不老倉鉱山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動: 案内検索

不老倉鉱山(ふろうくらこうざん)とは、秋田県鹿角市にあった鉱山である。

不老倉鉱山跡の堰堤

概要[編集]

不老倉鉱山は、鹿角市大湯から安久谷川沿いに東に進み、折戸を経由し、犬吠森の南側の道を約10km移動した、岩手県青森県との県境地帯にある。この間、周囲の山地は急峻で鉱山は、不老倉峠や来満峠の西麓にある。

明治40年(1907年)頃には、鉱山労働者だけで3千人もの人がいて、多くの人々がこの渓流沿いに住んでいた。明治末から大正初期にかけて繁栄し、本山・地森町・寺町・来満町・稲荷町を中心に鉱山町不老倉が形成されていた。湯屋、呉服屋、質屋床屋、旅館、自転車屋、酒屋、薬屋、料理屋、雑貨店などが軒を連ね、多くの人で賑わっていた。

不老倉分校は明治18年(1885年)4月に創立された。明治32年(1899年)4月に尋常小学校になる。大正6年(1917年)の児童数は600名ほどであった。しかし、昭和24年(1949年)5月に廃校になった。

不老倉鉱山の文献や資料は豊富で、藩政時代については『鹿角市史・第2巻上』に詳細に記載されている。また、明治期のことについては『秋田県庁史料』がある。明治時代の鉱産量については『明治鉱業史・鉱山編』と古川鉱業株式会社の『創業100年史』が正確である。盛況時の鉱山集落の状況には『不老倉鉱山誌』(平成12年・2000年)があり、これは、数多くの写真を掲載した書籍である。

歴史[編集]

  • 天和年間(1681-1683年)に発見された。当時は狼倉(おいぬくら)鉱山と呼ばれていた。
  • 1794年以降は御留山となっている。
  • 明治20年(1887年):古河市兵衛の経営になった。
  • 明治37年(1904年):南に隣接する細地鉱山を三菱合資会社から譲り受け、併せて稼業された。
  • 明治38年(1905年):銅山として日本の重要な鉱山に指定される。
  • 明治40年(1907年)頃:最盛期を迎えた。鉱石は牛や馬の背によって運搬していたが、小坂鉱山との間にケーブルが通じ、1日80トンもの鉱石を送った。また、細地鉱山との間に大通洞が完成し、坑内電車で結ばれた。
  • 昭和17年(1942年)10月:鉱業関係者の多くの期待のもと、帝国鉱業開発によって鉱山は再開されるが、発展するまでには至らなかった。
  • 昭和29年(1954年):古河鉱業のもと鉱山は再開され出鉱をみる。
  • 昭和39年(1964年):休山となった。
  • 昭和48年(1975年):鉱山公害対策防止工事が実施され、現在は堰堤が残るのみになっている。

参考文献[編集]