上田文雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上田文雄
うえだ ふみお
生年月日 (1948-06-11) 1948年6月11日(71歳)
出生地 北海道中川郡幕別町
出身校 中央大学法学部
前職 弁護士
所属政党 無所属
称号 法学士

当選回数 3回
在任期間 2003年6月9日 - 2015年5月1日
テンプレートを表示

上田 文雄(うえだ ふみお、1948年6月11日 - )は、日本政治家弁護士。前北海道札幌市長(3期)。

来歴・人物[編集]

北海道中川郡幕別町生まれ。北海道帯広三条高等学校中央大学法学部卒業。1975年、26歳で司法試験に合格し、司法修習第30期を修了。弁護士登録し、道央法律事務所に所属する(当時の同僚に後の北海道知事衆議院議長となる横路孝弘)。弁護士時代は主に少年事件医療事故訴訟、多重債務訴訟を扱い、旭川学力テスト事件も担当した。1994年、札幌弁護士会副会長に就任。2001年から日本弁護士連合会人権擁護委員会副委員長を務める。

1985年、幌延町に“高レベル放射性廃棄物貯蔵施設”を誘致する計画が問題となり、生活クラブなどの仲間と共に誘致反対の運動や、泊原発の三号機建設反対の運動などに、弁護士業務としてではなく、市民運動という形で積極的に参加した。

1998年NPO推進北海道会議を母体とし、NPO法施行を視野に北海道NPOサポートセンターを設立し、初代理事長となる。以降、NPO推進北海道会議と連携しながら個別NPOのサポート、地域ネットワーク形成に取り組む。

2003年4月、札幌市長選挙に出馬し、全候補者中最多の票を獲得したものの、得票率が25パーセントを下回ったため、公職選挙法の規定により当選せず、異例の再選挙が実施される。6月に行われた、政令指定都市では史上初の再選挙に再び市民ネットワーク北海道推薦、民主社民支持で立候補し、自民保守新2党が推薦し、公明党が支持する元北海道放送キャスターの石崎岳、元参議院議員中尾則幸らを破り、初当選を果たした。

2004年、国民年金を27年2ヶ月に亘って未納し続けていたことが発覚。これは同時期に未納が発覚した全政治家の中でも最長であり、特に悪質なケースであるとされた。詳細は「政治家の年金未納問題」を参照。

2007年札幌市長選挙では、元国土交通官僚の清治真人らを破り再選。2011年札幌市長選挙では、民主党に強い逆風が吹き荒れる中、東日本大震災の影響による、選挙戦自粛ムードなども手伝って、元総務官僚の本間奈々を破り、3選を果たした。2015年札幌市長選挙には出馬せず、同年5月、市長任期は1ヶ月残っていたが再選挙に伴う任期ズレを解消するために退任した。

2003年から3期12年の間に札幌市長として札幌に市民自治を根づかせた。

市長退任後は、一人の市民運動家として、様々な団体、個人の相談相手となって市民の立場から市民自治を実践している。

札幌市長[編集]

  • 2003年、「市民自治」を唱えて44年ぶりに民間人として札幌市長となる。
  • 2003年、日本の自治体の首長として初めてレインボーマーチパレード会場に来場し、「札幌はセクシュアルマイノリティのみなさんを歓迎します」とスピーチを披露、参加者は感動のあまりスタンディングオベーション…という、人権派弁護士の市長として称賛を得た。上田市長のこの考え方が継承され、2017年、政令指定都市として初めて同性パートナーシップ証明制度が制定された。
  • 2006年10月、自治体の憲法とも呼ばれる「自治基本条例」を制定、翌年4月から施行。市民が主役のまちづくりを行う為、情報共有と市民参加を基本原則とした。
  • 市民が主体の豊かで活力ある地域社会を築くうえで、「市民まちづくり活動」が重要な役割を果たすと考え、市民まちづくり活動への支援等を盛り込んだ「札幌市市民まちづくり活動促進条例」を2008年4月から施行した。
  • 子どもの権利条約を日本が批准したことをふまえ、条約の理念の普及啓発に努めるとともに、子どもの健やかな成長を支える様々な施策を進めた。こうした施策を、札幌の実態に即した形で総合的に推進し、条約の理念をもとに、将来に渡り、市民と市が一体となって子どもの権利を大切にするという姿勢を、自治体の法である条例として明らかにするべきであると考え、2009年4月、「札幌市子どもの最善の利益を実現するための権利条例(子どもの権利条例)」を施行した。
  • 市長在任中に制定した「自治基本条例」「市民まちづくり活動促進条例」「子どもの権利条例」の三つの条例によって札幌に市民自治と子どもの権利が守られる社会の礎を築いた。
  • 「寄付文化の醸成」にも熱心に取り組み、2008年、「さぽーとほっと基金」を創設し、市長在任中の2014年度までの7年間に587,509,323円の寄附が札幌市に寄せられ、市民まちづくり活動団体に助成された。同基金は、上田市長退任以降も毎年6千万円から1億円程度の寄附が寄せられている。
  • 全国市民オンブズマン連絡会議による全国の政令指定都市を対象にした全国情報公開度ランキングにおいて、上田が市長に就任した後の札幌市は2004年度は前年度(桂信雄市政下)の9位から大幅に順位を上げ全国1位[1]、2005年度は静岡市に次ぐ2位[2]、2006年度はまた1位に返り咲いた[3]
  • 2011年大阪市長選挙では、現職の平松邦夫の街頭演説に駆けつけ「平松さんは19政令市のリーダー」として持ち上げた[4]
  • 市のアイヌ施策課が、正規手続きを踏まずに特定業者に業務発注を繰り返したとされる官製談合疑惑が浮上した際、「市民の信頼を大きく損ね、深くおわびする」と謝罪するコメントを発表したが、辞職はしなかった[5]
  • 2012年3月23日、「東日本大震災により発生したがれきの受入れについて」を発表した。私自身が不安を払拭できないでいるこの問題について、市民に受入れをお願いすることはできません。市民にとって「絶対に安全」であることが担保されるまで、引き続き慎重に検討していきたいと思っています。とがれきを受け入れないことを表明した。
  • 芸術文化の振興にも熱心であり、2014年、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、世界的に著名なアーティストである坂本龍一氏をゲストディレクターに迎え、札幌で初めての国際的なアートフェスティバル「札幌国際芸術祭2014」を開催した。札幌国際芸術祭は、トリエンナーレとして3年ごとに開催されている。
  • 将来世代の負担を少なくする財政改革にも危機感を持って取り組み、3期12年の間に実質的には約8000億円(臨時財政対策債分を含む)の市債残高を減らした。

家族[編集]

息女に弁護士の上田絵理がいる。

著書[編集]

  • 「医療はかく裁かれた - 患者の人権は護られているか」 クルーズ、2003年 ISBN 4905756197
  • 「札幌ちょっといい話 私が札幌を好きになった理由」 コア・アソシエイツ、2006年 ISBN 4902969386

脚注[編集]

関連項目[編集]