三菱日立パワーシステムズ硬式野球部

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三菱日立パワーシステムズ硬式野球部
チーム名(通称) 三菱日立パワーシステムズ、MHPS、三菱日立PS
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム(2001年途中~2008年途中までクラブチーム
創部 1971年
チーム名の遍歴
  • 三菱重工横浜 (1971 - 2001)
  • 三菱重工横浜硬式野球クラブ (2001 - 2008)
  • 三菱重工横浜 (2008 - 2013)
  • 三菱日立パワーシステムズ横浜 (2014 - 2016)
  • 三菱日立パワーシステムズ (2017 - )
本拠地自治体
練習グラウンド 三菱金沢グラウンド(横浜市金沢区
チームカラー 紺色、灰色、赤色
監督 後藤隆之
都市対抗野球大会
出場回数 8回
最近の出場 2017年
最高成績 4強
社会人野球日本選手権大会
出場回数 5回
最近の出場 2012年
最高成績 4強
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

三菱日立パワーシステムズ硬式野球部(みつびしひたちパワーシステムズこうしきやきゅうぶ)は、神奈川県横浜市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。

運営母体は、三菱日立パワーシステムズ

概要[編集]

1971年三菱重工業横浜製作所で『三菱重工横浜硬式野球部』として創部。

1988年都市対抗野球に、1993年日本選手権にそれぞれ初出場した。

2001年のシーズン途中、三菱重工業本社のスポーツ支援体制見直しに伴いクラブチーム化し、チーム名を『三菱重工横浜硬式野球クラブ』に改称した。クラブ化にはなったが、2004年2005年の都市対抗野球神奈川2次予選では新日本石油ENEOSに競り勝ち、本戦出場を2年連続で阻むなど、その後も企業チームと匹敵する力を維持した。

2006年に廃部の危機を乗り越え、2007年にはチームとして14年ぶり2度目、クラブ化してからは初となる日本選手権出場を果たした。

2008年都市対抗野球神奈川2次予選で敗退後、同年7月に企業チームへの再登録を果たし、チーム名も再び『三菱重工横浜硬式野球部』に改称した[1]

2009年都市対抗野球神奈川2次予選では、第1代表決定戦で日産自動車に引き分け再試合を経ての激戦を制し、13年ぶりの本戦出場を決めた。

2014年2月1日に三菱重工業と日立製作所の火力発電システム事業統合により新たに三菱日立パワーシステムズが設立され、今後は同社の硬式野球部として活動することとなり、登録を引き継ぎチーム名を『三菱日立パワーシステムズ横浜硬式野球部』に改称した[2]

2016年11月、同年シーズンをもって三菱重工長崎硬式野球部と統合することを発表[3]2017年から、チーム名から横浜が消えた『三菱日立パワーシステムズ硬式野球部』に改称し、新たに始動した[3][4]

沿革[編集]

  • 1971年 - 『三菱重工横浜』として創部。
  • 1988年 - 都市対抗野球に初出場(8強)。
  • 1993年 - 日本選手権に初出場(1回戦敗退)。
  • 2001年 - シーズン途中にクラブチームへと登録種別が変更となり、チーム名を『三菱重工横浜硬式野球クラブ』に改称。
  • 2008年 - シーズン途中に企業チームへと登録種別が変更となり、チーム名を再び『三菱重工横浜』に改称。
  • 2014年 - 母体の変更に伴い、チーム名を『三菱日立パワーシステムズ横浜』に改称。
  • 2017年 - 三菱重工長崎を統合し、チーム名を『三菱日立パワーシステムズ』に改称。

練習場[編集]

神奈川県横浜市金沢区福浦3-1

主要大会の出場歴・最高成績[編集]

主な出身プロ野球選手[編集]

元プロ野球選手の競技者登録[編集]

かつて在籍していた選手[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 三菱重工長崎との統合による移籍。

脚注[編集]

  1. ^ チーム情報 2008年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2017年3月25日閲覧。
  2. ^ チーム情報 2014年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2017年3月25日閲覧。
  3. ^ a b 新生「三菱日立パワーシステムズ硬式野球部」(横浜市)を発足 三菱重工長崎硬式野球部とMHPS横浜硬式野球部を統合して戦力強化へ”. 三菱日立パワーシステムズ横浜硬式野球部 (2016年11月15日). 2017年3月12日閲覧。
  4. ^ チーム情報 2017年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2017年3月25日閲覧。

関連項目[編集]