上園啓史
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![]() 楽天時代(2014年) | |
基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | 福岡県福岡市 |
生年月日 | 1984年6月30日(36歳) |
身長 体重 |
184 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目 |
初出場 | 2007年6月8日 |
最終出場 | 2014年8月16日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督歴 | |
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この表について
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上園 啓史(うえぞの けいじ、1984年6月30日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
大阪府和泉市で出生。2歳の時に福岡県福岡市へ移住すると、小学校3年時に「香椎オリオンズ」でソフトボールを始めた。中学1年時から野球を始めると、フレッシュリーグ「福岡東コンドル」の投手兼内野手としてプレー。東福岡高校への進学後は、2年時の春に第74回選抜高等学校野球大会に出場したが、自身の登板機会はなかった。同期生に吉村裕基がいる。
高校からの卒業後に、武蔵大学へ進学したが、3年時の春までは首都大学野球の2部リーグでのプレーを余儀なくされた。2年の春季リーグ戦では、チームの2部優勝を受けて、1部で最下位だった帝京大学との入れ替え戦全3試合に登板。しかし、1勝2敗という結果で1部昇格を逃した。チームが翌年の秋季2部リーグで優勝すると、獨協大学との入れ替え戦で再び全3試合に登板。2勝1敗という成績でチームを1部昇格に導いた。在学中には、1部リーグ戦で通算8勝11敗、2部リーグ戦で通算20勝7敗をマーク。4年時には、第35回日米大学野球選手権大会日本代表にも選ばれた。
2006年のNPB大学・社会人ドラフト会議で、阪神タイガースから3巡目で指名。 契約金7,000万円、年俸1,000万円(年俸は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は41。
阪神時代[編集]
2007年 開幕を二軍で迎えるが先発投手陣の不調から6月上旬に一軍へ昇格。3試合目に登板した6月20日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(阪神甲子園球場)では田中将大と先発で投げ合いプロ初勝利を挙げた。以降も先発ローテーションに定着すると、この年のセントラル・リーグ(セ・リーグ)新人投手では最も多い8勝をマーク。規定投球回には到達しなかったが17試合の登板で防御率2.42という好成績を残したことから田中と並んで新人王を受賞した。阪神のルーキー投手がセ・リーグ新人王を受賞したのは1994年の藪恵壹以来13年振りだった。
2008年 春季キャンプで「カーブの割合を増やしながら投球の幅を広げたい」と公言。しかしオープン戦から不調で開幕一軍を逃したばかりか、ウエスタン・リーグの公式戦でも打ち込まれることが多かった。5月下旬に一軍に昇格して9試合に登板。4勝無敗でシーズンを終えたが7月下旬以降は振るわず一軍から遠ざかった。
2009年 シーズン序盤から一軍での登板機会に恵まれず9月19日の対広島東洋カープ戦(甲子園)に先発投手として登板しただけだった。
2010年 先発要員として獲得した左投手のケーシー・フォッサムがオープン戦で不調だったことを受け、開幕から先発ローテーションに復帰。当初は好投しても勝ち星に恵まれない状態が続いていたが、4月10日の対東京ヤクルトスワローズ戦(甲子園)で一軍公式戦633日ぶりの勝利を挙げた。自己最多の25試合に登板。救援登板も経験し3勝4敗1ホールド 防御率4.75という成績を残した。
2011年 背番号を47に変更。海外FA権行使で千葉ロッテマリーンズから移籍した小林宏之がロッテ時代に続いて背番号41の着用を希望したことによる。ウエスタン・リーグで16試合に登板したが入団後初めて一軍での登板機会がなかった。
楽天時代[編集]
2011年12月8日に、松崎伸吾との交換トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍することを発表[1][2]。松崎が着用していた背番号47を引き継いだ。
2012年には、4月に一軍公式戦で1試合だけ登板。イースタン・リーグ公式戦では、18試合の登板で、2勝4敗、防御率3.07という成績を残した。シーズンの終了後には、背番号を61に変更している[3]。
2013年には、一軍公式戦5試合に登板。自身1年振りの登板であった4月17日の対福岡ソフトバンクホークス戦(クリネックススタジアム宮城)では、先発で6回途中まで2失点と好投した[4]。一軍では0勝3敗に終わったものの、二軍での防御率は2.54で、イースタン・リーグ最優秀防御率投手のタイトルを獲得した[5]。
