上田電鉄別所線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
上田電鉄別所線
上田電鉄1000系
概要
起終点 起点:上田駅
終点:別所温泉駅
駅数 15駅
路線記号 BE
運営
開業 1921年6月17日 (1921-06-17)
全通 1924年8月15日
所有者 上田電鉄
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 11.6 km (7.2 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流1,500 V 架空電車線方式
運行速度 60km/h[1]
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
凡例
STRq
北陸新幹線
STRq
しなの鉄道線
STR+l
0.0 BE01 上田駅
hKRZWae
千曲川橋梁 千曲川
BHF
0.8 BE02 城下駅
BHF
1.5 BE03 三好町駅
BHF
2.2 BE04 赤坂上駅
BHF
2.9 BE05 上田原駅
exSTRq eABZgr
青木線
BHF
3.8 BE06 寺下駅
BHF
4.5 BE07 神畑駅
BHF
5.2 BE08 大学前駅
hKRZWae
尾根川鉄橋
BHF
6.1 BE09 下之郷駅
eABZgl exSTRq
西丸子線
hKRZWae
産川鉄橋
BHF
7.4 BE10 中塩田駅
BHF
8.0 BE11 塩田町駅
BHF
8.5 BE12 中野駅
BHF
9.4 BE13 舞田駅
BHF
10.1 BE14 八木沢駅
KBHFe
11.6 BE15 別所温泉駅

別所線(べっしょせん)は、長野県上田市上田駅から別所温泉駅までを結ぶ上田電鉄鉄道路線である。かつて側面に丸窓を持つ「丸窓電車」が走っていたことで知られ、同電車の運用終了後も丸窓は当路線を象徴する意匠となっている。

概要[編集]

開業から上田丸子電鉄の成立まで[編集]

1920年に設立された上田温泉電軌により、翌1921年別所温泉田沢温泉沓掛温泉への湯治客を輸送する軌道線として三好町駅(現在の城下駅) - 上田原駅 - 青木駅間の「青木線」と、上田原駅 - 別所駅(現在の別所温泉駅)間の「川西線」の2路線が開業した。

1924年には省線(後の国鉄)上田駅に乗り入れ全通した。1938年に上田原駅 - 青木駅間が廃止となり、上田駅 - 上田原駅間も川西線に編入。1939年地方鉄道法による鉄道となり、川西線を改め「別所線」と称するようになった。また同年社名を「上田電鉄」(初代)と改称した。

1943年には丸子鉄道(1916年設立)と合併。上田丸子電鉄となり、上田市・小県郡地域に別所線のほか西丸子線丸子線真田傍陽線の計4路線48.0kmに及ぶ路線網を有するに至った。

経営難と欠損補助[編集]

これらの路線のうち、丸子線は生糸や軽工業製品、真田傍陽線は木材や農産物を国鉄信越本線大屋駅・上田駅や上田市中心部に輸送する路線であり、特に丸子線は別所線よりも営業成績が良い路線であった。しかし1960年代に入ると旅客輸送において自動車による輸送が増え、旅客収入のみでの経営は困難となっていた。西丸子線は木材も輸送したが開業当初から経営難であり、1963年に自然災害をきっかけとして廃止された。そして、モータリゼーションの進展による旅客輸送の減少等は1969年に丸子線、1972年に真田傍陽線を相次いで廃止に追い込んだ。別所線は中でも旅客輸送主体の路線[注 1]であり、自家用車の普及が進む状況においては丸子線・真田傍陽線同様にモータリゼーションの影響は避けがたい状況となっていた。

そのような中で、1973年に乗客減等を理由に上田交通(1969年に上田丸子電鉄から社名変更)より別所線も廃止・バス代替の方針が示されるに至り、こちらでも先に廃止された丸子線・真田傍陽線同様に沿線住民による大きな廃止反対・路線存続運動が起こったが、1974年以降3年間、地方鉄道軌道整備法(現・鉄道軌道整備法)に基づく国・長野県及び上田市からの軌道整備補助金(欠損補助金)が交付されることになったことからこの時は廃止の危機を免れ、1977年に路線維持の方針が決まった。

業績回復と設備の改善[編集]

廃止は免れたものの1970年代中盤に一時期回復した利用客は再び低迷し始め、1980年代に入るとそれは顕著になり、運行本数の再編や保有車両の整理などを行うも、計上する赤字額は増え続けた。そのため、国の欠損補助金支給基準を満たすことが困難な状況が続いていた。

そのような中で1986年には架線電圧を1500Vに昇圧し、東京急行電鉄(現在の東急電鉄)から経年の比較的浅い余剰車両を譲り受け、「丸窓電車」などの修理部品が不足していた旧型車を全廃して車両保守にかかるコストを削減。さらに上田市の支援による駅施設等設備の改善を行ない、1980年代末から1990年代には乗客は再び増加に転じた。

