投手の出身チームは真北(マスキタ)リトルズ!!
  4. ^ 週刊ベースボール2018年11月5日号、激動の平成ドラフト史、時代の証言者、三浦大輔、17頁
  5. ^ 投球モーションについて -NPBからのお知らせ-
  6. ^ 三浦150勝!2507日ぶりG倒で金字塔[リンク切れ]
  7. ^ “39歳5カ月の三浦 球団最年長完封「我慢して低く低く」”. スポーツニッポン. (2013年6月12日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/06/12/kiji/K20130612005998300.html 
  8. ^ DeNA 三浦 現状維持も来季から投手コーチ兼任「アドバイスができれば」スポーツニッポン2013年12月12日配信
  9. ^ 週刊ベースボール」(ベースボール・マガジン社) 2014年9月29日号 52頁
  10. ^ “DeNA三浦1000万減 来季も投手コーチを兼任”. 日刊スポーツ. (2015年11月28日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1572598.html 
  11. ^ “DeNA三浦1億2500万円 来季球界最年長も「ピンとこない」”. スポーツニッポン. (2015年11月28日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/28/kiji/K20151128011592130.html 
  12. ^ “DeNA三浦大輔24年連続安打、大島に並んで4位”. 日刊スポーツ. (2016年7月12日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1677139.html 
  13. ^ DeNA三浦大輔が安打の記録でギネス認定 投手による24年連続安打,デイリースポーツ,2016年8月22日
  14. ^ “【DeNA】三浦大輔、今季限りで現役引退「感謝の気持ちでいっぱい」”. スポーツニッポン. (2016年9月20日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/20/kiji/K20160920013391580.html 2016年9月20日閲覧。 
  15. ^ “DeNA三浦大輔、引退会見もリーゼント 辞める理由は「勝てなくなったから」”. Sportsnavi. (2016年9月20日). http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201609200007-spnavi 2016年9月21日閲覧。 
  16. ^ a b “【DeNA】引退・番長の背番号18は「横浜ナンバー」の準永久欠番に”. スポーツ報知. (2016年9月20日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160920-OHT1T50072.html 2016年9月20日閲覧。 [リンク切れ]
  17. ^ “DeNA全選手が背番18に 24日ハマスタ最終戦、三浦の引退記念し”. スポーツニッポン. (2016年9月21日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/21/kiji/K20160921013397560.html 2016年9月21日閲覧。 
  18. ^ ““ハマの番長”三浦大輔、涙のラスト登板 7回途中10失点 自ら安打も”. スポーツニッポン. (2016年9月29日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/29/kiji/K20160929013446350.html 2016年9月30日閲覧。 
  19. ^ “DeNA三浦7回途中涙の降板、あいさつ全文/詳細”. 日刊スポーツ. (2016年9月29日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1717250.html 2016年9月30日閲覧。 
  20. ^ “ベイスターズ・三浦退団へ コーチも今季限り”. 神奈川新聞. (2016年10月1日). http://www.kanaloco.jp/article/202838 2016年10月6日閲覧。 
  21. ^ “三浦大輔氏がDeNAスペシャルアドバイザーに就任!「違う角度から」”. (2016年10月1日). http://baseballking.jp/ns/101871 2017年4月20日閲覧。 
  22. ^ スペシャルアドバイザー三浦大輔氏による野球ふれあい体験&野球教室 - 関内新聞 2017年5月13日
  23. ^ ハマの番長、アメリカへ行く。 (YOKOHAMA DeNA BAYSTARS CHANNEL)
  24. ^ 2019年シーズン コーチ契約について(2018年10月26日閲覧)
  25. ^ 2019年シーズン コーチングスタッフ決定(2018年10月26日閲覧)
  26. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、176頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
  27. ^ “三浦大輔投手の抜群の駆け引きの巧さ”. 週刊ベースボールONLINE. (2016年10月17日). http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=095-20161024-01 2016年12月1日閲覧。 
  28. ^ 原監督「あのテクはまねできない」 nikkansports.com 2013年7月20日
  29. ^ DeNA三浦は守備名人 23年、3132回2/3でわずか9失策 2014年8月26日 スポニチ
  30. ^ 【4月3日】2009年(平21) ついに新記録 三浦大輔 開幕戦7連敗 2012年12月5日閲覧。
  31. ^ “ハマの番長の7連敗から12連続の阪急山田まで 栄光と挫折の開幕投手列伝!”. ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93. (2018年3月19日). http://www.1242.com/lf/articles/95511/?cat=sports&pg=asa 
  32. ^ セ・リーグ史上初、1962年衆樹資宏阪急)以来45年ぶり。
  33. ^ “番長改めレジェンド?De三浦最年長に”. デイリースポーツ. (2015年9月30日). http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2015/09/30/0008444208.shtml 2015年10月12日閲覧。 
  34. ^ “DeNA三浦が引退発表で涙 24年連続勝利へ意欲、リーゼントは「卒業しない」”. full-count. (2016年9月20日). http://full-count.jp/2016/09/20/post46185/ 2016年9月21日閲覧。 
  35. ^ “二宮清純レポート 三浦大輔 38歳・横浜DeNAベイスターズ 男はいかにして「成りあがる」べきか”. 週刊現代. (2012年8月30日). http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32848?page=7 2013年9月15日閲覧。 
  36. ^ 2018年10月現在、現役馬は「リーゼントロック」と「リーゼントアイリス」の2頭のみ
  37. ^ 所有馬一覧|三浦 大輔の馬主情報 | 競馬ラボ
  38. ^ 神奈川新聞、1992年10月8日。
  39. ^ 神奈川新聞、1992年10月7日。
  40. ^ 神奈川新聞、1993年8月2日。
  41. ^ 神奈川新聞、1993年9月5日。
  42. ^ 神奈川新聞、1994年5月23日。
  43. ^ “DeNA三浦24年連続安打も6失点「申し訳ない」”. 日刊スポーツ. (2016年7月11日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1676997.html 
  44. ^ “三浦大輔氏、NHKドラマに初出演 “ハマの店長”役に「これも一つのいい経験」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2018年2月27日). https://www.oricon.co.jp/news/2106481/full/ 2018年5月15日閲覧。 

関連項目[編集]