三角縁神獣鏡

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三角縁同向式神獣鏡 「□始元年」(正始元年)在銘 群馬県高崎市蟹沢古墳出土 東京国立博物館蔵 重要文化財
三角縁三神三獣鏡(三仏三獣鏡) 奈良県広陵町・新山古墳出土 宮内庁蔵(東京国立博物館展示)

三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう[1][2]、さんかくぶちしんじゅうきょう[3])は、銅鏡の形式の一種で、縁部の断面形状が三角形状となった大型神獣鏡

概要[編集]

銅鏡はこれまでに弥生時代中期後半の遺跡から古墳時代の墳墓に至るまでおよそ4000面以上が発掘され[4]、このうち三角縁神獣鏡に分類される銅鏡は330面[疑問点]を越えて日本で出土した鏡の中では最も数が多いが[5]、正確な出土状況や出土分布を正確に把握した資料が少ない。

日本の古墳時代前期の古墳から多く発掘され、面径は平均20センチ程度。鏡背に神獣(神像と霊獣)が鋳出され、中国、の年号を銘文中に含むものは2点発掘されている。

縁が三角になっている理由としては、ほとんどが凸面鏡であるため三角縁にすると構造上作りやすいため、あるいは、神聖な場所を囲む瑞垣をまねた、などの説がある。中国では神獣鏡でない三角縁の銅鏡が2世紀 - 3世紀の時代に紹興近辺で出土した例しかなく、朝鮮半島においても三角縁神獣鏡の出土はまったくない。

日本で三角縁神獣鏡があらわれる前の3世紀前葉には、神獣鏡類の画文帯神獣鏡と呼ばれる中国鏡が畿内を中心に出土している。これらの図画意匠を鏡裏に施した銅鏡を「画像鏡」というが、日本へもたらされた画文帯神獣鏡などの画像鏡の意匠を巧妙に変更して国内で量産したもの、という説がある。

三角縁神獣鏡の研究は1990年代以降に加速度的に数を増す一方で論点も膨大になり、それぞれの見解について誤解や齟齬が生まれ、また卑弥呼邪馬台国論と安易かつ煽情的に結び付けられ、マスコミを巻きこんで混乱を極めている状況である[6]。 ゆえに基本的事項についても多数の説があり意見の一致をみていない。

三角縁神獣鏡の特徴[編集]

定義[編集]

三角縁神獣鏡を定義することは難しいが、樋口隆康は以下の6条件を備えた鏡とする[7]

  • 径20㎝を超える大型品が多い。
  • 縁の断面が三角形。
  • 外区は鋸歯文(きょしもん)帯・複線波文(ふくせんはもん)帯・鋸歯文帯からなる。
  • 内区外周に、銘帯・獣帯・唐草文帯・波文帯・鋸歯文帯・半円方形帯のいずれかが配される。
  • 内区主文区には4ないし6個の小乳(円錐もしくは半球状の突起)により等間隔に区分され、その間に神像と瑞獣を求心もしくは同方向に配置する。
  • 銘帯に施される銘文は七字句数種と四字句一種がある。

以上を満たすものを中国製あるいは舶載製を称する[8]
一方でこれに属さない仿製(日本列島での模作)とされる鏡もあり、富岡謙蔵は以下の4つの判断基準を挙げている[9]

  • 文様がぼんやりして、時に簡略化や無意味になってしまっている
  • 文様が本来の意味を失っている
  • 銘文が文字を欠いたり記号的に扱われている
  • 周縁に鈴を取り付けるもの

以上を三角縁神獣鏡と総称し、2010年時点で中国製は約430面、仿製は約130面を数え[8]、同時代の遺物としては、土器などの日用品を除くと際立って数が多いといえる[10]。ただしこれらの定義にも異論は多く、定義が異なれば当然数も異なってくることに注意が必要である。たとえば森浩一は龍虎を描いた三角縁盤龍鏡を三角縁神獣鏡に含めることを批判している[11]
なお、名称は後藤守一が三角縁式神獣鏡とし、その後梅原末治が三角縁神獣鏡と称したことが一般化した[12]

その他の特徴[編集]

  • 畿内を中心に広い範囲から出土
  • 主に古墳時代前期の古墳から出土
  • 同笵鏡(同じ鋳型もしくは原型から作成された鏡)が多い
  • 早くから中国製という説が唱えられたが、中国に出土例がない