1992年末の国の地方私鉄に対する軌道整備補助事業見直しにより、欠損補助金支給は打ち切りとなったものの[注 2]、打ち切り後の1993年には元東急7200系電車を東京急行電鉄から購入し全営業車両の冷房化を果たした。北陸新幹線の先行開業も控えておりさらなる収支改善の可能性が見込まれたことから、増便や1910年代製造の古いレールを使用していた架線柱をコンクリート製の安定したものに取り換えるなどの設備投資を行いサービス向上に努め、1990年代半ばには1973年の廃止の方針の提示以前の利用客数に回復、欠損補助金支給が必要とされる状況を脱し、補助金打ち切りの影響を最小限に食い止めた。

1997年の北陸新幹線長野開業(長野新幹線)に伴う上田駅再整備の一環として、翌1998年には起点の上田駅ホームの高架化[3]や、(JR東日本→)しなの鉄道との共用改札を廃止して独立した改札口を設けるなど設備も進展した。これと前後し、全て電車のワンマン運転も開始している。

新たな公的支援と上田電鉄の設立[編集]

2000年代に入ると少子化の影響により通学客を中心とした定期利用客の減少が進むとともに、長期の景気低迷により湯治客・観光客の需要も伸び悩む状況となった。

2000年には東京急行電鉄からのさらなる設備改修の提言を受け、国土交通省の地方鉄道安全新基準を満たすため上田交通が長野県と上田市に対し財政支援を求めるに至ったことにより再び存廃問題が浮上した。上田市と上田交通は上下分離方式の導入や第三セクター鉄道化も視野に入れつつ協議したものの、最終的には従来通り民営鉄道として存続させる方針が決まり、上田市は2003年6月から設備更新・修繕や基盤整備・安全対策に関する補助等の支援策の検討に入った。また同月住民団体「別所線の将来を考える会」が結成され、以後地元の存続運動が再び活発化した。

上田市は翌2004年度から公的支援実施に踏み切り、補助金を拠出することを決定。また国・長野県からも同年度より財政支援が得られることになり、当面存続の見通しとなった。補助金の拠出が決まったことを受け、上田交通は2003年10月に当路線のダイヤを改正し更なる増便を行った。運行本数を24往復から30往復とし、昼間時全線45分から60分毎であった運行間隔を30分から45分毎と短縮。また終電を23時台に繰り下げ、下之郷駅発着の便を増発、各便を新幹線の発着時刻に接続させるなど、利便性の向上に努めた。

2004年11月、上田市は当面の安全対策のために補助率を引き上げ、2007年度までに2億6800万円を補助することを公表、同年12月には上田市議会定例会において上田市と上田交通が締結した「別所線の運行に関する協定」が承認された。「別所線の運行に関する協定」は3ヵ年ごとに契約更新され、2012年度までに国が2億5603万円、長野県が1億2118万5千円、上田市が9億8849万2千円を拠出している。住民による支援団体も相次いで結成され、沿線自治会・商工団体・別所温泉観光協会等により結成された「別所線電車存続期成同盟会」、上田交通労働組合ほか労働団体による「別所線の存続を求める市民の会」、芸術関係者と地域住民等による「ガンバレ別所線の会」、上田市役所職員有志による「上田市アイプロジェクト」、観光ガイドによるボランティア団体「別所線ガイドの会」などが活動を開始した。

2005年2月にはこれらの支援団体を統括する「別所線再生支援協議会」が組織され、25団体が加盟。同協議会の代表には上田市長が就任し、自治体の支援体制の再構築も行われた。上田交通は新たな公的支援を受けるにあたり別所線の経営体制の見直しを行い、路線の経理・財務を透明化する必要から鉄道部門の分社化を決定。同年7月、新たに子会社「上田電鉄」を設立し、路線を譲渡した。上田市も同8月、別所線分社化後も支援を継続することを発表した。このような経歴から、同年10月3日より上田電鉄の経営となっている。

上田電鉄設立後[編集]

上田電鉄設立後も予断を許さない経営状況が続いているが、2007年10月の「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」及び2013年12月の「交通政策基本法」の施行を受け、上田市がさらに支援を進めているほか、各支援団体が広範な存続運動を展開している。別所線存続支援キャラクター「北条まどか」を設定しての広報活動[4]や、別所温泉の共同浴場(外湯)入浴券付き往復乗車券、地元自治会向け回数券「マイレールチケット」の販売(地域住民以外でも購入できる)、アリオ上田イトーヨーカドー上田店買い物客や上田駅前の居酒屋利用客への「別所線お帰りきっぷ」進呈サービス、駅の清掃ボランティアや花壇の整備、一部の駅に近接する土地を所有者が駐車場用に無償貸与してのパークアンドライド導入、またその土地に賦課される固定資産税の減免、レンタサイクルの整備など、行政・民間が一体となって利用客増、増収、路線存続のための支援事業を行っている[5]

