三谷幸宏

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獲得メダル
スピードスケート
世界スプリントスピードスケート選手権大会
1987 総合

三谷 幸宏(みたに ゆきひろ、ラテン文字表記:Yukihiro Mitani。1966年4月22日 - )は元スピードスケート選手で、現在は競輪選手日本競輪学校第67期生。北海道河東郡音更町出身[1]白樺学園高等学校法政大学卒業。師匠は穴田勝彦。ホームバンクは函館競輪場

スピードスケート選手時代[ソースを編集]

  • 1987年に行われた世界スプリントスピードスケート選手権大会では、1000メートルで1位を記録した他、総合でも3位(優勝は黒岩彰)に入る。
  • 1988年カルガリーオリンピックの1000メートルに出場した際にはメダル獲得の期待もかけられたが、23位に終わる。その後は成績が振るわず、三谷は競輪への転身を決意する。

競輪選手時代[ソースを編集]

  • 1回目の競輪学校受験の際は適性試験で受験するも不合格。2度目となる67期では技能試験を受験し合格。但し合格時の年齢は上限ギリギリ(当時の受験年齢の上限は24歳未満)だった。ちなみに三谷が競輪へ転身するというニュースは多くのマスメディアにて取り上げられた。
  • その後は1995年全日本選抜競輪や、ふるさとダービーの4回の出場がある程度で、将来の競輪界を背負って立つ逸材として期待された割にはイマイチともいえる成績で推移しているが、S級に復帰した2007年8月に開催されたふるさとダービー(函館競輪場)では、ビッグレースとしては上記の全日本選抜競輪以来12年ぶりの出場を果たした(但し正選手としてではなく、補充出走)。

余談[ソースを編集]

  • 三谷以前にも、伊藤繁市村和昭など、スピードスケート界から競輪界へと転身した選手は少なくなかったが、スピードスケート時代の実績は随一で、しかも年齢的にも次のオリンピックを狙えるはずの三谷の競輪転身というのはかなり驚きだった。

関連項目[ソースを編集]

出典[ソースを編集]

  1. ^ 十勝毎日新聞、1998年2月11日