上山英三

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上山 英三(うえやま えいぞう、1893年 - 1981年)は、日本の銀行家台湾銀行頭取、全国相互銀行協会会長などを務めた。大日本除虫菊創業者である上山英一郎の二男で、同社社長を務めた十五代上山勘太郎(前名・英之助)の弟、同じく社長・会長を務めた十六代上山勘太郎(前名・英夫)の兄。

人物[編集]

和歌山県人・上山英一郎の二男、勘太郎の弟、英夫の兄である[1]。上山家は和歌山県有田郡保田村山田原の蜜柑農家である。

1917年3月、東京帝国大学法科大学政治学科卒業[2]大蔵省に入り、日本銀行監理官・銀行局検査課長・為替局長などを歴任し1937年日本興業銀行理事に挙げられた[1]。日仏銀行取締役、商工組合中央金庫理事に選任された[1]

住所は東京市大森区久ヶ原[1]。趣味は和歌[1]。宗教は浄土宗[1]

家族・親族[編集]

上山家
  • 妻・英子1898年 - ?、松波仁一郎の四女)[1]
  • 子(男、女)[1]
親戚

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第13版 上』う33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月4日閲覧。
  2. ^ 『東京帝国大学一覧 従大正7年至大正8年』学士及卒業生姓名 法学士 政治学科131頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月5日閲覧。

参考文献[編集]

  • 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 従大正7年至大正8年』東京帝国大学、1913-1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。