こうした「別所線再生支援協議会」を中心とする存続支援及び利用促進運動が「鉄道等の利用促進に努め利用者の増加に繋げるなど、公共交通機関の利用促進を通じた環境保全に関する活動に積極的に取り組んだ」事例として評価され、2008年12月、同協議会は「平成20年交通関係環境保全優良事業者等国土交通大臣表彰」を受賞した[6]

上田電鉄設立後もしばらく乗客減が続いたが、行政の支援や地域住民団体による存続運動などを通じた沿線地域との連携が奏功し[7]2012年には乗客増に転じ、以降微増傾向を維持している。

上田電鉄の経営努力と沿線各団体の支援運動が継続し、一定の効果があったこと、また支援活動自体が公共交通政策の展開の面から評価されたことを受け、2013年3月、国・長野県・上田市は2013年度以降も公的支援を行うことを決定した。2015年度までに上田市から約3億円、また国・長野県から計約1億5400万円の補助金が支給された。上田電鉄はこの資金を元手に引き続き別所線の設備更新・基盤整備・安全対策を進める。

2013年4月5日・24日に中野駅 - 舞田駅間の遮断機警報機のない踏切において電車とトラックの接触事故が2件発生した[8]ことを受け、2013年4月現在19箇所存在する遮断機・警報機のない踏切の改修・統廃合や車両通行止め等を行う。2014年9月には一部車両の更新を行った。

2016年3月、上田市と上田電鉄の間で「別所線の運行に関する協定」が更新され、2018年度までに上田市から2億8032万4000円の公的支援が行われる見通しとなった[注 3]。国や長野県からの補助も継続して受けており、これら公的支援による補助金は引き続き安全対策費用や設備維持管理費、運行経費に当てられ、千曲川橋梁(鉄橋)の改修も行われる予定となっている。

少子高齢化の影響から、上田電鉄移行後も通勤・通学利用の定期旅客については減少しているものの、近年は観光客を中心とした普通乗車券やフリー切符(一日乗車券)・回数券などの定期外利用が増えており、地域と連携し沿線の魅力発信・広報活動を続け観光需要の掘り起こしを行った効果が表れつつある。2015年には北陸新幹線の金沢駅延伸、善光寺御開帳による別所温泉北向観音への参拝客増加、2016年にはNHK大河ドラマ真田丸』放送など好材料が相次ぎ、2016年度輸送人員は131万3333人に達した[9]。2012年度から5年連続の増加[10]となり、上田電鉄移行前の2001年度以来15年ぶりに130万人台の輸送人員回復となった[11][12][13]

2017年度輸送人員は対前年度比3万3226人減の128万107人となったものの120万人台の輸送人員は維持[10]。2018年度輸送人員は再び増加に転じ、対前年度比1万8999人増の129万9106人となった[10][14]

2019年度輸送人員は、2019年10月13日の令和元年東日本台風による千曲川橋梁崩落被害に伴う上田駅 - 城下駅間の長期運休(歴史の項参照)や、2020年初頭からの新型コロナウイルス感染拡大の影響により、対前年度比18万2958人減の111万6148人となった。この輸送人員実績は統計を取り始めて以来最低の数字であり、対前年度比14.1%の大幅減[15]2021年3月28日の全線運行再開を期に、更なる利用促進に努めるという。

路線データ[編集]

沿線概況[編集]

高架の上田駅を発車するとすぐに千曲川橋梁千曲川を渡り、全線が上田平を走る。全線単線。路線は千曲川を渡ってから旧川辺村を経て、塩田平の主要集落を連絡しながら別所温泉に至るように敷設されているため、上田盆地にS字を描くように進む。半径の小さい曲線が多く、何箇所かでは一気に90度ほど曲がる。城下駅から上田原駅までの間には複線分の鉄道用地があるが、これは旧青木線の線路敷の跡であり、この区間は変則複線であった。三好町駅から赤坂上駅の間で勾配を上ると塩田平の平坦面に入るが、車庫のある下之郷駅付近から標高570mの別所温泉に向かって登りがきつくなる。終点の別所温泉駅付近は標高554mであり、八木沢駅方より40‰の急勾配となっている。この勾配は750V時代の旧型車は時速20km程しかスピードが出せない難所であった。上田原駅で青木線、下之郷駅で西丸子線が分岐していたが、いずれも既に廃線となっている。