また、三角縁神獣鏡の研究を通じて以下の事象を解明する可能性がある。

  • 古墳時代の物流
  • 古代国家形成と政治的背景
  • 古墳築造の実年代
  • 仏教伝来の実年代
  • 古代東アジア社会との交流
  • 中国の器物生産論・思想論

とくに卑弥呼との関連性(後述)が指摘されるため、大変な注目がこの鏡に集まっている[10]

主な研究[編集]

鏡の型式による分類[編集]

近年[いつ?]の研究で、鏡の断面が時代とともに変化していることがわかってきた。古い鏡は、外区が厚く、それに対して内区が薄いが、時代の経過とともに外区が薄くなり、内区との差がなくなり、終いには内区と外区の厚さが同じになってしまっている。これらの変化と文様やその配置などを勘案した5段階の型式編年ができあがっている。第1段階は景初3年(239年)・正始元年(240年)前後と推定できるから、一つの段階を約10年あまりと考えて、第2段階は250年前後、第3段階は260年前後、あとの段階も同様に考える。

この違いを型式編年に利用し、鏡が出土した古墳の築造時期の判断に応用できるようになった。

生産地に関する研究[編集]

鏡の生産地については難しい議論が進行中で解決をみていない。

従来、文様の違いから舶載鏡(中国製)・仿製鏡(国産)に分類していた。三角縁神獣鏡は仕上げの研磨が徹底しておらず鋳造時の鋳型の傷などの状態がかえって確認しやすい。これを応用して2015年に鏡の精密3次元形状計測が行われ、それまで舶載鏡とされたヘボソ塚古墳(神戸市)のものと、仿製鏡とされた鶴山丸山古墳(岡山県備前市)などからの3枚が、実際には同鋳型であることが判明した。さらに舶載鏡とされた筒野古墳(三重県松阪市)のものと仿製鏡とされた造山1号墳(島根県安来市)のものとが、これも同鋳型と判明した。この結果から、同じ鋳型から先に鋳造した銅鏡の文様を削った後に別の文様を彫り込んだ可能性を指摘した。つまり調査したすべてが舶載、もしくはすべてが仿製ということになり、文様や銘の違いで分類することに意味が薄れていた[13]

2016年には、小田中親王塚古墳(石川県鹿島郡中能登町)の出土鏡(かつて同町内の白久志山御祖神社で神宝とされていたもの)が、「中国製」とされていた鏡と「国産」鏡の中間の過渡的な特徴を有するとして、両形式が一連の変遷上にあり、これも中国か日本のどちらか一方で作られた可能性を示した[14]。調査にあたった宮内庁の研究員は「個人的には三角縁神獣鏡は全て中国製」との見解を示した[14]

これとは別に、泉屋博古館久津川車塚古墳(京都府城陽市)出土の三角縁神獣鏡に、SPring-8を使った蛍光X線分析を行い中国製との結果を得ていたが、2018年、黒塚古墳(奈良県天理市)出土の33面の三角縁神獣鏡にも同様の調査を行い、鏡の材質が前漢の後期から三国時代に制作された古代中国鏡と組成とほぼ一致するとの結論を得て、橿原考古学研究所は、調査報告書に「黒塚古墳の研究」と題してとりあげた。[15]。ただし、中国での制作はまだ可能性にすぎず、どこで制作されたかはいまだ不明としている。そもそも材質が中国産であったからといって、中国で製作されたものとは限らないし、中国製作地説への何の証拠にもならない。

鏡の魔鏡現象[編集]

2014年1月29日、3Dプリンターを使用して、東之宮古墳から出土した三角縁神獣鏡の複製品を作成して実験したところ、鏡の背面に刻んだ文様が浮かび上がる魔鏡の現象が確認できたと、京都国立博物館が発表した[16]。なお、実物はなどのため、光は反射できない[17]

卑弥呼の鏡説[編集]

邪馬台国の所在地論争については諸説紛々としているが、邪馬台国にまつわる物証が発見されれば結論が出ると考えられている。 物証とは、「卑弥呼の墓」やが下賜した「親魏倭王の金印」、そして「銅鏡100枚」などである。 この鏡(いわゆる卑弥呼の鏡)は三角縁神獣鏡であるとする説が、主に邪馬台国近畿説 [注釈 1]を支持する研究者によって唱えられている。

