下甑町片野浦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
日本 > 鹿児島県 > 薩摩川内市 > 下甑町片野浦
この項目に含まれる文字は、オペレーティングシステムブラウザなどの環境により表示が異なります。 の文字は公式の表記Kanji for another OS version - koshiki.svgと異なる可能性があります。
下甑町片野浦
—  大字  —
下甑町片野浦の位置(鹿児島県内)
下甑町片野浦
下甑町片野浦
座標: 北緯31度39分40秒 東経129度41分29秒 / 北緯31.66111度 東経129.69139度 / 31.66111; 129.69139
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 薩摩川内市
地域 下甑地域
人口 (2011年平成23年)4月1日現在)
 - 計 167人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 896-1602

下甑町片野浦(しもこしきちょうかたのうら Shimokoshiki-Chō Katanoura)は、鹿児島県薩摩川内市大字[1]。旧甑島郡甑島郷片之浦村、甑島郡下甑村大字片野浦郵便番号は896-1602。人口は167人、世帯数は101世帯(2011年4月1日現在)[2]

地理[編集]

薩摩半島の西部に浮かぶ甑島列島南部の下甑島の南西部に位置している[3]。字域の北方には下甑町瀬々野浦、南方には下甑町手打、東方には下甑町青瀬がそれぞれ接しており、西方には東シナ海に面している。

字域の中央部に薩摩川内市立子岳小学校がある。子岳小学校は2011年度末で閉校し、薩摩川内市立手打小学校に統合された[4][5]

小学校などがある中心部の周囲は口岳などに連なる山々に囲まれており、岡地区は盆地の中に集落が形成されている。浜田地区は海に面しており、漁港を中心として集落が形成されている[6]

河川[編集]

  • 浜田川
    浜田地区を流れる河川で、西方向へ流れていることから冬には季節風の通り道となる[6]

高い壁[編集]

海が近く山に囲まれた片野浦は、その複雑な地形から海陸風山谷風など、季節にかかわらず強い風に悩まされてきた地である。 古い木造家屋は風の影響を最小限にとどめるため、ほぼ例外なく平屋で、亙が飛ばないよう屋根にネットが掛けられている住宅が多く見受けられる。

強風への対策として、古くは竹で防風林を作って家屋を護っていたが、昭和30年代後半から、より堅固なブロックで防風壁を築く家が増えた。平屋を高い壁で囲んでいるため道路からは屋根瓦しか見えず、来る者すべてを拒むかのような印象を与えるが、路地に入ると風の強さに比例して壁の高さもいくぶんやわらぎ、門柱のみで門扉もなく、自由に出入りできる家が多い。

小字[編集]

小字は上町、下町、千田、苗代、尾塚、鳥ノ巣、平尾、前田、平、長迫、内川内、春田、峯、園田、白浜、浜田、松山、浜ノ平、小岳、仁田ノ尾、大迫、峯平、横手、作ノ手、白本ノ氏、南平、美濃尾、高野、間渡、二反平、太平、岳、岳濃尾、立石、小目無、大目無、目無下附、高尾、尾通山、道々林、丸野、桂ノ氏、シブノ木、里平、俵作、木床、木床平、通山、上割迫、勢南固田、小三次、蛇田、白石原、二十田、中尾、寅川、竹中、四畠、深田、深田頭、柳ヶ迫、平畠平、山中、平畠、宮ノ平、前ノ田、宮迫、田ノ浦、仁王、高山、西山、田良林、風穴、永山がある[7]

歴史[編集]

古代の片野浦[編集]

田ノ浦付近では縄文早期のものとされる土器が発見されていることから、約9,000年前から人類が居住していたと考えられている[6]

江戸期[編集]

片之浦という地名としては江戸期より見え、薩摩国甑島郡甑島郷(外城)のうちの片之浦村であった。村高は「旧高旧領」では332石余であった。集落の中心から離れたごく一部の地域ではクロ教と呼ばれる土着宗教が密かに信仰されていたとされる[3]

町村制施行以後[編集]

1889年明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、下甑島の区域より下甑村が成立し、江戸期の片之浦村の区域は下甑村の大字「片野浦」となった[3]

2004年(平成16年)には上甑村が川内市の他7町村と新設合併する際に大字名について法定合併協議会にて「従前の村名を町名とし、これを従前の大字名に冠したものをもって、大字とする」[8]とされ、旧村名である「下甑村」の村を町に置換え、従前の大字名である片野浦に冠し、薩摩川内市の大字「下甑町片野浦」に改称した。

施設[編集]

公共
  • 子岳地区コミュニティセンター
  • 下甑小岳へき地保健福祉館
    • 下甑片野浦出張診療所
教育
  • 薩摩川内市立子岳小学校(閉校)
    1886年明治19年)に片野浦簡易科小学校として開設され、1893年明治26年)に子岳尋常小学校となった[3]。2011年末を以て手打にある手打小学校に統合され閉校となった[4][5]
寺社
  • 蛭子神社
    蛭子命を祀る神社(旧社格は村社)であり、片野浦の氏神である[9]。創建時期は不明であるとされる[10]。また、元禄6年に京都の石工によって建立されたとされる鳥居がある[9]

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[11]

大字 小字 小学校 中学校
下甑町片野浦 全域 薩摩川内市立手打小学校 薩摩川内市立海陽中学校

交通[編集]

道路[編集]

県道
  • 鹿児島県道349号手打藺牟田港線
  • 鹿児島県道350号長浜手打港線

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 川薩地区合併協議会 町・字の取り扱いについて
  2. ^ 統計データ(町別住民基本台帳人口) - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年12月2日閲覧。
  3. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 角川書店 p.196
  4. ^ a b 子岳小学校閉校について - 薩摩川内市立子岳小学校 2011年12月2日閲覧。
  5. ^ a b 薩摩川内市立小・中学校の再編等に関する基本方針(案) - 薩摩川内市 2011年12月2日閲覧。
  6. ^ a b c 『下甑郷土史』 下甑村 1224頁。
  7. ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 角川書店 p.1168
  8. ^ 町名・字名の取り扱いについて - 川薩地区法定合併協議会 2011年2月6日閲覧。
  9. ^ a b 『下甑郷土史』 下甑村 1252頁。
  10. ^ 蛭子神社 - 鹿児島県神社庁 2011年12月2日閲覧。
  11. ^ 薩摩川内市 義務教育”. 薩摩川内市役所. 2012年5月26日閲覧。

関連項目[編集]

座標: 北緯31度39分40.7秒 東経129度41分29.5秒