沿線の塩田平は、終点の別所温泉をはじめ、「信州鎌倉」と呼ばれる塩田流北条氏ゆかりの地で、著名な神社寺院史跡等が点在する観光スポットであり、別所線の利用促進につながる地域特性として期待されている。「別所線の将来を考える会」は2014年11月、沿線の名所を紹介する『別所線沿線名所旧跡見どころガイドブック』を発行。上田駅や観光案内所等にて無料配布し、支援活動の一環として観光スポットの紹介に努めている。

運行形態[編集]

古くは急行列車の設定があったほか、1990年3月から1993年3月まで快速列車[16]が運転されていた(いずれも特別料金不要、追い抜きなし)。現在は全て各駅停車である。1時間あたりおおむね1 - 2本の列車がある。上田駅 - 別所温泉駅間運転の列車のほか、上田駅 - 下之郷駅間と下之郷駅発別所温泉駅行きの区間列車が設定されている。

ワンマン運転方式は地方型方式を採用。一番前の扉のみ開閉し整理券を取る方式で、バスの運賃箱に近いものが車両の乗務員室入口に取り付けられている。定期券・回数券を持っている場合でも整理券を取らなければならない[17]。なお有人駅の上田駅・下之郷駅では終日全扉が開閉し、別所温泉駅では9:00から17:00の間全扉が開閉する。また無人駅の城下駅、三好町駅赤坂上駅、上田原駅では平日6:30から8:30の間の上り電車のみ全扉が開閉する。

利用状況[編集]

輸送実績[編集]

別所線の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

営業成績[編集]

別所線の営業成績を下表に記す。旅客運賃収入は1997年(平成9年)以降減少している。運輸雑収については年度による変動が大きい。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

車両[編集]

丸窓電車モハ5250形 1986年9月30日撮影
7255編成「まるまどりーむ号」

1986年9月までの架線電圧が750Vであった時代は、自社発注のモハ5250形「丸窓電車」をはじめ、買収国電の改造車や長野電鉄からの譲受車など雑多な車種が使用されていた。しかしそれ故に電動車の制御方式の不統一など合理的な保守が困難な状態であったことに加え、それらの大半は経年車であったために交換する部品も不足しており、このような状態から車両の近代化を決定、同年内に東急5000系(初代)を2両4本と東急5200系を2両1本譲り受け、同年10月より運用を開始。それに伴い従来からの車両を全廃、同時に架線電圧を1500Vに昇圧し、全ての電車が2両編成での運行となった。なお、5000系および5200系には東急時代と同じく冷房は搭載されていなかった。

5000系は斬新な緑の塗装で、5200系は当時長野県内では非常に珍しかったステンレス車体で親しまれたが、1993年東急7200系を2連5本譲り受け、同年5月28日より運用を開始し、5000系と5200系を全て置き換えた。この7200系は全ての編成が冷房車であり、これにより長野県の私鉄で初めて営業車両の100%冷房化を達成した。2005年からはかつて走っていた丸窓電車を模して一部の窓をシールで丸くした「まるまどりーむ号」が運行されている。また同年より毎年ゴールデンウィーク期間中、下之郷駅にて「別所線丸窓まつり」と称する鉄道イベントを開催している。

なお、2006年に上田電鉄が発表した『鉄道安全報告書』によると、2008年度までに2両編成4本(8両)の車両の更新をすると発表され、同年3月に東急1000系電車2両編成2本が上田電鉄1000系電車として譲渡され、同年12月に残る2本が譲渡された。2014年度にも車両が更新され、「まるまどりーむ」号(7200系) のうち7253編成(7253号車+7553号車)が2014年9月をもって運用を離脱し、代替として元東急1000系2両編成1本が譲渡され、6000系として2015年3月28日より営業運転を開始した。種車は同じ元東急1000系であるが、すべて東急時代から先頭車であった車両が譲渡された2008年導入分の4本とは異なり、こちらは東急時代は中間車であった車両の先頭車化改造車のため6000系と別形式に区分された。なお6000系は車両愛称の一般公募が行われ、2015年6月13日に「さなだどりーむ号」に決定した[18]

沿線のイベント等に合わせて随時ヘッドマークを掲出している。

現有車両[編集]

  • 1000系 - デハ1001 - 1004・クハ1101 - 1104
    • 1001F(デハ1001 - クハ1101) - 元東急1015F(デハ1315 - クハ1015) : 2008年3月購入
    • 1002F(デハ1002 - クハ1102) - 元東急1018F(デハ1318 - クハ1018) : 2008年3月購入
    • 1003F(デハ1003 - クハ1103) - 元東急1014F(デハ1314 - クハ1014) : 2008年12月購入
    • 1004F(デハ1004 - クハ1104) - 元東急1016F(デハ1316 - クハ1016) : 2008年12月購入
  • 6000系 - デハ6001、クハ6101 : 2015年3月購入