この説の根拠としては

  • 卑弥呼が魏に使節を派遣した『景初三年』(魏の年号・239年)を記した銘文[18]
  • 『銅は徐州から出、師(職人)は洛陽から出る』という銘文[19]
  • 魏の鏡と共通する特徴がある[20]
  • 成分分析によって鉛の成分が魏鏡に似る[21]

などがあり、一方でこれに否定的な意見は概ね三角縁神獣鏡を「国産である」「卑弥呼の時代より新しい」「鏡の価値が低い」とし、その根拠としては

  • 中国から一枚も発見されていない[22]
  • 『景初四年』(240年?)という実在しない年号を記した銘文[23]
  • 100枚を大きく超える数[24]
  • 成分分析によって銅の産地は神尾銅山と推定[25]
  • 黒塚古墳の発掘状況からみて三角縁神獣鏡は粗雑に扱われている[26]
  • 鏡の多くは4世紀の古墳から出土[27]
  • 銘文が稚拙[28]
  • の鏡と共通する特徴がある[22]

これらの論拠に対し互いに反論を重ねており、結論は出ていない。

日本製鏡説等[編集]

従来、三角縁神獣鏡と同じようなものは中国では出土しておらず、中国で既に改元された年号や実在しない年号の銘が入ったものもあることから、日本製あるいは中国から渡来した工人の製であるとする説、また中国製で船で日本に運ばれた舶載鏡とする説、日本で中国の鏡を真似て作った倣製鏡説などがある。

一方で2015年(平成27年)には中国の骨董市で三角縁神獣鏡が発見されたという報告がなされたが、その出自は不明である[29]。その西川寿勝の調査により、少なくともこの鏡は贋作ではないとされるが、これ以外に中国で三角縁神獣鏡は1面も見つかっていない[30]

紀年銘をもつ三角縁神獣鏡[編集]

三角縁神獣鏡のうち、銘文中に魏の年号が記された鏡が4面ある。島根県雲南市加茂町大字神原・神原神社古墳出土の「景初三年」鏡、群馬県高崎市柴崎町蟹沢・蟹沢古墳、兵庫県豊岡市森尾字市尾・森尾古墳、山口県周南市竹島御家老屋敷古墳の3古墳から出土した同型の「正始元年」鏡3面である。これらの鏡4面は、すべて文様の神像と獣形像が同じ方向に並ぶ同向式である。

「景初三年」鏡
景初三年陳是作鏡自有経述本是京師杜□□出吏人□□□(位)□(至)三公母人?之保子宜孫寿如金石
「正始元年」鏡
□始元年陳是作鏡自有経述本自州師杜地命出寿如金石保子宜孫
(参考)
「景初四年」鏡
景初四年五月丙午之日陳是作鏡吏人△之位至三公母人△之保子宜孫寿如金石兮
- 広峯15号墳出土の斜縁盤龍鏡
「青龍三年」鏡
青龍三年顔氏作竟成文章左龍右虎辟不詳朱爵玄武順陰陽八子九孫治中央寿如金石宜侯王
- 安満宮山古墳出土の方格規矩神獣鏡

同笵鏡について[編集]

三角縁神獣鏡の特徴として同じ文様の鏡が非常に多く存在し、また時に離れた地域から出土することが挙げられる。こうした特徴から古代国家政治論や流通経済論などが論じられてきた。

同じ文様の鏡群を鋳造する方法については諸説ある。

  • 同笵法 - 元となる鋳型(笵)を繰り返し使用する方法。
  • 同型法 - 元となる鋳型から原型を作成し、原型から複数の鋳型をコピーする方法。鋳型は使い捨てになる。
  • 同型法(蝋型) - 元となる鋳型から複数の蝋型を作成し、複数の鋳型をコピーする方法。蝋型、鋳型は使い捨てになる。
  • 踏み返し法 - 元となる鋳型から原型を作成し、原型から第二鋳型をコピーして第二原型を作り、、、を繰り返す方法。すなわち完成品を原型としてコピーを続ける。

これらの方法で完成した鏡は鋳造方法により呼称が異なるが、本項では便宜的に同笵鏡で統一する[31]

