三浦正子

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三浦 正子(みうら まさつね/まさつぐ[1]元文5年(1740年) - 寛政11年(1799年)11月)は、江戸時代中期の旗本。通称、嘉根吉、甚五郎。官位は従五位下伊勢守。朝比奈泰見の次男。妻は小川保則の娘[1]。  

来歴[編集]

三浦正範の末期養子となり、寛延3年(1750年)11月2日に遺跡を継ぐ。天明5年(1785年)5月12日、西城小姓組組頭となる。天明7年(1787年)10月26日、西城目付となり[1][2]、同8年(1788年)10月19日に奈良奉行となり、12月1日に従五位下伊勢守に叙任される。寛政3年(1791年)12月23日、京都西町奉行に就任。町方の借家貸引下げを行う[3]。寛政11年(1799年)在任中に没した。

注釈[編集]

  1. ^ a b c 寛政重修諸家譜』巻第五百二十二
  2. ^ 続徳川実紀』天明7年11月
  3. ^ 『京都大事典』869p

参考文献[編集]

  • 『京都市姓氏歴史人物大辞典』(京都市姓氏歴史人物大辞典編集委員会、1997年) ISBN 4-04-002260-2
  • 『京都大事典』(佐和隆研・ 奈良本辰也・吉田光邦著、淡交社社、1984年) ISBN 4-473-00885-1