過去の車両[編集]

750V時代[編集]

特記なきものは1986年10月の昇圧時に廃車。

電車[編集]
電気機関車[編集]
  • EB4110形 - EB4111 ※1975年廃車
  • ED25形 - ED251 丸子文化会館前で当時の姿に復元して保存されている。

1500V昇圧後[編集]

  • 5000系 - デハ5001 - 5004・クハ5051 - 5054
  • 5200系 - デハ5201・クハ5251
    昇圧から、1993年に7200系に代替されるまで運用された。
  • 7200系 - デハ7251 - 7255・クハ7551 - 7555

歴史[編集]

千曲川を渡る別所線
  • 1919年(大正8年)11月10日 上田温泉軌道に対し軌道特許状下付(小県郡城下村-同郡青木村間、同郡川辺村-同郡別所村間)[19]
  • 1920年(大正9年)11月19日 特許権を上田温泉電軌へ譲渡(許可)[20]
  • 1921年(大正10年)
    • 6月17日 上田温泉電軌が青木線三好町駅(現在の城下駅) - 青木駅間、川西線上田原駅 - 別所駅(現在の別所温泉駅)間を開業。
    • 9月12日頃 三好町駅 - 三好町三丁目駅間に三好町二丁目駅設置(廃止日不明)。
  • 1923年(大正12年) 下之郷駅 - 五加駅(現在の中塩田駅)間の産川駅、八木沢駅 - 別所駅間の天神前駅廃止。
  • 1924年(大正13年)
    • 8月15日 千曲川鉄橋が開通し、青木線の上田駅 - 三好町駅間が開業して全通。国鉄上田駅に乗り入れる。
    • 11月22日 別所駅を信濃別所駅に改称。
  • 1925年(大正14年)1月8日 上田駅 - 三好町駅間に諏訪形駅設置(廃止日不明)。
  • 1927年昭和2年)12月 青木線の三好町駅 - 上田原駅間が専用軌道化、変則複線化され三好町駅が城下駅に、三好町三丁目駅が三好町駅に改称。
  • 1929年(昭和4年)3月3日 五加駅を中塩田駅に改称。
  • 1930年(昭和5年)1月19日 信濃別所駅を別所温泉駅に改称。
  • 1932年(昭和7年)9月21日 三好町駅 - 上田原駅間に赤坂上駅設置。
  • 1934年(昭和9年)7月14日 中塩田駅 - 中野駅間に上本郷駅設置。
  • 1938年(昭和13年)7月25日 青木線の上田原駅 - 青木駅間が廃止。三好町駅 - 上田原駅間は単線化[21]。上田駅 - 上田原駅間も川西線となる。
  • 1939年(昭和14年)
  • 1943年(昭和18年)10月21日 丸子鉄道と合併し、上田丸子電鉄となる。
  • 1951年(昭和26年)4月 赤坂上駅の位置が変更される。
  • 1953年(昭和28年)9月 架線電圧を600Vから750Vに昇圧。
  • 1960年(昭和35年) 上本郷駅を塩田町駅に改称。
  • 1966年(昭和41年)6月 4月1日本州大学開学に伴い、下本郷駅がその最寄駅となったため本州大学前駅と改称。
  • 1969年(昭和44年)5月31日 上田交通に社名変更。
  • 1974年(昭和49年)5月1日 本州大学前駅、大学名が長野大学に変更されたため大学前駅と改称。
  • 1984年(昭和59年)11月1日 貨物営業廃止。
  • 1986年(昭和61年)10月1日 架線電圧を1500Vに昇圧。5000系5200系電車営業運転開始。モハ5250形「丸窓電車」を始め、従来車全車が営業運転終了。
  • 1993年平成5年)5月28日 7200系電車営業運転開始。全車冷房化。
  • 1998年(平成10年)3月29日 上田駅を高架化し、別所線専用の改札口を設ける[3]
  • 2005年(平成17年)
    • 1月27日 地域活性化事業「別所線丸窓特別電車再現」実施。7200系をベースに「丸窓電車」をイメージしたラッピングを施した編成(7253編成)が運行開始。4月に「まるまどりーむ号」と命名。当事業に長野県東御市の株式会社ミマキエンジニアリングが特別協賛(まるまどりーむ号Mimaki)。
    • 10月3日 上田交通から上田電鉄に移管。上田電鉄発足に合わせ7255編成も「まるまどりーむ号」仕様に改装。「まるまどりーむ号」が2編成となる。
    • 12月2日 別所線存続支援キャラクター「北条まどか」発表。
  • 2008年(平成20年)
  • 2010年(平成22年)7月30日 映画『サマーウォーズ』の主題歌で山下達郎の楽曲『僕らの夏の夢』が上田駅の発車メロディとして採用され、同日から使用が開始される。
  • 2014年(平成26年)9月27日 「まるまどりーむ号」のうち、7253編成「まるまどりーむ号Mimaki」が運用離脱[22][23]、廃車。
  • 2015年(平成27年)
    • 3月27日 廃車となった7253編成に代わり1004編成に丸窓ラッピングを施し、新たに「まるまどりーむ号Mimaki」として運行開始、また新車として6000系1編成を導入。
    • 6月13日 一般公募により6000系の愛称が「さなだどりーむ号」に決定[18]
  • 2016年(平成28年)
  • 2018年(平成30年)
    • 5月12日 7200系電車「まるまどりーむ号」営業運転終了。7200系は全て形式消滅。
  • 2019年令和元年)
    台風で落下した千曲川橋梁(2019年10月)
    • 10月13日 令和元年東日本台風(台風19号)による千曲川の増水のため左岸上田市諏訪形地内の堤防の一部が削られ、城下駅側で千曲川橋梁(鉄橋)が崩落[30][31][32]。別所線は同台風の影響により10月12日より全線運休となっていた。
    • 10月15日 下之郷駅 - 別所温泉駅間で運転を再開。上田駅 - 下之郷駅間は代行バス輸送[30][33][34]
    • 11月16日 城下駅 - 下之郷駅間の運転を再開。代行バス輸送区間を上田駅 - 城下駅間に縮小[35][36]
    • 11月22日 上田電鉄が上田駅 - 城下駅間について2021年春頃の運行再開を目指すと発表[37]
  • 2020年(令和2年)
    • 1月20日 上田市長が、崩落した鉄橋を市有化し、2021年4月の全線運行再開に向け支援する計画を発表[38]
    • 8月31日 上田電鉄が上田駅 - 城下駅間について、出水期の終わる11月に鉄橋復旧工事を再開し「本年度中に復旧工事を終える見通しが立った」ことから、2021年3月28日の全線運行再開を目指すと発表[39][40][41]
  • 2021年(令和3年)
    • 2月15日 鉄橋の組み立てが完了し、線路を敷設する作業を公開[42]
    • 3月28日 全線運行再開予定。