2014年には、「今年ダメならもう終わり」という危機感を抱きながら、春季キャンプから早めに調整[6]。しかし、古巣・阪神と対した6月4日のセ・パ交流戦(楽天koboスタジアム宮城)での救援登板で4失点を喫する[7]など、一軍公式戦では集中打や突然の制球難[8]に見舞われることが相次いだ。結局、一軍では9試合に登板。救援で2ホールドを記録したが、0勝1敗、防御率5.87という成績でシーズンを終えた。
2015年には、公式戦の開幕前に左ふくらはぎの肉離れで、長期にわたって戦線を離脱[9]。その影響で、一軍公式戦での登板機会がなく、10月2日に球団から戦力外通告を受けた。なお、シーズン終了後の11月10日には、12球団合同トライアウト(草薙球場)に参加。シートバッティング形式で打者3人と対戦したところ、3人とも無安打に抑えた[10]。MLBのサンディエゴ・パドレスでは、この結果を受けて、11月22日に高知東部球場で開催した日本国内初のトライアウトに招待選手として上園を参加した[11]。しかし、いずれのトライアウトでも移籍に至らなかったため、現役からの引退をいったん決意した。
楽天退団後[編集]
野球生活に区切りを付けるべく、2015年12月下旬から2016年1月までオーストラリアのウィンターリーグに参加した[9]。その一方で、プロ野球経験者による高校・大学の硬式野球部の指導に必要な学生野球資格の回復に向けて、ウインターリーグへの参加を前に研修会を受講した。
2016年2月2日付で、日本学生野球協会から資格回復の適性認定を受けた[12]
オランダ球界での現役復帰[編集]
語学留学を目的として、2016年5月2日に、アムステルダム・ベースボール(オランダのユーロリーグベースボールへ加盟するチーム)に投手兼任コーチとして入団[13]。しかし、チームがこの年のリーグ戦に参加しなかったため、プレーには至らなかった。後に、フーフトクラッセのデ・フラスコニンフ・ツインズでのプレー[14]を経て、この年限りで現役をいったん退いた。
BCリーグでの監督就任[編集]
2016年の秋、指導経験がないながらも、独立リーグ・ベースボール・チャレンジ・リーグの滋賀ユナイテッドベースボールクラブの初代監督に抜擢された[15]。チームの投手の頭数が少なく、所属投手の登板過多による故障を避けるために2017年5月12日より選手登録し、選手兼任監督として再度現役復帰している[16]。公式戦での登板は1試合・1回で被安打2であったが失点・自責点はつかなかった[17]。監督としては2017年の前期を4位、後期を5位で終え、1年限りで退任となった[18]。
引退後[編集]
2018年は阪神に戻り、振興部アカデミー担当の専属コーチを務めた
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 阪神 | 17 | 16 | 1 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | 0 | .615 | 348 | 85.2 | 70 | 9 | 32 | 2 | 1 | 83 | 4 | 0 | 28 | 23 | 2.42 | 1.21 |
2008 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 185 | 43.0 | 47 | 2 | 11 | 0 | 3 | 38 | 2 | 0 | 20 | 15 | 3.14 | 1.35 | |
2009 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 27 | 5.2 | 8 | 1 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 3 | 4.76 | 1.94 | |
2010 | 25 | 8 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 0 | .429 | 265 | 60.2 | 60 | 8 | 27 | 1 | 1 | 39 | 3 | 2 | 36 | 32 | 4.75 | 1.43 | |
2012 | 楽天 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 21 | 4.2 | 7 | 0 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 1 | 3 | 3 | 5.79 | 1.93 |
2013 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 62 | 13.2 | 16 | 1 | 5 | 0 | 1 | 11 | 3 | 0 | 11 | 11 | 7.24 | 1.54 | |
2014 | 9 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | .000 | 104 | 23.0 | 28 | 0 | 7 | 0 | 2 | 14 | 1 | 0 | 15 | 15 | 5.87 | 1.52 | |