同笵鏡の製造法については、繰り返し使用される鋳型には笵傷が生じ笵傷は成長するという説や、鋳造時の金属の収縮により完成品は原型より小さくなる説、収縮による鏡面の反り説、あるいは複数の鋳造実験などから検証が試みられたが、定説には至っていない[32]

同笵鏡の研究について、従来は実物の観察や拓本、写真などを用いて目視で行われてきたが、1998年から橿原考古学研究所で三次元デジタルアーカイブの作成が始まった。これらの詳細な観察により、以前は銅鏡を使用したことによる摩耗や鋳型の損耗、および傷ついた鋳型を補修した跡などと考えられてきた同笵鏡の細かな差異のいくつかが、それらでは説明できないほどの違いであるとする説もある[33]

同笵鏡の一例として大阪府の万年山古墳から出土した鏡を中心に、同笵鏡が出土した場所について下記にまとめる。 なお表の作成にあたって三角縁神獣鏡研究事典の資料「三角物神獣鏡目録」「三角縁神獣鏡出土地名表」「同笵(型)鏡分有図」「三角縁神獣鏡銘文一覧」を参照した[34]

万年山古墳から出土した同笵鏡
同笵鏡番号[注釈 2] 同笵鏡鏡名[注釈 3] 銘文[注釈 4] 面径(cm) 同笵鏡出土遺跡[注釈 5] 同笵鏡面径 特記事項
3 波文帯盤龍鏡 22.0 兵庫・吉島古墳 22.3
奈良・池ノ内5号墳 22.1
群馬・頼母子古墳 21.7
19 吾作四神四獣鏡 吾作明竟甚大工東
上有王喬以赤松東
師子天鹿其粦龍東
天下名好世無雙東
19.9 福岡・豊前石塚山古墳 19.9 重要文化財(豊前国京都郡石塚山古墳出土品)
広島・中小田1号墳 20.1
兵庫・西求女塚古墳 19.9 重要文化財(兵庫県西求女塚古墳出土品)
京都・椿井大塚山古墳 19.8 重要文化財(京都府椿井大塚山古墳出土品)・2面
奈良・黒塚古墳 20.0 重要文化財(奈良県黒塚古墳出土品)
陳是作六神四獣鏡 陳是作竟甚大好幽
上有戯守及龍乕魚
身有文章口銜巨魚
古有聖人東王父魚
渇飲玉湶飢食棗幽
22.0 福岡・妙法寺2号墳 21.9
41 日月日日・唐草文帯四神四獣鏡 日月日日 21.9 静岡・経塚古墳 22.0
64 君・宜・官・獣文帯三神三獣鏡 君冝高* 22.1 奈良・佐味田宝塚古墳 22.1 重要文化財(奈良県佐味田宝塚古墳出土品)
67 獣文帯三神三獣鏡 23.3 香川・蓮尺茶臼山古墳 23.2

画像[編集]

三角縁神獣鏡が確認された主な古墳[編集]

三角縁神獣鏡の府県別の[要出典]出土分布をみると、奈良県の100枚を筆頭に、京都府の66枚、兵庫県の40枚以上、大阪府が38枚と、旧大和国を中心とした近畿地方の出土が多いが、出土地は九州から東北まで全国に分布している。[疑問点]