駅一覧[編集]

  • 全駅長野県上田市に所在。
  • 線路(全線単線) … ◇:列車交換可、|:列車交換不可
  • 下之郷駅上田駅以外の全駅の管理駅となっている。
  • 上田駅と下之郷駅は終日駅員配置駅。別所温泉駅簡易委託駅(別所温泉観光協会に窓口業務を委託)。他は無人駅。ただし、上田駅 - 城下駅間が不通の間は城下駅に駅員が配置されている(早朝夜間は無人駅扱い)。
  • 欄の背景色がである駅(上田駅)は、令和元年東日本台風(台風19号)の影響で不通となっている区間の駅であることを示す(2019年11月16日時点)。
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路
BE01 上田駅 - 0.0 東日本旅客鉄道■ 北陸新幹線
しなの鉄道しなの鉄道線
BE02 城下駅 0.8 0.8  
BE03 三好町駅 0.7 1.5  
BE04 赤坂上駅 0.7 2.2  
BE05 上田原駅 0.7 2.9  
BE06 寺下駅 0.9 3.8  
BE07 神畑駅 0.7 4.5  
BE08 大学前駅 0.7 5.2  
BE09 下之郷駅 0.9 6.1  
BE10 中塩田駅 1.3 7.4  
BE11 塩田町駅 0.6 8.0  
BE12 中野駅 0.5 8.5  
BE13 舞田駅 0.9 9.4  
BE14 八木沢駅 0.7 10.1  
BE15 別所温泉駅 1.5 11.6  

運賃[編集]

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ) - 2019年10月1日改定[43]

SuicaPASMOなどの交通系ICカードは一切利用できない。

距離 運賃(円)
- 3km 180
- 4km 230
- 5km 280
- 6km 330
- 7km 380
- 8km 420
- 9km 460
- 10km 500
- 11km 540
- 12km 590

別所線が登場する作品[編集]

