上平村 (埼玉県)

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上平村
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 新設合併
上尾町、平方町原市町大石村
上平村大谷村 → 上尾町
現在の自治体 上尾市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北足立郡
面積 7.56km2.
総人口 3,815
(住民登録人口、1954年7月1日)
隣接自治体 北足立郡上尾町、桶川町、原市町、大石村
加納村、伊奈村
上平村役場
所在地 埼玉県
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上平村(かみひらむら)は、埼玉県北足立郡にあった。上平の名は、1889年の村成立の際に合併した上村および平塚村の名を合成したことによる[1]。現在の上尾市北東部にあたり、1955年に上尾町・平方町・原市町・大石村・大谷村と合併して上尾町となり消滅した。

地理[編集]

隣接していた自治体[編集]

(括弧内は現在の自治体)

歴史[編集]

  • 新編武蔵風土記稿』によると[2]平塚村を除く村々は桶川宿、大谷領町谷村(いずれも現桶川市)とともに大谷領桶川(桶皮)郷に属したとされる。上村は桶川郷あるいは桶川宿の上、南村は桶川郷あるいは桶川宿の南を意味するとされ、桶川上村、桶川南村とも呼ばれていた[3][4]
  • 明治元年の知行は、上村、久保村、須ヶ谷村は代官支配、門前村は代官領、松下某、少林寺領、南村は横田権之助(筑後守、信濃・武蔵などを領する9.500石の旗本筆頭)、菅谷村は松下謙太郎、横田権之助、数原鍬之助、上平塚村、中平塚村は荒川五三郎、下平塚村は戸田中務である。
  • 1869年明治2年)1月 - 村域は廃藩置県により、大宮県に所属。
  • 1869年(明治2年)9月 - 大宮県が浦和県に改称。
  • 1871年(明治4年)11月14日 - 浦和県が忍県岩槻県と合併し、埼玉県が誕生。
  • 1874年(明治7年) - 上平塚村・中平塚村・下平塚村(正徳~元禄年間に分村[5][注釈 1])が合併し、平塚村となる。
  • 1879年(明治12年) - 門前村が同一郡内の同名村との区別のため、西門前村に改称される。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、上村・平塚村・久保村・西門前村・南村・須ヶ谷村・菅谷村が合併し、上平村となる。大字西門前に役場を設置する[1]
  • 1951年昭和26年) - 大字上尾村の一部を上平村に編入する[7]
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 上尾町・平方町原市町大石村大谷村と合併し、上尾町となる[8]。上平村消滅。大字は上尾町へ継承された[1]
  • 1958年(昭和33年)7月15日 - 上尾町が市制施行して上尾市となる[8]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』では承応3年(1654年)に分村と記されている[6]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
  • 新編武蔵風土記稿
    • 『新編武蔵風土記稿』巻ノ135足立郡ノ1、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763997
    • 「上平塚村」『新編武蔵風土記稿』巻ノ146足立郡ノ12、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/35
    • 「上村」『新編武蔵風土記稿』巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/53
    • 「南村」『新編武蔵風土記稿』巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/55

関連項目[編集]