分布の詳細
古墳名 所在地 形状 時期 特徴
東北地方
会津大塚山古墳 福島県会津若松市 4世紀 東北地方最古級、1972年(昭和47年)国の史跡に指定
関東地方
前橋天神山古墳 群馬県前橋市 前方後円墳 4世紀後半 四神四獣鏡2面出土
頼母子古墳(消滅) 群馬県太田市 不明(前方後円墳説が有力) 4世紀半ば 三角縁神獣鏡2面(うち1面は所在不明)
北山茶臼山古墳 群馬県富岡市 円墳(前方後円墳の可能性有り) 4世紀後半
蟹沢古墳 (消滅) 群馬県高崎市 円墳(推定、方墳の可能性有) 正始元年」銘。持田旧48号墳の同范鏡
赤城塚古墳 (西丘神社古墳) 群馬県板倉町 円墳 4世紀代 三角縁仏獣鏡
三本木所在古墳 群馬県藤岡市 不明 4世紀代 三角縁神獣鏡3面 神田浅間神社古墳とする説が有力
手古塚古墳(消滅) 千葉県木更津市 仿製鏡、河合古墳、島根県造山古墳の同笵鏡
城山1号墳 千葉県香取市小見山町 前方後円墳 6世紀中頃から末 後期古墳出土鏡
真土大塚山古墳(消滅) 神奈川県平塚市西真土
白山古墳 (消滅) 神奈川県川崎市幸区 前方後円墳 前期で4世紀後半
中部地方
甲斐銚子塚古墳 山梨県甲府市下曽根町 前方後円墳 4世紀後半
大丸山古墳 山梨県甲府市下曽根町 前方後円墳 4世紀中頃
花野谷1号墳 福井県福井市 円墳 2000年(平成12年)9月発見
小田中親王塚古墳 石川県鹿島郡 円墳 4世紀後半から末
森将軍塚古墳 長野県千曲市 前方後円墳 「天王日月」銘
赤門上古墳 静岡県浜松市 前方後円墳 古墳期前期 椿井大塚山古墳、佐味田宝塚古墳の同笵鏡
新豊院山2号墳 静岡県磐田市 前方後円墳 3世紀末から4世紀前半 四神四獣鏡
松林山古墳 静岡県磐田市 前方後円墳 4世紀後半 二神二獣鏡
寺谷銚子塚古墳 静岡県磐田市 前方後円墳 4世紀後半 三神三獣鏡
連福寺山古墳 静岡県磐田市 前方後円墳 4世紀後半 三神五獣鏡
上平川大塚古墳 静岡県菊川市 前方後円墳 4世紀後半 「天王日月」銘1面、ほか2面出土
午王堂山3号墳 静岡県静岡市 前方後方墳 4世紀中頃 四神四獣鏡
奥津社古墳 愛知県愛西市 円墳 墳頂にある奥津社が3面を所蔵、椿井大塚山古墳の同笵鏡
東之宮古墳 愛知県犬山市 前方後方墳 国の史跡、4面出土
兜山古墳 愛知県東海市 円墳 三神三獣鏡
白山薮古墳 愛知県名古屋市 5世紀後半
甲屋敷古墳 愛知県小牧市 3世紀末から4世紀
甲屋敷2号墳(消滅) 愛知県小牧市 三神三獣鏡
天王山古墳(消滅) 愛知県小牧市 三神三獣鏡
宇都宮神社古墳 愛知県小牧市 前方後方墳 3世紀末から4世紀 三神三獣鏡
円満寺古墳 岐阜県海津市南濃町 前方後円墳 4世紀中頃
一輪山古墳 岐阜県各務原市鵜沼西町 円墳
花岡山古墳 岐阜県大垣市 前方後円墳 4世紀中頃
長塚古墳 岐阜県大垣市
野中古墳 岐阜県可児市中恵土 古墳時代前期II
龍門寺一号墳 岐阜県岐阜市長良真福竜門寺
近畿地方
雪野山古墳 滋賀県東近江市 前方後円墳 椿井大塚山古墳の同范鏡
温江丸山古墳 京都府与謝郡与謝野町