映画
その他
  • 鉄道むすめ - 作中で同線が舞台の一つになっており、八木沢駅と舞田駅に由来するキャラクター「八木沢まい」が上田電鉄公認で設定されている[45]
  • マルシンハンバーグCM - 1980年代、マルシンフーズのマルシンハンバーグのCMロケーション撮影に当路線が使われた。まだ雪残る早春の田舎の小さな駅(ロケ地は舞田駅)。転校する小学生がクラスメートらの見送りを受け、電車(丸窓電車)に乗車、クラスメートは電車発車後もホームを走って電車を追いかけ別れを惜しむ、車中の小学生がふと外を見ると、駅からあっという間に移動したらしいクラスメートたちが田んぼの中に立っている木に皆で登り、大きく手や腕を振りながらなおも別れを惜しむ、最後は夕暮れの鉄橋(千曲川橋梁)を行く単行電車を背景に同社商品「マルシンハンバーグ」3種とシンボルマークが映し出されるという内容であった。昭和50年代から昭和60年代の当路線と印象的な夫神岳などの山なみや沿線風景が映し出され、当時広く知られたCMの一つであった。なおCM冒頭テロップでは「長野県 別所線」とのみ表示され「上田交通」の社名(当時)の紹介はなかった。丸窓電車も丸窓そのものが映し出される場面はなく、また小学生は遠方へ転校するように見られたものの舞田駅から乗り込んだ電車は下り(別所温泉方面)、千曲川橋梁を行く電車も下り(上田駅から城下駅へ向かう電車)であった。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 別所線においても貨物輸送が行われており、1975年頃までは上田駅と中塩田駅の間に主に農産物を輸送する定期の貨物列車が設定されていたほか、1949年まで小県郡川辺村倉升(現・上田市上田原倉升)の倉升山には金城炭鉱と称する炭鉱があって亜炭を産出しており、炭鉱から上田原駅までトラックで亜炭を輸送し、上田原駅構内で貨車に積み込んで上田駅まで運んでいた。上田駅からは国鉄の貨物列車で東京横浜まで送られていたが1949年に同炭鉱は閉山、亜炭の輸送はなくなった。
  2. ^ ただし、この年の10月に上田交通から国・長野県・上田市に対して翌年度からの「鉄道軌道欠損助成・運営費」の辞退を申し入れている[2]
  3. ^ 上田市の別所線公的支援の最終的な実績額は以下の通り。2004年度から2006年度までが2億9408万3000円。2007年度から2009年度までが3億1703万1000円。2010年度から2012年度までが3億7728万8000円。2013年度から2015年度までが2億8653万7000円。2004年度から2015年度までの総額は12億7493万9000円となっている。

出典[編集]