通算:7年 | 67 | 39 | 1 | 0 | 0 | 15 | 14 | 0 | 2 | .517 | 1012 | 236.1 | 236 | 21 | 87 | 3 | 9 | 189 | 14 | 3 | 116 | 102 | 3.88 | 1.37 |
表彰[編集]
- 新人王(2007年)
- 2007ゴールデン・ルーキー賞 (2007年)
- サンスポMVP新人賞 (2007年)[19]
記録[編集]
- 投手記録
- 初登板・初先発:2007年6月8日、対オリックス・バファローズ3回戦(阪神甲子園球場)、5回4安打1失点
- 初奪三振:同上、1回表にタフィ・ローズから空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2007年6月20日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(阪神甲子園球場)、6回1安打無失点
- 初完投勝利:2007年8月22日、対東京ヤクルトスワローズ16回戦(明治神宮野球場)、9回2失点
- 初ホールド:2014年5月25日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮球場)、6回裏に2番手で救援登板、2/3回無失点
- 打撃記録
- 初打点:2007年7月1日、対横浜ベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、5回表に寺原隼人から右犠飛
- 初安打:2007年8月10日、対横浜ベイスターズ14回戦(横浜スタジアム)、2回表にマットホワイトから右前適時打
背番号[編集]
- 41 (2007年 - 2010年)
- 47 (2011年 - 2012年)
- 61 (2013年 - 2015年)
登場曲[編集]
- 「Light Your Fire」 RIZE
脚注[編集]
- ^ “交換トレードに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年12月8日). 2011年12月8日閲覧。
- ^ “トレードの成立について”. 阪神タイガース (2011年12月8日). 2011年12月8日閲覧。
- ^ 背番号変更のお知らせ2012年11月28日 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト
- ^ “楽天上園好投、使える!荒ぶる直球”. 日刊スポーツ (2013年4月18日). 2015年11月6日閲覧。
- ^ 2013年度 表彰選手(イースタン・リーグ)日本野球機構(NPB)オフィシャルサイト
- ^ “楽天上園、背水のキャンプ「ダメなら最後」”. 日刊スポーツ (2014年2月2日). 2015年11月6日閲覧。
- ^ “阪神打線、元同僚楽天上園に無慈悲な猛攻”. 日刊スポーツ (2014年6月4日). 2015年11月6日閲覧。
- ^ “楽天上園5回まで0封、6回突然…四球病”. 日刊スポーツ (2014年5月7日). 2015年11月6日閲覧。
- ^ a b “楽天戦力外、上園が引退意思 2007年阪神で新人王”. 日刊スポーツ. (2015年12月21日)
- ^ “2015年合同トライアウト速報”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日)
- ^ “元燕・江村がサイドスロー!パドレス入団テストでキラリ”. サンケイスポーツ. (2015年11月23日)
- ^ 学生野球資格回復に関する規則第4条による適性認定者日本学生野球協会
- ^ “元楽天上園がオランダのプロ球団へ”. 日刊スポーツ. (2016年5月3日) 2016年5月3日閲覧。
- ^ “2007年の新人王がオランダリーグへ!―元阪神タイガース・上園啓史投手の挑戦”. Yahoo!ニュース 個人コーナー. (2016年5月6日) 2016年10月21日閲覧。
- ^ “元虎戦士の上園、桜井氏がBC滋賀でタッグ/コラム - 野球 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. 2019年5月8日閲覧。
- ^ 土井麻由実 (2017年6月27日). 個人 - Yahoo!ニュース. https://news.yahoo.co.jp/byline/doimayumi/20170627-00072579/+2020年8月21日閲覧。
- ^ 過去の成績 個人投手成績2017年 - ベースボール・チャレンジ・リーグ
- ^ “上園監督・桜井コーチ・平野コーチ退任のお知らせ - BCリーグ” (日本語). archive.bc-l.jp. 2019年5月8日閲覧。
- ^ “【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2016年11月23日) 2017年9月8日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 上園啓史 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
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