久津川車塚古墳 京都府城陽市 前方後円墳 5世紀前葉 平川古墳群
椿井大塚山古墳 京都府木津川市 前方後円墳 前期 36面以上出土
闘鶏山古墳 大阪府高槻市 前方後円墳 4世紀前半 三島古墳群ファイバースコープの調査により未盗掘の竪穴式石槨内に2面を確認
黒塚古墳 奈良県天理市 前方後円墳 33面出土、椿井大塚山古墳と同笵鏡
桜井茶臼山古墳 奈良県桜井市 前方後円墳 前期
鴨都波1号墳 奈良県御所市柳田町 方墳 棺外から3三面出土
佐味田宝塚古墳 奈良県北葛城郡河合町大字佐味田字貝吹 前方後円墳 古墳時代前期 墳頂で鏡片を採集、ほかに仿製鏡の家屋文鏡を出土
新山古墳 奈良県北葛城郡広陵町 前方後円墳 6世紀後半 大塚陵墓参考地、9面が出土[36]
西求女塚古墳 兵庫県神戸市灘区 前方後方墳
ヘボソ塚古墳 兵庫県神戸市東灘区 前方後円墳 2面出土
東求女塚古墳 兵庫県神戸市東灘区 前方後円墳 前期 4面出土
コヤダニ古墳 兵庫県洲本市
吉島古墳 兵庫県たつの市 前方後円墳 銅鏡6面のうち4面を出土、椿井大塚山古墳などの同笵鏡
森尾古墳 兵庫県豊岡市森尾字市尾 「正始元年」銘鏡
中国地方
備前車塚古墳 岡山県岡山市 前方後方墳 銅鏡13面のうち11面を出土
鶴山丸山古墳 [岡山県備前市 円墳 銅鏡30面のうち1面を出土
白鳥古墳 広島県東広島市高屋町
潮崎山古墳 広島県福山市新市町
中小田1号墳 広島県広島市東区 椿井大塚山古墳の同笵鏡
神原神社古墳 島根県雲南市加茂町 「景初三年」銘
竹島御家老屋敷古墳 山口県周南市 「正始元年」銘鏡
四国地方
奥三号墳 香川県さぬき市寒川町 前方後円墳 前期古墳期前半
西山古墳 香川県さぬき市鴨部西山 前方後円墳 前期古墳期前半
宮谷古墳 徳島県徳島市国府町 前方後円墳 3世紀末〜4世紀初頭
九州地方
那珂八幡古墳 福岡県福岡市博多区 前方後円墳 3世紀中葉 三角縁五神四獣鏡
石塚山古墳 福岡県京都郡苅田町 前方後円墳 3世紀後半 椿井大塚山古墳と同笵鏡、7面が出土
一貴山銚子塚古墳 福岡県糸島市 前方後円墳 4世紀後半 日本製の[要出典]三角縁神獣鏡8面出土
岩上祭祀遺構 福岡県宗像市沖ノ島 4世紀後半から5世紀 古代祭祀遺構であり古墳ではない
赤塚古墳 大分県宇佐市宇佐風土記の丘 前方後円墳 3世紀末 川部・高森古墳群。九州最古古墳、5面出土
伝持田古墳群 宮崎県児湯郡高鍋町持田 「天王日月」銘。椿井大塚山古墳の同范鏡[37][38]
持田旧48号墳 宮崎県児湯郡高鍋町持田 円墳 持田古墳群。前橋天神山古墳の同范鏡[37]。古墳群は昭和初期に深刻な盗掘[39]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 近畿を中心に三角縁神獣鏡が出土することに関連する
  2. ^ 小林行雄が1985年に作成した同笵鏡分有図の同笵鏡番号に準拠し、この分有図にないものは*とした。
  3. ^ 小林の命名に従ったが、竜虎鏡は盤龍鏡に変更した。
  4. ^ 判別が不可能な文字は*とした
  5. ^ 都道府県名・出土遺跡の順で表記