  1. ^ a b 鉄道事故調査報告書 (PDF) - 航空・鉄道事故調査委員会
  2. ^ “別所線の再建策が軌道に 国などに「助成金受給」辞退を申入れ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1992年10月28日) 
  3. ^ a b 鉄道ジャーナル』第32巻第7号、鉄道ジャーナル社、1998年7月、 106頁。
  4. ^ 別所線にのろう!別所線がんばれ! > 別所線存続支援キャラクター「北条まどか」上田市役所(2020年1月23日閲覧)
  5. ^ 公共交通の利用促進に向けた地域のサポート事例集(pdfファイル) 2010年3月 国土交通省北陸信越運輸局
  6. ^ 『乗って残そう!別所線』~別所線再生支援の取り組み~(pdfファイル)2008年12月 上田市都市建設部地域交通政策課
  7. ^ 長野電鉄屋代線、きょう90年の歴史に幕 補助金頼み限界「存続を求め沿線住民が別所線利用を促進するなどの運動が功を奏し「ここ数年は減少に歯止めがかかっている」(上田電鉄運輸部長)」とある。2012年3月31日『日本経済新聞』。
  8. ^ 踏切事故防止ご協力のお願い[リンク切れ]上田電鉄(2013年4月26日)
  9. ^ ◆上田電鉄、NHK大河ドラマ効果などで別所線輸送人員が大幅増! 長野県 上田市『東信ジャーナル』Blog版(2017年4月28日)2020年1月23日閲覧
  10. ^ a b c 別所線の現状「別所線にのろう!」別所線電車存続期成同盟会/上田市役所(2019年8月7日更新、2020年1月23日閲覧)
  11. ^ 「別所線の輸送人員、15年ぶり130万人台回復 16年度」[リンク切れ]信濃毎日新聞』信毎web(2017年4月27日)
  12. ^ 「別所線 15年ぶり130万人超」[リンク切れ]読売新聞』長野版(2017年5月10日)
  13. ^ 別所線130万人を記念 鉄道模型が10年ぶり「出発」 上田[リンク切れ]『信濃毎日新聞』信毎web(2017年5月10日)
  14. ^ 上田市の上田電鉄が「2018年度の別所線輸送人員」を発表!『東信ジャーナル』Blog版(2019年4月23日)2020年1月23日閲覧
  15. ^ 別所線の現状別所線に乗ろう! 2020年9月1日 上田市交通政策課
  16. ^ 寺田裕一『ローカル私鉄 列車ダイヤ25年 東日本編』JTB、2004年、83頁。ISBN 978-4533054846。
  17. ^ ワンマン電車のご案内 上田電鉄(2020年1月23日閲覧)
  18. ^ a b 上田電鉄6000系愛称決定について[リンク切れ]上田電鉄
  19. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1919年11月13日国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 「特許権譲渡」『官報』1920年11月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 電気車研究会鉄道ピクトリアル』1963年9月号(通巻149号)小林宇一郎 私鉄車両めぐり59 上田丸子電鉄[前]
  22. ^ 「さようなら別所線7253編成 上田電鉄が23・27日に引退イベント」[リンク切れ] 信濃毎日新聞「信毎ニュース」2014年9月4日
  23. ^ 「長野/別所線、7523編成がラストラン」[リンク切れ]朝日新聞』(長野版)2014年9月28日
  24. ^ 「信繁ラッピング、上田電鉄・別所線で出発式典」[リンク切れ]『信濃毎日新聞』2016年2月22日
  25. ^ 「真田丸」ラッピング電車お目見え 長野・上田電鉄 朝日新聞デジタル(2016年2月23日)2020年1月23日閲覧
  26. ^ 別所線ラッピング電車 運用予定表のお知らせ」[リンク切れ] 上田電鉄 お知らせ 2016年2月18日
  27. ^ 大河ドラマ「真田丸」ラッピング電車出発式典[リンク切れ] 上田電鉄 お知らせ 2016年2月22日
  28. ^ 上田電鉄お知らせ-駅番号表示(駅ナンバリング)を導入します[リンク切れ]
  29. ^ “上田電鉄別所線に「駅ナンバリング」 外国人客らに分かりやすく”. 信濃毎日新聞. (2016年4月7日). オリジナルの2017年1月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170116185502/https://nano.shinmai.co.jp/news/newslist_detail/?id=2756 
  30. ^ a b 台風19号に伴う別所線の被害状況について[リンク切れ] お知らせ 上田電鉄 2019年10月14日
  31. ^ 「長野・上田電鉄の鉄橋が落下 千曲川の堤防が崩れた影響 台風19号」 朝日新聞デジタル(2019年10月13日)2020年1月23日閲覧
  32. ^ 上田電鉄別所線の橋の一部が崩落 信濃毎日新聞(2019年10月13日)
  33. ^ 2019年10月15日からの別所線運転時刻[リンク切れ] 上田電鉄(2019年10月15日)
  34. ^ 上田電鉄別所線、別所温泉―下之郷で一部の運行を再開”. 信濃毎日新聞 (2019年10月15日). 2020年1月24日閲覧。
  35. ^ 別所線の運行区間拡大 城下―下之郷間で再開”. 信濃毎日新聞 (2019年11月16日). 2019年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月24日閲覧。
  36. ^ 赤鉄橋崩落、不通続く 地域の足、別所線―「象徴」復旧願う声・長野県上田市 時事ドットコムニュース(2019年11月13日)2020年11月1日閲覧。
  37. ^ 上田~城下間(千曲川橋梁)今後の復旧見通しについて”. 上田電鉄 (2019年11月22日). 2019年11月26日閲覧。
  38. ^ 「長野・上田電鉄の崩落鉄橋、市が所有し復旧に前進」 日本経済新聞ニュースサイト(2020年1月20日)2020年1月23日閲覧
  39. ^ 別所線、来年3月28日に全線再開 上田電鉄見通し”. 信濃毎日新聞 (2020年9月1日). 2020年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月3日閲覧。
  40. ^ ◆上田市の別所線の「全線運行再開予定日」を来年、2021年3月28日に!<上田市議会9月定例会・開会>2020 長野県 上田市『東信ジャーナル』Blog版(2020年9月1日)2020年10月3日閲覧
  41. ^ ◆「別所線全線運行再開」が「来年3月28日」に! 大勢の”願い”と”乗客”を乗せた電車が「鉄橋」を渡るまでのカウントダウンが始まる! 長野県 上田市『東信ジャーナル』Blog版(2020年9月7日)2020年10月3日閲覧
  42. ^ 赤い鉄橋 両岸結ぶ 上田電鉄別所線 信濃毎日新聞 信毎web(2021年2月15日)2021年2月16日閲覧
  43. ^ 運賃の認可および改定のお知らせ (PDF)”. 上田電鉄 (2019年9月9日). 2019年10月8日閲覧。
  44. ^ 映画「サマーウォーズ」公開10年 「聖地」長野・上田でブーム再燃/信州リポート日本経済新聞 電子版(2019年7月12日)2020年1月25日閲覧
  45. ^ 鉄道むすめ 八木沢まい(2020年1月23日閲覧)

参考文献[編集]

  • 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越』新潮社、2008年 - 駅の改廃について。

関連項目[編集]