出典[編集]

  1. ^ 所蔵資料詳細/三角縁神獣鏡 - 宮内庁
  2. ^ 三角縁神獣鏡 文化遺産オンライン
  3. ^ 「神獣鏡」『国史大辞典』 吉川弘文館、「三角縁神獣鏡」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。
  4. ^ 西川寿勝「三角縁神獣鏡と卑弥呼の鏡」『日本考古学』第6巻第8号、日本考古学協会、1999年、 87-99頁、2018年10月15日閲覧。
  5. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『三角縁神獣鏡』」”. コトバンク. 2018年10月15日閲覧。
  6. ^ 下垣仁志 2010, p. 262-266.
  7. ^ 樋口隆康 1992, p. 243-244.
  8. ^ a b 下垣仁志 2010, p. 11-14.
  9. ^ 富岡謙蔵 1920, p. 346-347.
  10. ^ a b 下垣仁志 2010, p. 1-8.
  11. ^ 森浩一 2015, p. 208-212.
  12. ^ 下垣仁志 2010, p. 94.
  13. ^ "「中国製」「国産」同じ鋳型か 卑弥呼の「神獣鏡」、傷ほぼ一致"(日本経済新聞、2015年11月1日記事)。
    "中国製と国産が同鋳型、傷で判明 卑弥呼の鏡、製作地論争に影響"(共同通信、2015年11月1日記事(47NEWS))。
  14. ^ a b "中国製と国産の「中間」 能登で出土の三角縁神獣鏡"(日本経済新聞、2016年2月5日記事)。
  15. ^ 黒塚古墳から出土の三角縁神獣鏡は中国製? 蛍光X線分析で判明”. 産経新聞 (2018年10月13日). 2018年10月15日閲覧。
  16. ^ “「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」 3Dプリンターで復元”. 日本経済新聞. (2014年1月29日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASHC2902G_Z20C14A1000000/ 2014年1月29日閲覧。 
  17. ^ “三角縁神獣鏡に「魔鏡現象」 最新技術で判明”. NHK. (2014年1月29日). http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140129/k10014866311000.html 2014年1月30日閲覧。 
  18. ^ 福山敏男 1987, p. 121.
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  26. ^ 森浩一 1978, p. 51-95.
  27. ^ 森浩一 2015, p. 204-207.
  28. ^ 森博達 2003, p. 32-39.
  29. ^ "邪馬台国論争に新材料 -卑弥呼の鏡?「中国で発見」論文-"(朝日新聞、2015年3月2日記事)。
  30. ^ "三角縁神獣鏡、中国で発見か 日本人研究者が所見"(日本経済新聞、2015年12月18日記事)。
    "日本と同じ工人製作か - 中国出土の三角縁神獣鏡"(奈良新聞、2015年12月25日記事)。
  31. ^ 下垣仁志 2010, p. 30-34.
  32. ^ 下垣仁志 2010, p. 217-227.
  33. ^ 鈴木勉 2016, p. 26-27.
  34. ^ 下垣仁志 2010, p. 417-535.
  35. ^ 東京国立博物館所蔵の銅鏡の名称・出土地の特定は同博物館考古展示室の展示リスト及び東京国立博物館 画像検索による。
  36. ^ 主な所蔵資料/宮内庁が管理している陵墓等から出土した考古品詳細『三角縁神獣鏡』”. 宮内庁書陵部. 2018年10月14日閲覧。
  37. ^ a b 持田古墳群の形成過程とその背景
  38. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『持田古墳群』」”. コトバンク. 2018年10月23日閲覧。
  39. ^ みやざき文化財情報「持田古墳群」”. 2018年10月23日閲覧。

参考文献[編集]

  • 新井宏『理系の視点からみた「考古学」の論争点』大和書房、2007年。
  • 王仲殊「関于日本三角縁神獣鏡的問題」『考古』4期、科学出版社、1981年。
  • 王仲殊「論日本出土的景初四年銘三角縁盤龍鏡」『考古』3期、科学出版社、1987年。
  • 森博達「音韻学から見た三角縁神獣鏡」『東アジアの古代文化 特集 邪馬台国の時代』105、大和書房、2003年。
  • 下垣仁志『三角縁神獣鏡研究事典』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4-642-01454-0。
  • 鈴木勉『三角縁神獣鏡・同笵(型)鏡論の向こうに』雄山閣、2016年。ISBN 978-4-639-02421-7。
  • 田中琢「日本列島出土の銅鏡」『三角縁神獣鏡の謎 日中合同古代史シンポジウム』角川書店、1985年。
  • 富岡謙蔵「日本出土の志那古鏡」『史林』第1巻第4号、史学研究会、1916年。
  • 富岡謙蔵「日本仿製古鏡に就いて」『古鏡の研究』丸善、1920年。
  • 樋口隆康『三角縁神獣鏡綜鑑』新潮社、1992年。
  • 福山敏男「景初三年・正始元年三角縁神獣鏡銘の陳氏と杜地」『日本考古学会論文集』10、吉川弘文館、1987年。
  • 古田武彦『鏡が映す真実の古代-三角縁神獣鏡をめぐって-』ミネルヴァ書房、2016年。ISBN 978-4-623-07736-6。
  • 馬淵久夫「弥生・古墳時代仿製鏡の鉛同位体比の研究」『平成5・6・7年度科学研究費補助金一般研究C時限研究成果報告書』、1996年。 科学研究費助成事業データベース
  • 森浩一「日本の遺跡と銅鏡-遺跡での共存関係を中心に」『日本古代文化の探求 鏡』森浩一、社会思想社、1978年。
  • 森浩一「三角縁神獣鏡」『NHK市民大学-日本の古墳文化』日本放送出版協会、1983年。
  • 森浩一「黒塚古墳と三四面の銅鏡」『森浩一著作集-和泉黄金塚古墳と銅鏡』森浩一著作集編集委員会、新泉社、2015年。ISBN 978-4-7877-1522-7。

関連項目[編集]